1990-11-01 第119回国会 衆議院 本会議 第5号
大正六年三月四日、砂田重政氏の長男として神戸市にお生まれになりました。お父上は、先生が三歳のときから帝国議会議員として在籍され、政友会の幹事長を務め、戦後は、自民党の総務会長、防衛庁長官等を歴任された大物代議士でもございました。 先生をはぐくんだものに、大正リべラリストとして、また自立した日本女性のかがみとして御母堂の厳しくも温かい御薫陶がございました。
大正六年三月四日、砂田重政氏の長男として神戸市にお生まれになりました。お父上は、先生が三歳のときから帝国議会議員として在籍され、政友会の幹事長を務め、戦後は、自民党の総務会長、防衛庁長官等を歴任された大物代議士でもございました。 先生をはぐくんだものに、大正リべラリストとして、また自立した日本女性のかがみとして御母堂の厳しくも温かい御薫陶がございました。
そして砂田重政さんが与党・自民党の組織局長のときには四千何百人が一遍に自民党に入ってしまった。それが悪いと言うのではない。つまり五現業といっても郵政だけじゃないか。あとはたばこをつくっておられたり、金をつくっておられたりしているが数からいっても少ないじゃないか。郵便を一生懸命配達している郵政だけじゃないか。しかも選挙といったら全国の特定局長全部が大変な犠牲を払ってやっている、確かにそれはそうです。
八木先生は、大正五年一月、愛媛県今治市に生まれ、今治中学校卒業後上京し、当時本院議員であり、立憲政友会の中堅幹部でありました砂田重政先生の薫陶を受けつつ、昭和十二年に大倉高商を卒業し、その後、昭和十七年、砂田先生がシンガポールにおもむかれた際、八木先生は、その秘書として赴任され、現地住民にあたたかい援護の手を差し伸べ、寝食を忘れて食糧、医療品などを確保し、その生活を守ることに全力を尽くされたと聞き及
日本バナナ輸入組合理事長砂田勝次郎氏を激励する会は既報の通り、十日正午から午後二時までの間、帝国ホテル「孔雀の間」で開かれた、参会者は故砂田重政氏に縁りのある政界人が多く、世話人の岸信介元首相、川島自民党副総裁、赤城同政調会長をはじめ中村文相、中村運輸相、清瀬前衆院議長、田中同副議長、南条、神田、青木、増田、石田、松田、江崎前・元大臣のほか、自民党国会議員多数、バナナ業界からは樋口荏原青果社長、岡崎磯
砂田理事長が故砂田重政先生の御令息であられるということは存じております。砂田理事長は、砂田産業というバナナ輸入会社の社長であられます。以上のことを存じております。
砂田重政氏の知遇を得、また鳩山一郎氏に私淑していた君は、立憲政友会に入り、たちまち先輩同僚の注目を集めるところとなりました。
大橋武夫さんは昭和二十六年の一月二十三日から二十七年の七月三十日まで、木村篤太郎さんは二十七年の七月三十日から二十九年十二月十日まで、大村清一さんは二十九年十二月十日から三十年三月十九日まで、杉原荒太さんは三十年三月十九日から同じく七月三十一日まで、砂田重政さんは三十年の七月三十一日から同じく十一月二十二日まで、船田中さんは三十年の十一月二十二日から三十一年の十二月二十三日まで、小瀧彬さんは三十二年
こういうふうに述べ、これに対して自民党の砂田重政氏は、無条件にこの鳩山全権初め各全権の言明を信頼してこれに賛成すると述べております。また、社会党の松本七郎氏その他のこれは賛成がありました。両院で考えますというと、自民党を初めとして社会党、共産党その他の会派がこれに全く賛成をして、政府国会の意思は全く決定されたのです。
当時、これは故人になっておられるから、聞くすべもありませんけれども、総務会長をしておられた砂田重政氏がこの人に会った。このバオダイのおいと称する人は、出時——ベトナム側は二億五千万ドルを要求しておった当時らしい。その二億五千万ドルの要求に対して善処をしてもらうように、その応援方を砂旧さんにお願いした。ところが、砂田さんはこれを一蹴されておる。
それからまた砂田重政先生は前大臣でございましたので面識ございます。しかしながら、この飛行機の選定につきまして、私のところにいまだかつてどこからもそういう、どういう機種がいい、どういう機種にしろというようなことを外部から言ってきたことは一切ございません。そのことは、はっきり申し上げます。
このグラマンが優秀であることの書類が出るに至った背後には、川島正次郎氏や大野伴睦氏、あるいはまたなき砂田重政氏らが懸命に努力してあなたのところへ出すようにしむけていった。それでグラマン派が急に有力になって、あなたがその状態を知って、一月にアメリカに直行したといわれる人もあるわけなんです。これらの事情について、国民の疑惑はやはりあるわけなんです。
このときに、死んだ砂田重政君が御存じのように自民党の全国の組織委員長をしておられた。そうして三回参議院選挙をやって、二回社会党に負けた。それをどうやってひっくり返したかというのが、この勤評の背景です。ですから現地に行ってみると、よく事情がわかるのです。その目標は教組です。ですから現地に行って事情をよく調べてみると、知事は、そう言っては悪いけれども、昼あんどんだ。
○中村国務大臣 従来の例によりますと与党の総務会長が会長になっておるようでございますが、この間総務会長がなくなり、また交代をいたしておりますから、今度開かれたときにその会長が決定することだと思いますが——砂田重政氏の後任は佐縢榮作氏ということに発会になりました。国会の御承認も得ておるはずでありますから、この会長が審議会においておきめ下さることと思います。
○安平鹿一君 ただいま議長から御報告がありました通り、本院議員正三位勲一等砂田重政先生は、旧臘二十七日早暁、心臓障害のため急逝いたされました。まことに痛惜のきわみであります。私は、ここに、諸君の御同意を得、議員一同を代表いたしまして、つつしんで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
