2019-02-27 第198回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第2号
○参考人(雄谷良成君) 今、広島の安芸太田で、まさに中山間地なんですけれども、やはり人口が密集していないところに対していろんなものがこうというのは非常にやっぱり難しい状況があります。そんなときに、国交省でいうところの例えばコンパクトシティーとかスマートウエルネスとか、やっぱりそういったものを先々を見据えながらやっていくという必要があるのかなと思います。
○参考人(雄谷良成君) 今、広島の安芸太田で、まさに中山間地なんですけれども、やはり人口が密集していないところに対していろんなものがこうというのは非常にやっぱり難しい状況があります。そんなときに、国交省でいうところの例えばコンパクトシティーとかスマートウエルネスとか、やっぱりそういったものを先々を見据えながらやっていくという必要があるのかなと思います。
○参考人(雄谷良成君) ごちゃ混ぜを施設と捉えるか地域社会として捉えるかという問題だと思うんですね。ですから、地域というものの定義を考えたときに、人が継続性と密着性を持って経験を共に有しながら暮らす場所ということですから、箱物というよりはやっぱりエリアというんですかね、そういう考え方だと思うんです。
○参考人(雄谷良成君) いろんな仕事がありますので、介護というと対人サービスだというだけではなくて、実を言うと、例えば会議をしたときに会議録を取ると、あるいはいろんなデータを書き写すとかというときには、例えば文字化、言語の文字化、AI、これは非常に有効だと思います。 そうすると、本来の我々が人間として関わる業務が増えるわけですから、質の高いものができると。
○参考人(国分良成君) 一点だけ。 靖国の第一回目の参拝のときは、私の知り得る限りでは、これは外交当局お互いに折衝して、そのときの、一応そのダメージコントロールをどうするかも大体でき上がっていたというふうに私は認識しておりますけれども、二回目のときに問題が起こったと。つまり、二回目のときは代替施設の議論が出てきて、中国が期待してしまったと。
○参考人(国分良成君) ありがとうございます。 正直申しますと、靖国についての解決策を提示できればもちろん解決できるわけですけれども、私には正直、今のところ妙案はございません。 この問題について、なぜ八五年から急激に大きくなったのかということでありますが、当時の新聞の社説を全部ここに持っておりますけれども、一律に靖国は反対が多いわけであります、当時は。
○参考人(国分良成君) 私、二十一世紀委員会のメンバーですので、ちょっとそこのところを説明しておきたいと思います。 簡単に説明いたしますと、私も委員でありますので、これは小泉首相と胡錦濤さんが作られたという委員会で、メンバーも一応両方がチェックしているということで……
○参考人(国分良成君) ありがとうございます。 私もほとんど毎月中国を訪れておりますけれども、やはりある種の閉塞状況みたいなものがだんだん広がってきているという、私も中国のソフトランディングを望むものでありますけれども、そこの革新をどういうふうに行うかということで皆が本当に悩んでいる。
柳田 稔君 魚住裕一郎君 緒方 靖夫君 島袋 宗康君 事務局側 第一特別調査室 長 鴫谷 潤君 参考人 元駐中国大使 中江 要介君 慶應義塾大学法 学部教授 国分 良成君
本日は、元駐中国大使中江要介参考人及び慶應義塾大学法学部教授国分良成参考人に御出席をいただいております。 この際、一言ごあいさつ申し上げます。 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。 忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
○参考人(国分良成君) ありがとうございます。 経済に関しては、これは李登輝総統の時代から、中台の余りに密接な一体化ということに対する懸念からかなり歯どめを上からかけようとしたわけでありますけれども、現実の経済の動きはなかなかそうはいかなかったという現実があるわけであります。
常任委員会専門 員 櫻川 明巧君 政府参考人 防衛庁装備局長 及川 耕造君 外務省条約局審 議官 小松 一郎君 文化庁次長 近藤 信司君 参考人 東京外国語大学 外国語学部教授 井尻 秀憲君 慶應義塾大学法 学部教授 国分 良成君
外交、防衛等に関する調査のうち、中国・台湾問題をめぐるアジア情勢に関する件について、本日の委員会に東京外国語大学外国語学部教授井尻秀憲君、慶應義塾大学法学部教授国分良成君及び防衛研究所第二研究部長高木誠一郎君を参考人として出席を求め、その意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
これは、時の厚生大臣の河合良成さんの説明なんです。これ生きていますから、そういう点をぜひ考えて対応してほしいと思うんですね。 時間がオーバーしてまいりましたけれども、私は、そういう中で、この改正というのはやめるべきだ、廃案にすべきだというのが多くの人々の、特に労働者の共通の願いではないだろうか。
ちょうど五十年前に一審で無罪が確定したところの、例えば帝人事件の場合に被告の座に置かれました河合良成さんあるいは三土忠造さん、それぞれ「帝人心境録」とか「幽囚徒然草」などをお書きになって、そこにおける、訴追された、無実を訴える者の苦しみを書いておられます。
