1954-08-03 第19回国会 参議院 通商産業委員会 閉会後第4号
我が国は終戰以来資源に乏しく人口が多過ぎると、言われておりますが、北海道を見聞するに及びましてその逆のことが言えるのであります。特に石炭鉱業におきましては、現在でも農業と共に北海道における生産の双壁をなしていますが、前に述べましたごとく、将来において我が国石炭供給源の主力となるべき地と考えます。
我が国は終戰以来資源に乏しく人口が多過ぎると、言われておりますが、北海道を見聞するに及びましてその逆のことが言えるのであります。特に石炭鉱業におきましては、現在でも農業と共に北海道における生産の双壁をなしていますが、前に述べましたごとく、将来において我が国石炭供給源の主力となるべき地と考えます。
終戰以来ほとんど毎年のように機構が改正されておる。
我々といたしましても、とにかく終戰以来税金は非常に高くなり、国民は非常に困る、だからしていやしくも国費の経理ということになりました以上は、これを能率的にやつて行く、無駄なことはしない、いわんや不正なることがあるのは以てのほかだ、こう思つております。
○政府委員(河野一之君) どういう工合に考えるかということでありますが、国の経理の状況は終戰以来一時非常に紊乱いたしたのでありますが、その結果これが規正にいろいろ努力いたしたのであります。最近ようやく会計事務のほうも軌道に上つて参つているように感ずるのでありますが、なお御指摘のように、検査院の報告にもありますように、不当の事件があとを断たないことは誠に遺憾に存じておる次第であります。
終戰以来しばしば電力不足がございまして、これが如何に我が国の産業の発展或いは民生の安定に重大なる影響を與えたかということは、我々が親しく体験したところであります。電力の確保こそは、実に我が自立経済達成のために絶対な必要條件であると申しても過言ではないのであります。(「ノーノー」と呼ぶ者あり)戰後日本に残された資源といたしまして先ず第一に挙げられるものは水力電源であります。
終戰以来、国権の最高機関である国会を越ゆる権力のあつた占領政治下においては、第一、第五国会においてそれぞれ四回、第二、第六、第十国会にてそれぞれ三回の会期延長がなされており、事情止むを得なかつたものもあることを認めまするが、四月二十八日独立後における国会運営においては、会期延長は軽卒になさるべきものでないと確信いたします。
この問題の解決に対する本委員会の意図をおくみとりくださいまして、終戰以来御帰還に至るまでの概要、並びに現地における同胞の状況等につきお話くださることをお願い申し上げます。 なおお話の時間はお一人大体十五分くらいにお願いをいたし、続いて委員よりの御質疑に応じて補充的なるお話を願いたいと存じます。まず最初に宮山滋夫君。
○中村専門員 請願者愛知県中島郡今伊勢町今枝長兵衛外百名、本請願の要旨は、毛織物の生産地として有名な尾西地方に位する愛知県中島郡今伊勢町は、終戰以来機業および附帯工業、その他の商業等が急速に発展し、新規業者の増加も、また著しいものがあるが、業界取引上の生命ともいうべき電話施設がきわめて少く、近時機業の不況に際して取引が全国的となり、通信網も拡張されつつある今日、至宝的な電話を有する商人に対抗し得ず、
現行の電信法につきましては、終戰以来の情勢の変化、ことに新憲法の制定に伴いまして、当然改正せられなければならないものと考えておつたのであります。また電信線電話線建設條例は、制定以来すでに六十余年を経過しておりまして、もうすでに久しい以前から、その内容はその後の社会情勢の変化に伴わないものとなつておりましたので、これもなるべくすみやかに改正すべきものと考えておつたのであります。
従つて、終戰以来まつたく空白状態にあつたわが国航空機の製造と、航行事業の急速な発達のために、両法案は首尾一貫した方針のもとに、最も有効適切な運用がはかられなければならないのであります。 本航空法案の基本的な考え方は、航空機の製造に関する検査は通商産業省が行い、安全性に関する検査は運輸省が行うという建前であります。
○説明員(中路誠三君) 東京附近の通勤緩和、これは車輌も施設もございまするが、これらあたりに対しましてはいろいろ終戰以来努力しておるわけでございますが、何せこの異常な旅客の増加によりまして、なかなかケースが合わなくて、実は跨線橋のごときもお説の通り地下道にするという問題もございまして、そういうことは、例えば品川駅等におきましては今度は非常に八メーターの大きな地下道を作つておるような状況でございます。
