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23件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2019-11-28 第200回国会 衆議院 原子力問題調査特別委員会 第2号

福井県史にも残っております。  ですので、私はこれが、町の表に入るべきお金が町長の個人口座に入ってしまって、この二年間ずっと自分の口座で保管していましたよという驚くべき事実が出てまいりまして、これは非常にいかがなものかなというふうに思っております。  まず一つは、誰に配ったかというのがまずわからないという点ですね。  このお金は、三億三千万円は、実はこの広報が出たときには使ってしまっておりました。

斉木武志

2008-01-29 第169回国会 衆議院 予算委員会 第3号

その専門家の中には、「沖縄県史をまとめられた大城将保さんという方がここに意見書を出しています。ちゃんと、集団自決のときに、座間味の隣の島、慶留間島では、敵が上陸したら自決せよ、そういう訓示を行っていた、沖縄各地で軍隊による命令は確認されているんだと、こう出ているんですよね。  この専門家意見、あなた方は聞きましたか。聞いてどうしたんですか。

赤嶺政賢

2007-10-24 第168回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号

生存者の方、そしてもう亡くなった方が過去に村史とか県史でお話しになっていることを総合すると、必ずしも同じ場所で同じように手りゅう弾が渡っているというふうには言っていらっしゃらないんですが、大筋、防衛隊の方にもらったとか、あるいは、二発もらった、一つは敵を撃退し、一つは捕らえられるぐらいだったら自決しろと、こういうふうに言われたという人もいるし、ただ黙って渡されたという人もいるわけなんですね。  

保坂展人

2007-10-12 第168回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第2号

戦後、住民たち証言を事細かく、証言をもとにして、そして軍命による集団自決の実相が記録されているのが沖縄県史であり、各市町村史なんです。それはもちろん大事にするというなら、今回のような検定は出ないはずですよ。日本軍命令有無が明確でないという著書だけで判断したということになれば、本来、審議会のあるべき、公平公正、中立の立場での判断ではないと思いますよ。  

横光克彦

2007-04-11 第166回国会 衆議院 文部科学委員会 第9号

その解説の中に、沖縄県史があるんですが、その中で、座間味島で、例の原告側梅沢少佐集団自決命令したという記述があるんですよ、県史の中に。これに対して、梅沢少佐本人から抗議があって、命令なんかしていないんだという抗議があったわけですね。沖縄県の教育委員会は、沖縄史料編集所紀要第十一号、これで梅沢少佐の手記を載せたんです。

日森文尋

1999-05-14 第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第7号

それから、もっと言えば、例えば「神奈川県史では、神奈川県の県の歴史ですけれども、「朝鮮戦争勃発から三カ月で九州着だけで臨時列車は約九〇〇本にのぼった」、それから「開戦数カ月の間に、貨物船など六九隻、約三四万重量トン日本船を用船した。」、ものすごいすさまじい動員で、しかも市民に対しても戒厳令的なものがしかれております。

福島瑞穂

1996-11-26 第138回国会 参議院 決算委員会 閉会後第3号

それで、例えば埼玉県の県史あるいは「さいたま女性の歩み」にはこう書いてあります。  敗戦から三日後の八月十八日、内務省警保局長は、各庁府県に対して、「外国軍駐屯地における慰安施設について」という無電通牒を発した。占領軍慰安施設として各県の警察署長は、性的慰安施設飲食施設娯楽場を積極的に設定整備するようにという通牒である。

吉川春子

1989-06-20 第114回国会 参議院 社会労働委員会 第4号

島民の方々だけではなしに、沖縄県の県史第十巻でも明確に書いてあります。「日本軍が、これらの竹富村の島民に、石垣島での避難命令、いや退島命令を下したその目的が何だったのか今日なお疑問である」といことが県史にも明確に書かれておるわけでございます。具体的になかなか詳しくは申し上げられません。  そこで、厚生省の援護局には戦史の調査資料室というのがございますね。