議員砂田重政君は去る十二月二十七日逝去せられました。また、議員宇田耕一君は去る十二月三十日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。両君に対する弔詞は、それぞれ議長において贈呈いたしました。 この際、弔意を表するため、安平鹿一君及び佐竹晴記君から、それぞれ発言を求められております。順次これを許します。 安平鹿一君。
昭和三十三年一月三十一日(金曜日) ————————————— 議事日程 第五号 昭和三十三年一月三十一日 午後三時開議 一 国務大臣の演説に対する質疑(前会の続) ————————————— ●本日の会議に付した案件 国務大臣の演説に対する質疑(前会の続) 安平鹿一君の故議員砂田重政君に対する追悼演説 佐竹晴記君の故議員宇田耕一君に対する追悼演説 午後四時五十分開議
○山村委員長 次に、国会予備金支出の件についてでございますが、砂田重政君及び宇田耕一君の御両君に対して、それぞれ歳費一カ年分の弔慰金を贈呈いたさなければなりませんので、お手元に配付の国会予備金使用承認要求書の通り、御両君に対し、本院予備経費より右弔慰金を支出することを承認するに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
次に追悼演説者についてでございますが、去る二十日の理事会におきましては、社会党にお願いすることとし、社会党においては故砂田重政君に対しましては安平鹿一君、故宇田耕一君に対しましては佐竹晴記君が、それぞれ行われる旨申し出て参っておりますので、御両君にお願いするに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○山村委員長 次に、各種委員の選挙についてでありますが、お手元に配付の印刷物にありますように、裁判官弾劾裁判所裁判員予備員椎名隆君の後任として村松久義君を、裁判官訴追委員西村直己君の後任として高橋禎一君を、同予備員森山欽司君の後任として山口好一君を、検察官適格審査会委員椎名隆君の後任として牧野良三君を、国土開発縦貫自動車道建設審議会委員砂田重政君の後任として佐藤榮作君を、首都圏整備審議会委員福永健司君
○園田委員長代理 次に、各種委員の選挙についてでありますが、検察官適格審査会委員予備委員八田貞義君が任期満了につき、その後任として同君を、鉄道建設審議会委員砂田重政君が任期満了につき、その後任として同君を、それぞれ選挙することとし、本日の本会議においてこれを行うことに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
去る一日、院議をもって永年在職議員として表彰せられました議員砂田重政君に対し、さきに表彰状を贈呈いたし、また肖像画を贈呈することに相なっておりますので、お手元に配付の国会予備金使用承認要求書の通り、その経費を本院予備経費より支出することにつき、これに承認を与えるに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
同(小西寅松君外一名紹介)(第三一九号) 日本不動産銀行拡充強化に関する請願(福田赳 夫君紹介)(第三二〇号) 酒税引下げに関する請願(小林信一君紹介)( 第三二一号) 同(藤本捨助君紹介)(第三二二号) 同(二階堂進君紹介)(第三二三号) 旧陸軍共済組合員中の女子組合員に年金支給に 関する請願(中村梅吉君紹介)(第三二四号) 停年退職者等の退職慰労金課税免除に関する請 願(砂田重政君紹介
昭和三十二年十一月十一日(月曜日) 午前十一時三分開議 出席議員 委員長 大森 玉木君 理事 大野 伴睦君 理事 砂田 重政君 理事 原 彪君 理事 細迫 兼光君 青木 正君 櫻内 義雄君 林 讓治君 堀川 恭平君 和田 博雄君 ————————————— 七月二十三日 委員河野一郎君辞任につき、その補欠として
○砂田重政君 ただいまは、私が満二十五年間本院議員に在職したゆえをもちまして、恒例により院議をもって御丁重なる表彰の御決議をいただきましたことは、まことに身に余る光栄と存じ、つつしんで御礼を申し上げます。(拍手) 顧みまするに、大正八年初めて本院に席を汚しまして以来、平々凡々、何らなすところなく、まことにざんきにたえぬところであります。
本院議員として在職二十五年に達せられました砂田重政君に対し、先例により、院議をもってその功労を表彰することとし、表彰文は議長に一任せられたいと存じます。これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
議員砂田重政君衆議院議員ニ当選スルコト十回在職二十五年ニ及ヒ常ニ憲政ノ為ニ尽シ民意ノ伸張ニ努ム衆議院ハ君カ永年ノ功労ヲ多トシ特ニ院議ヲ以テ之ヲ表彰ス 〔拍手〕 この贈呈方は議長において取り計らいます。 この際砂田重政君から発言を求められております。これを許します。砂田重政君。 〔砂田重政君登壇〕
なお永年在職議員砂田重政君の表彰決議を行い、そこで一たん休憩をいたしました後に、開会式を行い、開会式が終りましてからの御相談は——そこまでの順序を本日きめさせていただきます。再開後につきましては、次回の委員会で決定をいたしたいと思います。 —————————————
議員砂田重政君は、来たる十一月で在職二十五年三カ月になられますので、慣例により院議をもって表彰することと相なりますが、本表彰は議長発議をもって行い、その表彩文は、前例に従い、お手元に配付の通りであります。表彰決議の後に、御本人から謝辞が述べられることになっております。なお、先例によりまして、院内に肖像画を掲げて記念し、また別に御本人には、小型の肖像画を贈呈することに相なっております。