2021-02-10 第204回国会 衆議院 予算委員会 第8号
これはもう相当古い時代の、美濃部都知事という方の時代からもいろいろないきさつがあって、なかなか実施されなかったという中で、大深法ができて今日までに来ているわけですから、これは是非、住民の方々のとにかく要求をしっかりと聞いて、安心を担保した上で是非日の目を見るようにしていただきたいと思うのです。
これはもう相当古い時代の、美濃部都知事という方の時代からもいろいろないきさつがあって、なかなか実施されなかったという中で、大深法ができて今日までに来ているわけですから、これは是非、住民の方々のとにかく要求をしっかりと聞いて、安心を担保した上で是非日の目を見るようにしていただきたいと思うのです。
翌年の一九三五年二月の帝国議会貴族院本会議では、天皇機関説を唱えていた美濃部達吉、当時貴族院の勅選議員でありました。この美濃部達吉が激しく攻撃をされ、九月にはもう辞任に追い込まれます。翌年、一九三六年二月二十一日には、その美濃部さんが右翼に襲撃、銃撃をされて重傷を負います。その数日後にあの二・二六事件が起きるわけですね。
ここを読みますと、まず、美濃部博士のとっておられます各種の憲法上の論点につきましては、政府が今までとっておりまする方針と違うところが幾つもあるわけでありますと。違うんだということをはっきり答弁されているんですね。その上で、しかし、それは学問上の見解として、独立の見解として述べておられますので、政府として、その見解それ自体の当否を直接に争う必要もないと考えられます。
そして、学説の代表者である美濃部達吉貴族院議員の著作は発禁処分とされ、美濃部氏は貴族院議員を辞めさせられ、公職から追放されたわけです。 今総理が言ったこと、学問の自由は守るけれども、でも、全く同じじゃないですか。権力の側は、いつでも自由は守ると言いながら自由や人権を迫害してきたんですよ。菅政権がやっていることは戦前の政府がやった学問の自由の侵害と一体どこが違うのか。
公営ギャンブル廃止を掲げ東京都知事になった美濃部亮吉さんです。美濃部さんは、使い道が良ければ違法行為が許されるというものではない、鼠小僧も犯罪者に変わりはないと主張し、公営ギャンブルを倫理の観点から厳しく批判されました。 美濃部さんの主張は、公営ギャンブル全体を廃止させるまでには至りませんでしたが、目的の公益性についてより厳格な解釈を要求するものとなり、司法当局にも大きな影響を与えました。
費者及び食品安 全、海洋政策) ) 福井 照君 国務大臣 鈴木 俊一君 出席政府特別補佐人 内閣法制局長官 横畠 裕介君 委員外の出席者 衆議院事務局 国家基本政策委 員会専門員 辻本 頼昭君 参議院事務局 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
元榮太一郎君 西田 実仁君 山口那津男君 大塚 耕平君 榛葉賀津也君 牧山ひろえ君 小池 晃君 事務局側 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
敏充君 国務大臣 (地方創生担当) (規制改革担当) 梶山 弘志君 国務大臣 鈴木 俊一君 内閣官房副長官 西村 康稔君 内閣官房副長官 野上浩太郎君 政府特別補佐人 (内閣法制局長官) 横畠 裕介君 衆議院国家基本政策委員会専門員 辻本 頼昭君 参議院常任委員会専門員 美濃部寿彦君
しかし、攻撃は、議会も使い新聞も使い執拗に行われ続け、最終的に美濃部達吉氏の著書三冊が発行禁止の処分となりました。また、美濃部氏は、不起訴処分となりましたが、不敬罪で取調べを受け、ついには右翼の銃弾を受けるに至ってしまったわけです。 このような思想弾圧がやがて政党政治を破壊し、軍部独裁への道を開いた、このことをやっぱりいま一度私たちは直視すべきだというふうに思いますよ。
水落 敏栄君 大塚 耕平君 那谷屋正義君 羽田雄一郎君 西田 実仁君 山口那津男君 小池 晃君 事務局側 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
元榮太一郎君 小川 勝也君 那谷屋正義君 羽田雄一郎君 西田 実仁君 山口那津男君 小池 晃君 事務局側 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
水落 敏栄君 有田 芳生君 小川 勝也君 小川 敏夫君 西田 実仁君 山口那津男君 小池 晃君 事務局側 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
水落 敏栄君 和田 政宗君 小川 勝也君 小川 敏夫君 西田 実仁君 山口那津男君 小池 晃君 事務局側 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
当大臣(規制改 革、地方創生) ) 山本 幸三君 国務大臣 丸川 珠代君 出席政府特別補佐人 内閣法制局長官 横畠 裕介君 委員外の出席者 衆議院事務局 国家基本政策委 員会専門員 大町 寛君 参議院事務局 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
水落 敏栄君 小川 勝也君 小川 敏夫君 蓮 舫君 西田 実仁君 山口那津男君 小池 晃君 事務局側 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
国務大臣 (少子化対策担当) (男女共同参画担当) 加藤 勝信君 国務大臣 (地方創生担当) 石破 茂君 国務大臣 遠藤 利明君 内閣官房副長官 世耕 弘成君 政府特別補佐人 (内閣法制局長官) 横畠 裕介君 衆議院国家基本政策委員会専門員 大町 寛君 参議院常任委員会専門員 美濃部寿彦君
加藤 敏幸君 郡司 彰君 荒木 清寛君 山口那津男君 山下 芳生君 片山虎之助君 中野 正志君 事務局側 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
山本 順三君 加藤 敏幸君 郡司 彰君 西田 実仁君 山口那津男君 山下 芳生君 室井 邦彦君 事務局側 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
田村 智子君 寺田 典城君 松沢 成文君 国務大臣 文部科学大臣 馳 浩君 副大臣 財務副大臣 岡田 直樹君 大臣政務官 財務大臣政務官 大岡 敏孝君 事務局側 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
那谷屋正義君 森本 真治君 秋野 公造君 新妻 秀規君 柴田 巧君 田村 智子君 松沢 成文君 事務局側 常任委員会専門 員 美濃部寿彦君
美濃部達吉先生の特異な説ではない、当時の通説でありました。 ところが、あるとき、この天皇機関説に対して、天皇陛下を機関車に例えるとは何事かという余りにも低レベルな批判でつるし上げ、この天皇機関説を、専門家が圧倒的に通説としている天皇機関説を排斥したんです。日本が曲がり角を間違えた、そんな時期と重なります。 もう一つ、戦前の軍部の問題として、統帥権の独立が挙げられます。