沓脱タケ子

1984-06-28 第101回国会 衆議院 内閣委員会 第17号

そういうのは沖縄県史とか、そういう沖縄県で収集した資料しか利用できないんじゃないですか。八百名の数字にしたって少ないとさえ言われているわけですよ、集団自決を入れて。  集団自決ということに対しても、いろいろ言い分、問題あるのですよ。赤子が集団自決、自決できないでしょう。親が子を殺し、子が親を殺す、そういう阿修羅の場となったのが慶良間の集団自決なんですよ。

上原康助

1982-08-20 第96回国会 衆議院 外務委員会 第25号

その記述の仕方を見てみますと、たとえば、沖繩県史の中に登場してくるだれだれさんの回顧談によれば次のようなことが述べられているという形で一ページあるいはもっと小さく半ページ程度を割いて書いているとか、これが、こういうものからとって、その中にこういうことが書いてある、すなわちその資料批判ができるような形で提示されているものであれば、そういった記述というものはこれまでも認めてきているということでございます

藤村和男

1982-07-30 第96回国会 衆議院 文教委員会 第17号

沖縄県史というのは一級の史料ではないとか、あるいは学術研究のものではない、だから証言によって書かれたものはあいまいだというふうなお話をされましたけれども文部省自体がこの県史は五十年から五十五年の当初の「新しい社会歴史的分野」の中にはっきりと書かれているのです。すでに文部省が認定をしてこれは書かれている。教科書の中に出ているのです。

山原健二郎

1982-07-30 第96回国会 衆議院 文教委員会 第17号

八百人という数字は、沖縄県史の中で多くの人が回想録を書いておるわけでございますが、その回想録に記されておる数字県史とは別の他の史料が集計いたしまして八百という数字をはじき出しておるわけでございます。相当時期がたってからの個人回想録というものは十分信憑することのできる史料でないということは学問としての歴史の世界におきましてはいわば常識でございましょうか。

小川平二

1982-07-30 第96回国会 衆議院 文教委員会 第17号

というその原稿本記述に関連するものと考えられますけれども、これは沖縄県史に掲載されました伝聞を含む種々の個人回顧談等を特に史料批判を加えることなくまとめました歴史学研究会編太平洋戦争史第五巻、これは青木書店から出ておるわけでございますが、その中にその数が出ているわけでございます。

鈴木勲

1982-07-30 第96回国会 衆議院 外務委員会 第23号

おっしゃいましたような記述の部分がございましたので、私どもが著者に対してつけました意見は、一つは、「戦闘のじゃまになるとの理由で、約八百人」こうなっているわけでございますので、この中にある数字がまず一つはっきりしたものと言えるかどうか、この数字をどこからとったというようなやりとりがございまして、これは「太平洋戦争史」という本の中からとってきているということがわかったわけですが、これのもとをさかのぼっていきますと、沖縄県史

藤村和男

1981-04-16 第94回国会 参議院 地方行政委員会 第7号

それは、たとえば昨今におきまして県史編さんということが非常に各県において活発になりましたし、各市町村におきましてもそれぞれ各市町村の史を編さんをいたしまして、そして資料収集もやっておる、それによって町村史編さんしておる。ところが、その際に一番困りますことは、資料収集がなかなかむずかしい。

安孫子藤吉

1978-03-17 第84回国会 衆議院 社会労働委員会 第5号

そこで、いままで記録にとどめなかったことで、一つ出てきておる文書を読み上げてみますと、大臣、これは後で答えてもらいたいのですが、これは広島県の県史の中の「原爆資料編」というところにあるのです。これは昭和二十年五月十日に義勇隊結成協議会において当時の知事大塚知事訓示をいたしました要旨がここに載っておるわけです。

大原亨

1977-05-19 第80回国会 参議院 社会労働委員会 第10号

で、これは私はプリントしてきたんですけれども、「沖繩県史というのが八巻ありまして、「沖繩戦通史」というのを見てみたんです。ここにまた具体的に名前も事件も記録が載っておりました。これも時間がないから簡単に要約いたしますと、これはスパイ容疑で、つまりスパイだという容疑で殺された人の、このスパイ容疑だけで本部国民学校長照屋忠英さん。久米島の村民が十数名殺されました。

小笠原貞子

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