2020-03-03 第201回国会 参議院 予算委員会 第5号
憲法改正につきましてはいろいろな意見がありまして、例えば、終戦後、GHQの余り憲法に、ない、詳しくないスタッフによって十日間余りで起草された翻訳憲法だと、これはやっぱり日本人独自の価値観に基づいて憲法を改正すべきだと、こういう意見の方。
憲法改正につきましてはいろいろな意見がありまして、例えば、終戦後、GHQの余り憲法に、ない、詳しくないスタッフによって十日間余りで起草された翻訳憲法だと、これはやっぱり日本人独自の価値観に基づいて憲法を改正すべきだと、こういう意見の方。
ただし、翻訳憲法であるために天賦人権思想のような書きぶりのところが多かったので、その辺の文言を直させていただきました。加えて、家族の相互の助け合いという精神を入れさせていただきました。 統治機構については、大きな改正はしておりません。今回は憲法全体の見直しを行うため、例えば一院制などの個別の課題は別途議論することの方が適当であると考えたからであります。
ところが、日本はあの憲法を進駐軍のおっしゃるままに制定したいわゆる翻訳憲法と言われている。しかしドイツは、占領下は占領軍が憲法なんだから占領中は憲法は要らぬと言って、平和条約が締結されるまで憲法制定を拒否しましたね。そして、つくった憲法も三十三回の改正を、昨年ですか、なさったと聞いております。
が、久保さんのお尋ねは、政治家として、俗に大別して改憲論者と護憲論者とあればどっちの範疇に属するか、恐らくこういうことでございましょうが、少し話が長くなって申しわけありませんけれども、戦後、まだ学生時代でございましたけれども、戦争裁判等を傍聴に参りまして、それからまた憲法論議がかまびすしく行われるようになった当時、私自身は何だか翻訳憲法というようなものにある種の抵抗を感じておった時代があったと思います
○山口(鶴)委員 竹下さんと私、ほぼ同じ世代ですけれども、私は日本国憲法が制定せられたときに、翻訳憲法というようなそういう意味の疑念は持ったことはありません。やはりすばらしい憲法だ。民主主義、基本的人権の尊重、しかも絶対平和主義、これでなくてはならない、こういう決意を持った。その辺、竹下さんと政治家になる以前の原点からして少し考えが違ったのかなということを思わざるを得ません。
あえてもう一つ申しますならば、私も山口さんと同じ年配でございますから、何か当時、翻訳憲法と言われる時代に青年時代のある種の抵抗感というものはあったんじゃないかな、これはノスタルジアのようなものかな、こう思っております。
これは私がまだ学生時代、よく戦争裁判を傍聴しましたり、また、本院等における憲法論議を聞いておりました当時、結果として同じものであっても、当時翻訳憲法という言葉が使われておりましただけに、自分の手で書いてみたい、こういう青年らしい考えを持った事実を述べたことはございます。いずれにせよ、政治日程にのせる考えは全くございません。 次が靖国問題であります。
竹下総理は、自民党総裁選に当たって、翻訳憲法は自分の言葉で書くべきだと述べましたが、憲法を守るのかどうか、政治理念の基本問題として明らかにしていただきたいと存じます。 中曽根総理は、戦後の総理で初めて靖国神社の公式参拝を行いました。
御指摘のございました点につきましては、私が学生時代、この議場で憲法改正議論を傍聴しておりました当時、いわば翻訳憲法論議を通じて、同じものでも我々の手で書きたい、こういう考えを持った過去の思い出話をしたことは事実ございます。したがって、私は、今日憲法改正問題を政治日程にのせる考えは全くございません。 それから、靖国問題でございます。
国民の発想によらない翻訳憲法にも等しいこの他動的な憲法を擁護することは一体どういうものであろうかと、このように私は考えざるを得ないのであります。 ちなみに諸外国の例を見ると、時代の変化に応じて多くの憲法改正をしております。第二次大戦後三十五年間を見てもほとんど改正されておりまして、ひとり日本だけが改正されておりません。これはひとつ先ほどお見せしたのをちょっと配ってください。 〔資料配付〕
この中のまず第一、あなたの最初の、占領軍の指示による憲法、占領軍の翻訳憲法、押しつけ憲法、ここにくる。いいですか。「占領中に新憲法を押し付けたことは、国際儀礼を無視した屈辱であり、この点現憲法は国際法違反」である。あなたの言う占領軍の指示というのは、自主憲法制定国民会議からすれば国際法違反だ、占領軍が押しつけたんだ。だから、国民の正式に認知を受けていない憲法。あなたはその趣旨で言っておられる。
