1958-07-08 第29回国会 参議院 文教委員会 第6号
三日には、前田佳都男君が辞任され、その補欠として近藤鶴代君が、また四日には、大谷贇雄君、五日には、吉田法晴君、剱木亨弘君、七日には、秋山長造君及び松野孝一君が辞任され、その補欠として佐野廣君、山本經勝君、木島虎蔵君、海野三朗君及び前田佳都男君がそれぞれ選任されました。また同日、山本經勝君が辞任され、その補欠として、吉田法晴君が選任されました。
三日には、前田佳都男君が辞任され、その補欠として近藤鶴代君が、また四日には、大谷贇雄君、五日には、吉田法晴君、剱木亨弘君、七日には、秋山長造君及び松野孝一君が辞任され、その補欠として佐野廣君、山本經勝君、木島虎蔵君、海野三朗君及び前田佳都男君がそれぞれ選任されました。また同日、山本經勝君が辞任され、その補欠として、吉田法晴君が選任されました。
そういうことでは、保安局としての責任は私は果されないと思うのですが、精密な資料もないということも一つの原因ではありましょうけれども、 〔委員長退席、理事木島虎蔵君着席〕 かりに昨年の事故を見ただけでも、東中鶴では、十八名の死体がまだあがっておらぬということです。籾井でも四名の死亡者を出している。小倉炭鉱では、たまたま死亡者はなかったけれども、これも出水の事故を起している。
多数意見者署名 斎藤 昇 木島 虎蔵 勝俣 稔 谷口弥三郎 横山 フク 中山 福蔵 西岡 ハル 西田 信一 山下 義信 山本 經勝 片岡 文重 松澤 靖介 藤田藤太郎 坂本 昭 田村 文吉
多数意見音署名 斎藤 昇 木島 虎蔵 谷口弥一郎 有馬 英二 井上 清一 山下 義信 藤田藤太郎 松澤 靖介 草葉 隆圓 塩見 俊二 勝俣 稔 山本 経勝 鈴木 万平 木下 友敬 —————————————
笹森 順造君 江藤 智君 仲原 善一君 西田 信一君 堀本 宜実君 鈴本 万平君 大谷藤之助君 稲浦 鹿藏君 吉江 勝保君 塩見 俊二君 前田佳都男君 酒井 利雄君 三木與吉郎君 青柳 秀夫君 雨森 常夫君 小西 英雄君 館 哲二君 井村 徳二君 山本 米治君 小林 武治君 剱木 亨弘君 大谷 贇雄君 佐藤清一郎君 本島 虎蔵君
委員長 石原幹市郎君 理事 寺本 広作君 横川 信夫君 小酒井義男君 藤田 進君 上林 忠次君 委員 大沢 雄一君 木島 虎蔵君 斎藤 昇君 佐藤清一郎君 白井
委員長 石原幹市郎君 理事 剱木 亨弘君 寺本 広作君 天田 勝正君 藤田 進君 森田 義衞君 委員 雨森 常夫君 石井 桂君 木島 虎蔵君 榊原 亨君 佐藤清一郎君
多数意見者署名 木島 虎蔵 仁田 竹一 片岡 文重 早川 愼一 岡田 信女 川村 松助 一松 政二 三浦 義男 大倉 精一 —————————————
植竹 春彦君 木村篤太郎君 中川 以良君 中山 壽彦君 豊田 雅孝君 野本 品吉君 加瀬 完君 千葉 信君 菊川 孝夫君 田畑 金光君 松浦 清一君 木島 虎蔵君
多数意見者署名 長島 銀蔵 豊田 雅孝 中川 以良 中山 壽彦 宮田 重文 木島 虎蔵 井上 知治 植竹 春彦 野本 品吉 木村篤太郎 松原 一彦
西川彌平治君 白井 勇君 白波瀬米吉君 長島 銀蔵君 宮田 重文君 飯島連次郎君 島村 軍次君 常岡 一郎君 三浦 辰雄君 久保 等君 小林 亦治君 木島 虎蔵君
松原 一彦君 委員 井上 知治君 植竹 春彦君 中山 壽彦君 豊田 雅孝君 野本 品吉君 加瀬 完君 千葉 信君 田畑 金光君 松浦 清一君 木島 虎蔵君
昭和三十年五月十八日(水曜日) 午後一時四十一分開会 ————————————— 委員の異動 五月十六日委員最上英子君辞任につ き、その補欠として木島虎蔵君を議長 において指名した。 ————————————— 出席者は左の通り。
○説明員(根本守君) 次の百三十一でございますが、これは関東財務局立川出張所におきまして、所員である熊木虎蔵と称する職員が農林省に農地として管理換えをいたしました砂川村所在の陸軍少年飛行学校及び同郷村山村所在の陸軍整備部隊立川第二教育隊等にありましたボイラーその他の工作物をほしいままに他に売渡して、その代金を着服、横領したという事案でございます。