2018-03-23 第196回国会 参議院 国土交通委員会 第3号
一方で、蒲蒲線でございますけれども、これは、その一部であります矢口渡から京急蒲田、この区間を結ぶ先行整備につきまして、地方公共団体、鉄道事業者等の間で具体的な事業計画の検討が進んでいるところでございます。今後は、費用負担の在り方等について、関係者間での合意形成を進めることが必要であると考えております。
一方で、蒲蒲線でございますけれども、これは、その一部であります矢口渡から京急蒲田、この区間を結ぶ先行整備につきまして、地方公共団体、鉄道事業者等の間で具体的な事業計画の検討が進んでいるところでございます。今後は、費用負担の在り方等について、関係者間での合意形成を進めることが必要であると考えております。
この新設につきましては、答申におきましても、矢口渡から京急蒲田までの事業計画の検討が一定程度進んでいるということで、費用負担の在り方について関係者間で合意形成を進めるべきとの指摘もなされております。
これについて、二〇〇四年に、矢口洪一元最高裁長官、ミスター司法行政と言われた辣腕の方でしたが、こんなふうにおっしゃっていました。皆さんは戦後の裁判所をごらんになって違憲立法審査権をもっと行使すべきだとおっしゃるけれども、今まで二流の官庁だったものが急にそんな権限をもらってもできやしないのですと、極めて率直なお考えを述べられております。
先代が、昭和三十九年、大田区の本社工場と矢口工場という形で創業いたしました。のれん分けというものがございまして、当社は二、三人の職人を軸としたゲージ工場という形で創業いたしました。事業内容なんですけれども、自動車関係のゲージだとか治工具、そういったものを設計、製作をしております。 これが当社の社内風景です。一番左側にございますのが、職人によるハンドラップと呼ばれる作業でございます。
○保坂(展)委員 この矢口洪一さんは、昨年、惜しくも亡くなられたということですけれども、裁判官生活の三分の二を背広で過ごし、最高裁の七局中五局までを経験、いわばミスター最高裁というふうに言っていい方だと思います。
○小池最高裁判所長官代理者 これも突然のお尋ねでございますが、かつて営繕課長をやった裁判官ということになりますと、その後、最高裁の長官をしました矢口洪一であろうと考えます。
石川君、ちょいとつき合え、銀座の某クラブ、三原橋のすし屋などで放歌高吟するという毎日で、そのツケは主計課に回ってくるのである、ツケは会議費ということで処理されたが、私も国民の血税がそのように無駄遣いされるのに耐えられず、先輩の矢口元課長に相談した、そのような経理局長室での習慣は矢口氏の経理局課長時代に始まっていたと思ったからだと書いてあるんですね。
国土交通省住宅 局長 山本繁太郎君 国土交通省鉄道 局次長 大口 清一君 国土交通省自動 車交通局長 宿利 正史君 国土交通省港湾 局長 鬼頭 平三君 国土交通省航空 局長 岩崎 貞二君 国土地理院長 矢口
○枝野委員 多分その前、草場長官は事務総長を経験しておられますし、矢口長官も事務総長を経験しておられます。寺田長官も事務総長経験者ということで、長官六人のうち三名総長経験者、事務総局を局長以上で経験していない方がたった一人ということなんですね。 どうしましょうか。
局長 山本繁太郎君 国土交通省鉄道 局長 梅田 春実君 国土交通省自動 車交通局長 金澤 悟君 国土交通省航空 局長 岩崎 貞二君 国土交通省政策 統括官 上野 宏君 国土交通省国土 地理院長 矢口
交通政策の推進等に関する調査のため、本日の委員会に国土交通大臣官房総合観光政策審議官鷲頭誠君、国土交通省総合政策局長丸山博君、国土交通省国土計画局長尾見博武君、国土交通省河川局長清治真人君、国土交通省道路局長谷口博昭君、国土交通省住宅局長山本繁太郎君、国土交通省鉄道局長梅田春実君、国土交通省自動車交通局長金澤悟君、国土交通省航空局長岩崎貞二君、国土交通省政策統括官上野宏君及び国土交通省国土地理院長矢口彰君
昭和三十一年八月九日付、吉田公使から矢口移住局長あて「万事(ドミニカ政府の)農務省と当館との話合で決定・実行されるものと考えて良いと思います」、「海協連の新聞記事間違っていますから、至急訂正してください」。あるいは、昭和三十一年十月十七日「募集要項作成上必要につき左記事項お調べの上結果至急回電ありたい」、これは外務大臣から吉田公使にあてた電報であります。
それから、矢口参考人は、担い手が破壊される前に所得、直接所得補償による担い手育成を図らなければならないと、こういうふうにおっしゃいました。それから、白石参考人は、米価の回復が稲作農家の経営を支える最大の保障だ、稲作経営安定対策を抜本的に改善して生産費を償う米価を実現することを要求したいというふうにおっしゃいました。