私の本意どおりに伝えられているのもございますし、本意と食い違っているものもいろいろあるわけでございまして、私は、翻訳憲法などと憲法軽視と受け取られるような発言は厳に慎んでおるつもりでございまして、これからもそういう姿勢で進まなければならない。しかし、憲法論議だけは大いにやってもらいたいものだな、こう思っているわけでございまして、不幸にして国会は政府と政党との間の質疑応答が中心になっております。
そこで法相は、初めは現在の憲法は占領軍の翻訳憲法だと言おうと思ったが、誤解されてはいけないからやめたというのですね。いまの憲法というのは占領軍の翻訳憲法だ、こう言おうと思った。あなた言わないで、最後まで黙っているならいいですよ。
、あえてしぼって申し上げておきたいのは、憲法の条項をきちんと文理解釈、論理解釈もあわせて進めていくとして、その論理解釈のことで言うなら、マッカーサーがつくったという話がありますけれども、しかし、マッカーサーのアメリカ上院における証言、あるいはその後の日本側からの調査団に対する証言とか、その他をあわせて、この九条の挿入については幣原元総理の主張であったということを十分に裏づけておりますから、今日、翻訳憲法
○政府委員(角田礼次郎君) まあ午前中申し上げたと思いますけれども、憲法の制定の経緯その他いろいろなことが解釈の上で勘案されるのは当然だと思いますが、しかし、何か、いま言われたように、翻訳憲法とか、そういうようなことを私どもとしては全然考えておりません。
第二に、現行憲法は、占領下の押しつけられた翻訳憲法であるという評価もありまするが、一がいにそれでこの憲法はいけないということは、いささか感情に過ぎるのではないかと思うのでありまするが、また、憲法改正にあたって、検討をするにあたって、明治憲法の郷愁を持ち、明治憲法に復帰すると、そのような考え方を基本に持つことは、絶対に持つべきではないと思うのであります。
やはり問題は別で、かりに憲法が翻訳憲法であれ、押しつけ憲法であれ、よいものはやはりよいと判断しなければなりません。ただ形式的には、それでは連合国軍が立法させたものは全部同じに考えるという論理も成り立ちますが、やはり実質的に考えなければいけないと思いますので、私はそれはそれ、これはこれで考えるべきであって、向こうを立てればこっちも立てなければいけないという改憲論には、私はにわかに賛成いたしかねます。
今日政府与党の諸君は、現行憲法をマッカーサー憲法と呼び、あるいは翻訳憲法と呼び、そうして独立国家には独立国家にふさわしい自主憲法を持たねばならぬ、こう主張しておるのでありまするが、一体、自主憲法制定の意図はどこから来ておるのか、申すまでもなくアメリカの要請によってきておることは明らかであります。
鈴木先生にお伺いいたしますが、大へんまあマッカーサー憲法だの、翻訳憲法だの、あるいは国民の意思に沿わない憲法だの、最近議論、百出しておりますけれども、私たち第九十帝国議会の議事録等を読み、あるいは敗戦後の日本の当時の国民の心理状況を考えたとき、あの残虐きわまる戦争に対する反省、あるいは古い日本の権力支配階級の弾圧、こういうことを考えたとき、まあわれわれは松本私案等を見たとき、まことにあれが敗戦後の日本政府
それからそういうものがこの憲法の中に出てきておるので、しかもそれが日本に対しては、私は憲法というものは、わが国の国民の精神というものを打ち込んでおること、そうして国民の中から沸いてきておるのだというものでなければならぬのに、先ほど一番最初お伺いしたように、これは翻訳憲法である、マッカーサーが指示した憲法である。いいからいいじゃないかというようなわけにはいかぬのだ。
(笑声) この説明書によりますと、「現行憲法が昭和二十一年占領の初期において、連合国最高司令官の要請に基き、きわめて短期間に立案制定せられたものであり、真に国民の自由意思によるものにあらざることは否定しがたき事実であります」、こう述べておられまするが、こういう理由であるからして、現行憲法は押しつけられた憲法あるいは翻訳憲法、いろいろな呼び名があって、端的にマッカーサー憲法という呼び名で言われております
かくて権力の陰に隠れ、権力を巧みに利用いたして参りました彼らは時代到来と見るや、きのうまでの態度を一変し、外国勢力への巧妙きわまる阿諛迎合に終始しながら、国内に対し、国民に対しましては、現行憲法を、与えられた憲法とし翻訳憲法でありマッカーサー憲法と主張いたしておるのであります。
勿論今日、憲法は有難い新憲法と言われておりますけれども、これとても載る意味では翻訳憲法であります。従つておのずからなる日本人の姿、おのずからなる日本人の気持というものは、まだ憲法のうちに滲透しておりません。