2020-03-18 第201回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第3号
石川県の今回の地震は、かつて二〇〇七年に起きたマグニチュード六・九の能登半島沖地震の余震域内に震源があるということで、能登半島沖地震の余震である可能性も否定できません。つまりは、今後大きな地震がいつ起こり得るともわからないという状況だと思います。 過去を見ても、三月という月は多くの地震が発生しています。二〇〇〇年以降で数えましたが、とうとい命が失われてしまった地震は十九あります。
石川県の今回の地震は、かつて二〇〇七年に起きたマグニチュード六・九の能登半島沖地震の余震域内に震源があるということで、能登半島沖地震の余震である可能性も否定できません。つまりは、今後大きな地震がいつ起こり得るともわからないという状況だと思います。 過去を見ても、三月という月は多くの地震が発生しています。二〇〇〇年以降で数えましたが、とうとい命が失われてしまった地震は十九あります。
実は、二〇〇七年の三月二十八日に、私は、当時、広瀬さんが保安院長だったんですが、能登半島沖地震に伴う志賀原発の問題について質問しました。
私の選挙区で能登半島沖地震が起きましたが、そのときは三百三十四戸つくったんですが、このときでも二カ月弱かかっています。三カ月で三万戸というのは非常に私は速いペースだと思いますし、また、第一次補正予算についても、遅いという批判がありましたが、阪神大震災のときには三回の補正予算が組まれて九カ月かかっていますが、その九カ月、三回分の金額も上回っている。
その後、中越地震、能登半島沖地震等々があり、また山口での洪水等がありましたが、我々ケアマネジャーがその際、地域の高齢者の安否確認等々、また今般の東日本大震災の津波もありましたが、車も流され、事業所も流された中で、徒歩で高齢者の安否確認等をした仲間たちがいます。これは、日本に介護保険を導入したことのメリットというか、別の意味のメリットがあるということも御承知いただきたいと思います。
浜岡原発の場合は百五十年という周期的な地震に見舞われる地域にあり、三十年以内に八七%という確率が示されたわけですが、そこでお聞きしますが、一九九五年の阪神・淡路大震災以降、二〇〇三年の十勝沖地震、二〇〇五年の宮城県沖地震、二〇〇七年の能登半島沖地震と中越沖地震、二〇〇九年の駿河湾地震と続き、日本は地震の活性期に入ったという説があります。
○魚住裕一郎君 二年前に能登半島沖地震がありましたけれども、私、夜に能登半島をずっと走ったら真っ暗なんですよ。だけれども、そこで一軒だけこうこうと電気ついているのがコンビニでございまして、ああ、こういうところ本当に多くの人が来ているなというのは実感したんですけれども、やはりそういうことも考えていただきたいなと思います。 次に、がん保険。
能登半島沖地震において被災した方々のための応急仮設住宅の現状についてお伺いします。 能登半島地震は、十九年三月二十五日に発生し、はや二年が経過いたしました。当災害対策特別委員会は、昨年八月に、私も含めた五名の委員を石川県に派遣して能登半島地震の被災地における復興状況を調査いたしました。
ところで、ちょうど一年前、三月、昨年の三月二十五日でございますが、能登半島沖地震というのがございました。輪島を襲い、春先のまだ肌寒い時期であったわけでございますが、いまだ輪島とか七尾、穴水、志賀で二百五十一世帯五百七十九人が仮設住宅十か所で暮らすという状況ではあります。もちろん、一年間掛けて、国からも支援もらいながら、復興へ一生懸命取り組んでいるというところでございますが。
○国務大臣(冬柴鐵三君) 委員の近くでは能登半島沖地震に引き続いて新潟県中越沖地震がありまして、私もすぐ飛んでいきました。本当に悲惨に道路が崩れているんですよ。それで、この道路は、八号線、それから高速道路ですね、こういうものがやられていましたけれども、私はそこへ行って、本当に昼夜を分かたずその復旧に頑張っている人たちを励まし、本当に真っ黒けの顔で、ひげも伸ばして、やっていましたよ。
本年も、能登半島沖地震や中越沖地震、さまざまな災害がございました。その災害の被災者の皆様に民主党の総務担当として心からお見舞い申し上げ、一刻も早い災害復旧、これを民主党としても目指していきたいというふうに思います。 ただ、そこで議論されるべき視点は、やはり危機管理に対する体制だというふうに思います。特に、中越沖地震、柏崎のあの原子力発電所の火災が起きたときにどういう対応をとったか。
