2018-11-29 第197回国会 参議院 農林水産委員会 第4号
それ以来といいますか、二回目の選挙、帰ってきましたら、当時の農水省の事務次官から、もう米の輸入交渉は終わったと、こういうふうに八月の初めに言われて、宮澤政権から細川政権に替わって、十一月に外務大臣の羽田孜さんに付いてジュネーブに行きましたら、羽田外務大臣が、二人行ったんですけれども、おい、横に来てくれと。
それ以来といいますか、二回目の選挙、帰ってきましたら、当時の農水省の事務次官から、もう米の輸入交渉は終わったと、こういうふうに八月の初めに言われて、宮澤政権から細川政権に替わって、十一月に外務大臣の羽田孜さんに付いてジュネーブに行きましたら、羽田外務大臣が、二人行ったんですけれども、おい、横に来てくれと。
それで、京都北部には、明智光秀、明智光秀の娘である細川ガラシャ、それからその夫でもある細川忠興、こういった方々にゆかりのある史跡、名勝がたくさんございます。例えば、明智光秀が建てた福知山市の福知山城、細川ガラシャの隠棲地があったと言われる京丹後市、それから細川忠興、その父、細川藤孝がいた、幽斎ですね、舞鶴市の田辺城跡、こういうたくさんの名勝、史跡がございます。
細川内閣が誕生しましたときであります。自由民主党は、結党以来、初めての野党となり、その自由民主党が最初に直面した国政選挙が私の選挙でありました。暗闇の中から最初の第一歩を踏み出せたこの一勝の価値をばねにこれまで邁進してまいりました。 私の座右の銘は、人間万事塞翁が馬であります。
選挙後、八党派による細川連立政権が樹立され、五五年体制が終焉、私の国会議員活動は野党からのスタートとなりました。その後政治改革の議論が再び起こり、翌平成六年には政治改革四法案が成立し、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと選挙制度が変更となったのです。
ちょっと私の地元京都におきましても、本能寺の変で有名になりました戦国時代の知将であります明智光秀、それから光秀の娘である細川ガラシャなど、ゆかりの地でありますので、地元の福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、京丹後市等々、多くの関係市町村が一体となって大河ドラマの誘致活動も行っております。
そういう意味では、当時、航空業界の課題であった、例えば規制緩和であるとか、税制のあり方であるとか、空港のあり方であるとか、そういったことについては、研究をした上で、監督官庁の運輸省の方々への説明であるとか、当時自民党の航空部会の方であるとか、あと、細川連立政権にかわりましたので、各政党のそういった関係の方への御説明をしてきたという経験がございます。
この間、小泉純一郎、細川護煕両元総理が顧問を務める原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟が、運転中の原発は直ちに停止させ、廃炉計画を策定する、運転停止中の原発は今後一切稼働させない、自然エネルギーへ全面的に転換するなどを柱として、原発ゼロ・自然エネルギー基本法案を提唱されています。日本共産党の立場とも一致するもので、全面的に賛成をしています。
ですから、これだけの大きなリスクがあることを知った中で、多分、小泉元総理も細川元総理も、やっぱり原発はやめようと。私もそう考えております。 しかし、安倍総理はなかなかそれに対して同意されませんが、安倍総理、この表を見て、二百五十キロ圏から全ての人が避難するという最悪のシナリオを見て、それでも、こういう可能性があっても原発は続けるべきだ、そうお思いなのかどうか、見解を聞かせてください。
先般、小泉、細川両元総理が参加されている、いわゆる原自連とも意見交換をさせていただきました。我が党の菅元総理も含めて、党派を超えて三人の元総理が原発ゼロを訴えていることに対して、総理はそれでも無責任だと言い放つのでしょうか。世界の潮流にも福島の厳しい現実にも、廃炉や使用済核燃料処理にも目をつむり原発再稼働に突き進む姿勢こそが無責任と考えますが、いかがでしょうか。
小泉純一郎、細川護煕両元総理が顧問を務める原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟が、運転中の原発の即時停止、原発再稼働は一切認めない、自然エネルギーへの全面転換などを柱とした原発ゼロ・自然エネルギー基本法案を発表しました。基本法案の内容は我が党の立場と一致するものであり、全面的に賛成であります。協力してその実現のために全力を尽くす決意であります。 総理に三つの基本点を伺います。