それから、矢口参考人は、担い手がいなくなるおそれがあるということを指摘したわけです。 それをこのまま通せば、私は、本当に将来取り返しの付かない禍根を残すことになるということを最後に指摘をいたしまして、時間ですので終わらせていただきます。
○紙智子君 参考人質疑のときに、矢口参考人が、我が国に残された担い手は限られた段階に来ているんだと言いました。この現実は現実として認めなければいけないというふうにおっしゃって、所得を実現することが担い手を作る上でも重要だということを指摘しました。さきにも言いましたけれども、価格の維持の機能というのは結局この法律には皆無と言っていいと思います。
そのとき本人は、どんなことでも、自分に不利になることでも何でもいいから言ってくれ、どうして自分はこういう処遇を受けなければならないのかということを、最高裁の当時矢口人事局長に言ったでしょう。だけれども、人事の秘密だといって、本人にも明かさなかったじゃないですか。もちろん一般の人たちにも明かさなかった。私は、こういうことではだめだと思うんだよ、みんなが納得するようなことじゃないと。
先ほどお話ししましたように、日本国憲法及び裁判所法は、裁判官の給源の多様性、多元性、これは裁判所法の四十二条にも、ごらんいただくと分かりますけれども、いろんなところから、例えば弁護士からあるいは検察官からとか、いろんなところから採用しようというように考え、まだ判事補は、冒頭に出てまいりますが、これは元最高裁長官の矢口洪一氏によりますと、この判事補の制度というのは元々はどうも過渡的なものとして考えていたんだということをおっしゃっております
当時、矢口さん、人事局長だったですかね、ここに証人としてお出になったけれども、ついに人事の秘密だといって明らかにされないままに、まことにわかりにくい再任拒否が行われたわけですね。 そういう例を見ても、私は、今本当に大事なのは、最高裁判所が司法改革を言うのだったら、こういうことについてやはり透明性を出していかないと国民の皆さんから信頼されないと思うんですね。
また、昨年十月に千葉にあるゲーム機器の製造部門のあった矢口事業所を閉鎖し、そして希望退職に応じなかった八人に対して仕事を奪い、やはり隔離部屋で待機を命じました。そして、この四月からは無期限の自宅待機を命じ、さらに賃金の三割カットを通告してきたのです。本当にもうとんでもないことをしていると思います。 私は、そこでKさんという方に会いました。
また、今回、その千葉の矢口事業所での退職を強要するための自宅待機や賃金カットについても申し立てをしたと聞いておりますので、きちんとした対応をやられているのかどうかということをお聞きしたいと思います。
その点に関して、ここに京都弁護士会が著しました「法曹一元」という本があるんですが、この本は市民のための司法を目指し法曹一元の実現を探求するという課題を貫いておりまして、この中には、当委員会に参考人としてお越しくださいました佐藤教授へのインタビュー、あるいは矢口洪一元最高裁長官の「私の法曹一元論」なども掲載されておりまして、幅広い観点から編集をされている本で、大いに参考になるかと思います。
○円より子君 この件についてもさまざまな御意見が今出ておりまして、例えば矢口洪一元最高裁長官は、行政改革会議がメンバーに役人を一人も入れなかったことから学ぶべきだとおっしゃっていらっしゃいますし、今大臣がおっしゃったように、利用される側の方々を入れていただくということはとても大事だと思います。
矢口洪一元最高裁判所長官は、戦前の陪審制の不振は、「国民の「お上」依存の体質に起因したのではないか」として、さらに、「西欧人は己を頼み、訴訟において攻防に全力をつくすが、その上は神の御心にまかせる心情を持つのに対し、日本人はともすると人頼みで、客観的に存在すると考えている好都合な結果のみを求める心情になりがちである」というように述べられたことがあります。
○参考人(佐藤幸治君) 私も陪審制については、先ほど矢口元長官の言葉を引用させてもらいましたけれども、この審議会でぜひ積極的に審議していただきたいというように思っております。
だから、私は、どういう立場で育ってきたかというのはやはり大事だなと感ぜざるを得ないわけでして、余りにも日本の裁判が官僚裁判で、国民の実情に疎くなっているんじゃないかという批判が元最高裁長官の矢口さんあたりからも出てきているのじゃないか。
ですから、これは改革論議をする際に、これだけ深刻な状況にあって、多分、矢口元最高裁長官なども、ここまでいってしまってはもうどうしようもないというので、かなり積極的になって司法改革論議をやらなきゃいかぬというふうに言い出したと思うんですね。 なぜそうなってしまったか。
法務委員会でも最高裁が出て、多分そのときに答弁されたのは、議事録を見ますと、後に最高裁判所の長官になられた矢口判事だったと思いますが、当時人事局長だったのではないでしょうか。これももう、人事の秘密だと言って、一切言わなかった。