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3729件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2020-10-07 第202回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

この祝辞を紹介をした我が党の吉川春子参議院議員の質問への丹羽兵助総理府総務長官答弁では、あくまで学術会議は国の代表的な機関であると、学術会議こそ大切なものだという考え方、それがこれに干渉したり中傷したり運営等に口を入れるなどという考えは、吉田総理がその当時言われたことと変わってはおりませんし、変えるべきではないと。  

塩川鉄也

2019-03-13 第198回国会 参議院 予算委員会 第8号

その後、元号制度として明確で安定したものであることが必要との議論を踏まえまして、昭和三十六年、閣議決定によりまして、総理府総務長官が主宰いたします公式制度連絡調査会議を設置し、昭和五十三年六月、元号法制化促進国会議員連盟が発足、同年十月に閣議において元号法制化基本方針を内定し、昭和五十四年二月に元号法案閣議決定し、同年六月、国会において成立、公布されたところでございます。  

嶋田裕光

2007-02-23 第166回国会 衆議院 予算委員会 第14号

ちょうど中曽根内閣のもとで後藤田官房長官がお務めをいただいていたと思うわけでございますが、そのとき、深谷先生総理府総務長官をお務めでございました。たまたまでございますが、安倍総理と私はそれぞれ、外務の政務秘書官、私は経企庁の政務秘書官、同じ時期にお世話になって、私も後藤田官房長官からじきじき御指導いただいたことを覚えているわけでございます。  

塩崎恭久

2005-03-30 第162回国会 衆議院 外務委員会 第4号

下地島空港というのは、もう御承知のことですけれども、一九七一年に当時の琉球政府行政主席屋良朝苗氏と、当時の総理府総務長官山中貞則氏、運輸大臣丹羽喬四郎氏との間に、その空港については民間航空訓練及び民間航空以外に使用させる意思はないということ、そして政府も異存のないことを確認してきました。  

赤嶺政賢

2004-04-06 第159回国会 参議院 文教科学委員会 第8号

それは一九八〇年から一九八一年の間に、当時の中山太郎総理府総務長官より当時の伏見康治先生に、日本学術会議会員選出法改革が要求された結果であったと思います。そのとき、伏見先生が私に漏らした感想は、人間は座布団の上へ座ったときにその座布団自分が持ち上げても自分を持ち上げることはできないよねと言われた感想を聞いたことがあります。

有馬朗人

2004-03-25 第159回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

ところが、下地島空港というのは、沖縄復帰のときに屋良朝苗さん、当時の琉球政府行政主席と、それから当時の総理府総務長官山中さん、この前お亡くなりになりました山中さん、それから運輸大臣丹羽喬四郎さん、この合意がありまして、どういう合意かというと、運輸省としては同訓練飛行場民間航空訓練及び民間航空以外の目的に使用させる意思はなく、また民間航空訓練及び民間航空以外の目的に使用させることを管理者である琉球政府

小泉親司

2004-03-23 第159回国会 衆議院 本会議 第17号

(拍手)  昭和四十五年には、第三次佐藤内閣の最重要課題であり、戦後、日本の最重要課題であった沖縄返還の掌にあたるため、先生は請われて総理府総務長官就任されました。沖縄祖国復帰が終わらない限り、我が国の戦後は終わらないとの佐藤総理の決意に応えるべく、先生は全身全霊を傾けられたのであります。  沖縄返還には、数々の難問が待ち受けておりました。その一つが円・ドル交換問題であります。

小里貞利

2002-03-18 第154回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

こういったことを踏まえて、これは昭和四十七年三月の同委員会山中総理府総務長官が沖振法の審議で答弁されています。「いままで存在したかつての本土、現地を通じて最も高い補助率、さらにまた性格によって、道路、港湾、空港漁港等については十分の十の補助率をもって実施する」ことにいたしているわけでございますと。  

武正公一

2001-11-28 第153回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

今は行政改革もなされまして中央省庁の体制も変わりましたので、これまでは、例えばの話でございますが、古くは定年制度の導入、昭和五十二年当時でございますが、このときは閣議決定で、定年制度を導入しますと、これは内閣としての方針を出しまして、それを、当時の総理府総務長官、現在では恐らく内閣府になるのかと思いますけれども、そちらの方で人事院の方に意見を出してほしいというような要請を行っております。

金子善次郎

2000-05-30 第147回国会 衆議院 本会議 第38号

また、内閣にあっては、昭和五十四年十一月には大平内閣総理府総務長官沖縄開発庁長官として初入閣を果たされました。時に小渕恵三、四十二歳の若さでありました。  さらに、昭和六十二年十一月、竹下内閣が発足するや官房長官就任。君は、持ち前の気配りと人柄のよさで、与野党問わず、陳情や要望に耳を傾け、「千客万来」、「開かれた官邸」を目指す総理の期待に見事にこたえたのであります。  

村山富市

2000-03-08 第147回国会 衆議院 建設委員会 第3号

制定当時の総理府総務長官は現小渕総理ということで、そういう意味でも感慨深いものがあるわけでございます。  私はことしになって二度明日香村を訪れたのですが、本当にすばらしい歴史的風土、景観、よくこんなに見事に残していただいたなということをつくづく感じるわけであります。大阪から四十分ぐらいのところなんですね。遠い田舎と違うのですね。

辻第一

1999-03-16 第145回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

まず、そもそも沖縄振興対策というのは、沖縄復帰の際に当時の山中総理府総務長官が、多年にわたる忍耐と苦難の中で生きてこられた沖縄県民方々の心情に深く思いをいたして、県民への償いの心を持って事に当たることが重要だという基本的な立場から進められているものだと思います。  

小泉親司

1998-05-13 第142回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第8号

その際に、私は、交通遺児育英会という、民間の多くの方々の善意の寄附によって三百六十億もの資産ができて、そしてこれによって不幸な青少年の教育の援助をしようという、大変社会的な価値のある事業をしているそういう団体に対して、総務庁が、平成六年に元総理府総務長官を送り込んで、そればかりではなくて、さらにスタッフを送り込み、また、内部の運営に対しても過度の干渉をして、混乱を巻き起こしておる。

石井紘基

1998-03-25 第142回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第5号

そういう中で、平成六年から、先ほど言いました、総理府総務長官をやっておられました宮崎さんが理事長に推挙されたわけでございますが、実は宮崎理事長は、私冒頭にお話ししました、昭和四十四年当時、政府全体として取り組むという方針のもと、動いたときの政府側の実際上の中心者であられた方でございます。

大坪正彦

1998-03-25 第142回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第5号

大坪政府委員 先生がどのような資料を見て言っておられるかちょっとわかりませんが、私が今持っております九年十月一日現在の役員名簿によりますと、元公務員の肩書を持っておりますのは、総理府総務長官、それから文部事務次官、警察庁の交通局長、通産省の東京通産局長、こういう経歴を踏まれた方というふうになっております。

大坪正彦

1997-06-17 第140回国会 衆議院 文教委員会 第20号

石井理事長が亡くなって、これは平成六年ですが、後任に元総理府総務長官宮崎清文さんが就任平成六年四月からだと思います。それから今日までの三年間余りは、マスコミでも大きく取り上げられたりするいわゆるお家騒動とも言えるごたごた続きで、学生時代からこの運動一翼を担っていた私たち学生募金OBにとっても心痛む思いであります。  

藤村修