そこでは厚生大臣河合良成さん、司法大臣木村篤太郎さん、商工大臣石井光次郎さん、皆さん御存じの名前がありますし、この審議には今も議員として大いに活動されている江崎真澄さんのお名前も見ることができます。そして、この会議録を読んでみると、随分詰めた論議をしております。
そのときの国会における審議でありますが、まだ帝国議会の時期、第九十二回帝国議会、衆議院の労働基準法案委員会という、そこの会議録があるわけでありますけれども、昭和二十二年三月十二日の委員会で、当時の厚生大臣河合良成さんはこういうふうに答えているわけであります。
私のあこがれの的であった中山教授が私のところへお見えになったように書いてありますが、あれも作家の修飾でございまして、確かに河合良成さんがあの当時、第一報、外科学会に発表した直後に中山先生にお会いしてこの薬の効果を説明し、治験をやっていただいたらどうかというお話がございました。しかし、当時私は、私のような青二才が先生のところへ出しゃばって行くのは無礼に当たる。
このパンフを拝見しておりますと、これは昭和五十三年五月現在の役員の中に顧問として手塚良成氏が入っているんですね。手塚さんというのは、これはたしか私ども調査をいたしますと、四十三年六月から四十五年の六月まで運輸省の航空局長ですね。それから四十七年六月までは海上保安庁の長官だった方だと思いますが、間違いございませんか。
日本国有鉄道常 務理事 吉武 秀夫君 日本国有鉄道監 察局長 長井 茂君 参 考 人 (日本鉄道建設 公団理事) 藤田 雅弘君 参 考 人 (日本航空株式 会社常務取締 役) 手塚 良成君
本件審査のため、本日、参考人として日本鉄道建設公団理事藤田雅弘君、日本航空株式会社常務取締役手塚良成君、気象評論家根本順吉君の出席を求め、意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
まず、行政指導関係の一といたしまして、手塚良成元運輸省航空局長の証言、これは、昭和五十二年二月二十一日、全日空ルート第二回公判でございますが、この証言のうち、昭和四十一年の航空企業の運営体制に関する閣議了解の方針を転換した経緯及び事務当局の反応に関する証言の要旨でございます。
外務省国際連合 局社会課長 丸山 俊二君 厚生省薬務局麻 薬課長 山田 幸孝君 参 考 人 (日本航空株式 会社専務取締 役) 野田 親則君 参 考 人 (日本航空株式 会社常務取締 役) 手塚 良成君
この際、本件について、本日参考人として、日本航空株式会社専務取締役野田親則君及び日本航空株式会社常務取締役手塚良成君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○国務大臣(園田直君) 構成は、本部長が内閣官房長官でございまして、本部員に法務大臣、外務大臣、大蔵大臣、運輸大臣、総理府総務長官、国家公安委員長、内閣法制局長官、内閣官房政務、事務両副長官、警察庁長官、海上保安庁長官のほか、民間人として日本航空の手塚良成常務、全日本空輸の清水教雄副社長が含まれております。
それから手塚良成さん、これも航空局長をやった人で官僚出身。それから津田弘孝さん、日本交通公社の社長ですが、これも鉄道省出身なんですね。 これは、一つの会社をとらえてみても、ほかの会社をとらえてみても、皆官僚の関係会社、いわゆる官僚との癒着会社なんです。
○正森委員 その移転のときに、あなたが河野一郎氏からその支援関係を引き継いだとされる河合良成、それから萩原、永田氏らが「胡蝶」というところに集まって事務所開きの準備などをされたということがございませんでしたか。
○中曽根証人 河野先生を支援されたのは永田さんとか萩原さんとか河合良成先生とかでありまして、児玉譽士夫という人は背後におったのではないか、しかし児玉譽士夫被告が河野さんに献金したとかなんとかということはないのではないか、そう私は思います。 私は、そういう児玉譽士夫、河野一郎という両氏の関係を引き継いではおりません。
たとえば、前の航空局長で現在日本航空に天下りをして成田担当の常務をやっておりまする手塚良成さんという人、この人は去る二月十八日の東京地裁の証言の中で、いまもし成田空港が開港したならばこれはえらいことになります、お手上げですと、こういう証言をしておるのであります。 同時にこの人は、日本航空の社内誌の中に、アクセスの問題、つまり成田空港から都心までの公共旅客輸送の手段であります。
昭和四十四年の十月七日、当時の手塚良成航空局長が記者会見をやって、日航、全日空が検討を行っている次期大型旅客機の導入問題について、両社が次期導入機について機種統一を行うよう強力に行政指導を行う方針だということを記者会見で言っていることが報道されております。そういう記者会見があったこと、あなたの会社に直接関係することですから御承知だと思いますが、いかがですか。
そういうことを相手の国にむき出しに言うと向こうもしゃくにさわるだろうけれども、日本で木材をこれだけ買うという段階になると、どうしてもやっぱりそういうことを必要とするようになるんで、私は十年ほど前に行ったときに、やはりナホトカあたりにおける港湾のいろんな建築が住友のようなところに依存していたのや何かを見て、ちょうど小松製作所のなくなった河合良成さんとは懇意だったから、やはりトラクターやあるいは伐採機や