○冬柴国務大臣 答弁させていただく前に、能登半島沖地震で被災をされました北村議員、御家族に対してもお見舞いを申し上げたいと思います。 幸い、能登空港は、飛行場が安全であるということを国土交通省の航空局におきまして確認ができましたので、発災の翌日から正常に今日まで運航を続けることができたということは、地元の方にとっても大変喜びであったと思います。
まず、能登半島沖地震でございますが、去る今月の一日、二日、私自身、輪島市門前町の現場を見てまいりました。そして、三つの学校、門前中学校、門前東小学校、門前西小学校を見てまいったところでありますが、比較的落ち着いた様子ではありましたけれども、その後、被災をしたおうちに住む子供たちも学校に来ているはずであります。
今度の能登半島沖地震でも言えるんですが、住宅が崩壊しているのは、やはり古い住宅だということなんですね。それで、今、最も求められているのは、何といっても住宅の耐震診断と改修というものを進めていくことだというふうに思っていますし、今後の方向性について議論しておかなければならないというふうに思います。
まず最初に、能登半島沖地震の被災者の皆様に、私も心よりお見舞いを申し上げたいと思います。そしてまた、委員会の理事を初め多くの方々、あるいは現場の職員の多くの皆様の御尽力に心より敬意を表したいと思います。 大臣の所信に対する質疑ということで、ある程度長目の時間をいただきましたので、幾つかの点について御質問をさせていただきたいと思います。
三月二十五日に起こった能登半島沖地震で亡くなられた方々や被災された方々に御冥福とお見舞いを申し上げる次第でございます。 さて、地震については、国の全体の方向性は、これまでの予知という観点から防災へという形へ大きくシフトしたと私は思っています。
この間、石川県能登半島沖地震がございました。早速、その被害状況、地震後の異変、亀裂がここに入ったとかそういうことを明らかにされていましたけれども、前回、その異変の部分の写真、これもちゃんと提示、公表したらどうですかと、改ざん改ざん、隠ぺいというのをさんざん言われてきたわけなんで、このように求めたわけなんですけれども、何ら返答がないんです。
国土地理院さんが最新の技術をもってすばらしい様々な成果を発揮しておられるということは、先般の能登半島沖地震でも、地殻の変動、移動が何センチだということまで瞬時にして発表されたという報道があったわけでございますけれども、それを見ても、最新の技術を使ってすばらしい成果を発揮しておられるなとあのとき思った次第なんですが、そう思って先日の大臣さんの提案理由説明を聞かしてもらいました。
○北澤俊美君 今の答弁をお聞きしていても、大臣もお分かりだと思いますが、先ほども話があったように、能登半島沖地震にも大変な貢献をしてきておりますし、この後、河川局長、道路局長からも御答弁を後ほどいただくと思っておりますが、最低限こういう基礎的なものにはきちんとした、財政逼迫の折とはいいながら、種芋まで売って生活が成り立たないような話が我が日本ではあってはならぬと、こういうふうに思っておりますので、後
冒頭、日曜日に起こりました能登半島沖地震の件について、幾つか簡単にお尋ねをしたいと思います。 翌日の新聞報道も含めて、大臣、今回はかなり早く政府の対策本部も設置をされ、また、災害担当大臣も現地に視察をされということで、いろいろな意味で今までの教訓が生かされているなとは思っています。
地震学の石橋教授がコメントを出しておられますが、原子炉の圧力容器や建屋にひびが入るようなことはないはずだが、配管や機器などに損傷が生じて重大事故につながるおそれはある、もっと原発に近い場所で起こることも考えられ、今回の地震の事象は警鐘とすべきであるということを、今回の能登半島沖地震の中で語っておられます。
私、せんだっての能登半島沖地震で記録された加速度を幾つか見ていますと、それをまず最初に政府参考人に聞きたいと思うんですけれども、最大値が何ガルであったのか、平均値は二百二十六ガルと言われているんですが、志賀原発のサイト内の最大値が何ガルであったのか、一号機、二号機の緊急停止の基準は幾らなのか、このことを最初に伺いたいと思います。
今般発生をしました能登半島沖地震、地域にとりまして戦後未曾有の地震災害となったところであります。 まず、亡くなられた方の御冥福を祈り、そして、多くの被災者の皆様に心からお見舞いを申し上げたいと存じます。
しかし、この能登半島沖地震も踏まえて、これは徹底しなければいけないだろう、グレーゾーンとか、ぼんやりやっているなんということは許されないというふうに思いますが、文科省、どうでしょうか。