歴代の厚生労働大臣、舛添要一さん、それから長妻さん、細川さん、この第三者機関をつくるということを明言をしてきました。田村大臣もまさにこの委員会の中で、二〇一三年、しっかりこのような組織に関しましても前向きに我々も考えていきたいというふうに思っておりますと答弁されていらっしゃるんですね。 是非、加藤大臣、この第三者機関つくってください。
ちなみに、この場でも出ておりますけれども、細川政権で、この獣医学部の新設について、従来の自民党政権の対応不可が、速やかに検討に変わったときの事務局長でもございます。そういった意味において、なかなか岩盤規制の象徴であったこの問題が新しいスキームのもとで日の目を見るのかと、非常に感慨深い気持ちでございました。
○山添拓君 大臣はほとんど御存じないということだったんだと思いますが、細川嘉六さんというジャーナリストが「改造」という雑誌に発表した論文がコミンテルンと共産党の目的のためにする行為だと陸軍に摘発をされて、「改造」やあるいは中央公論、その編集者、研究者が次々と逮捕されたという事件です。
条文上はそういうことでありますから、平成六年に、当時の細川内閣が、いわゆる七党、七会派の政治改革論で小選挙区比例代表並立制ができて、そのときからずっと存在する憲法問題がようやく基本的には解決する。その他の問題まで解決するわけじゃないけれども、肝心の、衆議院議員あるいは衆議院のあり方が憲法違反状態じゃないかと言われることはない状態になっている。
○塩崎国務大臣 今、盛山副大臣の方から、おおむね細川民事局長と同じラインで御答弁があったわけでありますが、先ほど申し上げたように、私どもも、児童福祉法の改正をする際に、この問題を何とか一歩前に進められないかな、こういうことで議論いたしました。
○細川参考人 審議会でまとめられた提言の中にも、万一に備えて、日本公庫等による丁寧な相談対応ということが重要であるということが明記されておりまして、先ほど申し上げましたように、私どもの業務の中でもセーフティーネット機能というのは大変重要な機能だと心得ておりますので、そこのところはしっかりと腰を据えて対応していきたいというふうに思っております。
ちょっと時間が来ましたもので、細川参考人にはお聞きできませんでしたけれども、貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございました。引き続き、中小企業のためにまた御尽力いただきますようお願い申し上げて、質疑とさせていただきたいと思います。 どうもありがとうございました。
○高木(美)委員 そうしたことに対しまして具体的にどのように対策を講じていかれるのか、当面の足元のこの対策、そこにつきまして、これは公庫も恐らく関係すると思いますので、細川参考人、また村山参考人、そして柴田参考人、お一言ずつよろしいでしょうか。もしあれでしたら柴田参考人からどうぞ。
ごく最近、細川元総理とお話しする機会がありまして、当時、一九九四年も北朝鮮との緊張状態が非常に高まったということがあって、一方で、具体的なことを進めようとするとさまざまな障害があったということも承知しておりますので、引き続き御努力いただければと思います。 経済対話の中のプレスリリースの文言で、二つありまして、一つは、二国間の貿易及び投資関係を強化とございます。
平成の時代に入り、国内外の政治、経済情勢は大きくかつ目まぐるしく変転し、湾岸戦争、政治改革、政権交代による細川内閣、村山内閣の成立と、まさに激動の時代を迎えました。そうした中、参議院自民党国会対策委員長として、橋本内閣から小渕内閣へと替わり、自民・公明連立政権へと移行する過程にも関わらせていただきました。
(厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長) 堀江 裕君 政府参考人 (中小企業庁次長) 吉野 恭司君 政府参考人 (防衛省大臣官房審議官) 土本 英樹君 政府参考人 (防衛省防衛政策局次長) 岡 真臣君 政府参考人 (防衛省人事教育局長) 鈴木 良之君 政府参考人 (株式会社日本政策金融公庫代表取締役総裁) 細川
○細川政府参考人 平成二十六年度決算検査報告において会計検査院から御指摘がありました事項につきまして、御説明申し上げます。 固定電話に係る契約につきまして、処置済み事項として御指摘を受けましたことは、遺憾であります。 既に改善のための措置を講じておりますが、今後とも適切な運営に努めてまいる所存であります。
○石関主査 次に、細川株式会社日本政策金融公庫代表取締役総裁。
総局事務総長官 房審議官 森 裕君 会計検査院事務 総局第一局長 鈴土 靖君 会計検査院事務 総局第四局長 堀川 義一君 会計検査院事務 総局第五局長 寺沢 剛君 参考人 株式会社日本政 策金融公庫代表 取締役総裁 細川