2010-10-26 第176回国会 衆議院 環境委員会 第2号
私ごとになりますけれども、私も学生時代に、当時大学で行われていた講座に宇井純さんという方の公害原論というものがございましたし、また、「四日市・死の海と闘う」の著者であります田尻宗昭さんなんかとも直接御指導いただいたり、また、石牟礼道子さんの「苦海浄土」なんかを読みながら、人生をかける職場として環境庁というものを考えた時期がございました。
私ごとになりますけれども、私も学生時代に、当時大学で行われていた講座に宇井純さんという方の公害原論というものがございましたし、また、「四日市・死の海と闘う」の著者であります田尻宗昭さんなんかとも直接御指導いただいたり、また、石牟礼道子さんの「苦海浄土」なんかを読みながら、人生をかける職場として環境庁というものを考えた時期がございました。
宇井純さんの話や石牟礼道子さんの「苦海浄土」の話、私も昔から、もうほとんど忘れましたけれども、同じ問題意識を持ってやってきたというふうに思っております。
ここに「苦海浄土 わが水俣病」という石牟礼道子さんの書物がございます。坂田文部大臣は十二年前の三十四年に、国会を代表して、そのお一人として、地元出身議員としてこの水俣病の現地視察をなさったはずであります。厚生大臣もなさいました。十二年前にこの水俣病はすでに国会で論議をされながら、その救済は一切いまだにされていないではございませんか。水俣病が発生したのは昭和二十八、九年であります。