さて、わが国は、終戰以来年をけみすることここに七歳、今日までの日本経済が、幾多の困難を克服して、ここまで回復して参りましたことは、国民の旺盛なる復興意欲と、たゆまざる勤勉努力によるものであることは、もとよりでありまするが、一面また、連合軍の寛容な占領政策と、好意ある経済援助にまつところきわめて大であつたことも明らかな事実でありましてわれわれのひとしく感謝するところであります。
修正案におきましては、第一条に「義務教育無償の原則に則り」というような言集を掲げ、しかも、妥当な規模と内容とを保障するため、その内容を検討して、さらにそれによつて教育の機会均等をはかるというような、りつぱな言集がうたつてあるのでございまして、これはわが国終戰以来の大きな法案でございます。
然るに終戰以来国内法規の整備というものがあらゆる意味において行われたにかかわらず、ひとり民事手続においては未だ整備されていないのです。その日暮しです。基本たるところの民事訴訟法においても然りです。而して先ほど申しましたごとく、その実現を最終段階において図るところの執行吏制度に対して遅まきながらという今御説明がありましたが、遅きに失するのです。
終戰以来七年の今日、奇蹟的に生命を全うし得まして、この講和発効の喜びを迎え、国運の将来に再び光明を見出すことができましたことは、感激おくあたわざるところであります。従つて、この講和條約が、軍に歴史の一事実としてのみならず、国民一同の永久平和の実行宣言となることを念じてやみません。
終戰以来、支那東海及び黄海あるいは北海道近海等の諸海域におきましては、日本漁船約四百隻が拿捕され、四千三百名以上の乗組員とともに抑留をされておるのであります。しかも、これらの海域は、底びき網その他の漁業の好漁場でありまして、わが国漁業の振興上から申しましても、国民の食生活から申しましても重大なる影響を持つておるのであります。
○石原(圓)委員 私は、北太平洋の公海漁業に関する国際條約の内容のいかんは、沿岸漁業との相剋摩擦を起すおそれがありますので、わが国水産業の生命線であり、全国漁民の運命を制する国家の重大條約であるのみならず、平和回復後、独立国家新日本としての最初の国際條約でありますので、私は終戰以来、わが国水産業界を代表する者の一人として日夜心胆を砕いて参つたのであります。
終戰以来すでに六年半をけみし、今や国民経済も着実に復興しつつあり、これに伴い外客来訪数が増加するのはもちろん、邦人の国内旅行も日に多きを加えております。
(拍手)日本は、終戰以来、占領下の情ない状態のために、国民の納得のしきれないような役所が多数できまして、その国民の迷惑ははかり知れないものがあつたのであります。われわれは、一独立を機会にして、ほんとうにすつきりとした、しつかりとした、自主性のある行政を、国民とともに切望をいたしておつたのであります。
(拍手) さらにまた、経済安定本部は終戰以来日本経済再建に大きな役割を演じて来たのであるが、講和後の日本は、その片面講和の結果として、国際環境からいつても、日本経済自立のために、なお一層の経済、財政、金融一般にわたる総合的企画調整を必要としておるのであります。むしろ経済安定本部の拡大強化こそ望ましきにかかわらず、これを廃止し、経済審議庁をもつてかえんといたしております。
私は終戰以来今日まで日本の電源が僅かに三十万キロしか開発されない、そういう情ない状態、これは我々全部の責任だと思うのであります。この歎きを再び繰返してはならない。一刻も早く電源開発に着手しなければならないときだと思うのであります。
日本の経済が終戰以来自由主義的な資本主義を基調として来たことは申すまでもないのであります。戰時中行われました諸種の統制法令は次々に廃止せられて参りました。電気事業につきましても、公益事業として当然統制せられなければならない部面を除きますならば、統制が外されて参つたということが誓い得ると思うのであります。
終戰以来六箇年有余、講和の発効せられました今日、私たちの生活は、まだ最低生活さえも確保できないような状態でございます。ただ公務員即国民の一員であります立場より思いをいたしますとき、よりよき地方政治を待望してまやないものでございます。