2019-11-28 第200回国会 衆議院 原子力問題調査特別委員会 第2号
福井県史にも残っております。 ですので、私はこれが、町の表に入るべきお金が町長の個人口座に入ってしまって、この二年間ずっと自分の口座で保管していましたよという驚くべき事実が出てまいりまして、これは非常にいかがなものかなというふうに思っております。 まず一つは、誰に配ったかというのがまずわからないという点ですね。 このお金は、三億三千万円は、実はこの広報が出たときには使ってしまっておりました。
福井県史にも残っております。 ですので、私はこれが、町の表に入るべきお金が町長の個人口座に入ってしまって、この二年間ずっと自分の口座で保管していましたよという驚くべき事実が出てまいりまして、これは非常にいかがなものかなというふうに思っております。 まず一つは、誰に配ったかというのがまずわからないという点ですね。 このお金は、三億三千万円は、実はこの広報が出たときには使ってしまっておりました。
ここに持ってきたのが、「沖縄県史」という沖縄県がつくった当時の資料で、たくさんの証言が載っているもので、当時の文部省はこれは資料ではないという位置づけをしたんですけれども、しっかりとした資料だと私どもは思っております。 それで、もう一つお伺いします。
その専門家の中には、「沖縄県史」をまとめられた大城将保さんという方がここに意見書を出しています。ちゃんと、集団自決のときに、座間味の隣の島、慶留間島では、敵が上陸したら自決せよ、そういう訓示を行っていた、沖縄各地で軍隊による命令は確認されているんだと、こう出ているんですよね。 この専門家の意見、あなた方は聞きましたか。聞いてどうしたんですか。
生存者の方、そしてもう亡くなった方が過去に村史とか県史でお話しになっていることを総合すると、必ずしも同じ場所で同じように手りゅう弾が渡っているというふうには言っていらっしゃらないんですが、大筋、防衛隊の方にもらったとか、あるいは、二発もらった、一つは敵を撃退し、一つは捕らえられるぐらいだったら自決しろと、こういうふうに言われたという人もいるし、ただ黙って渡されたという人もいるわけなんですね。
戦後、住民たちの証言を事細かく、証言をもとにして、そして軍命による集団自決の実相が記録されているのが沖縄県史であり、各市町村史なんです。それはもちろん大事にするというなら、今回のような検定は出ないはずですよ。日本軍の命令の有無が明確でないという著書だけで判断したということになれば、本来、審議会のあるべき、公平公正、中立の立場での判断ではないと思いますよ。
では、検定意見で、最近の著書等を参考にして、軍の命令の有無が明確でないと記述しておりますが、それでは、最近の著書だけを重要視して、これまでずっと認めてきた沖縄県史やあるいは各市町村史、ここに書かれている事実を否定したということですか。どうぞ。
これまでの経緯を振り返ってみますと、文部科学省は、琉球政府時代に琉球政府の行政主席が決裁して作った沖縄県史は信頼するに足りないという趣旨のことを発言しておられるわけなんです。
○政府参考人(布村幸彦君) 今先生がおっしゃいました沖縄県史につきましての文部科学省の評価というものはちょっと承知しておりませんのでお答えできませんけれども、教科書の検定あるいは家永裁判の段階では、沖縄県史につきましても十分目を通して資料として使わせていただいたものと思います。
その解説の中に、沖縄県史があるんですが、その中で、座間味島で、例の原告側の梅沢少佐が集団自決を命令したという記述があるんですよ、県史の中に。これに対して、梅沢元少佐本人から抗議があって、命令なんかしていないんだという抗議があったわけですね。沖縄県の教育委員会は、沖縄史料編集所紀要第十一号、これで梅沢元少佐の手記を載せたんです。
○山本正和君 実は、皆さんにまたお配りさせていただいた大瀬東作という人の、これは三重県の県史にも出てきますし、教育史にもいろいろ出てまいりますし、要するに義務教育国庫負担ということを国に対して要求して、明治から大正にかけて大変な苦労の中で取り組まれた方です。
それから、もっと言えば、例えば「神奈川県史」では、神奈川県の県の歴史ですけれども、「朝鮮戦争勃発から三カ月で九州着だけで臨時列車は約九〇〇本にのぼった」、それから「開戦数カ月の間に、貨物船など六九隻、約三四万重量トンの日本船を用船した。」、ものすごいすさまじい動員で、しかも市民に対しても戒厳令的なものがしかれております。
なお、沖縄県は、第三二軍牛島司令官等が自決した六月二十三日を沖縄県慰霊の日と条例で定めており、また沖縄県史においては同日をもって沖縄戦の終結としているところであります。
それで、例えば埼玉県の県史あるいは「さいたま女性の歩み」にはこう書いてあります。 敗戦から三日後の八月十八日、内務省警保局長は、各庁府県に対して、「外国軍駐屯地における慰安施設について」という無電通牒を発した。占領軍慰安施設として各県の警察署長は、性的慰安施設、飲食施設、娯楽場を積極的に設定整備するようにという通牒である。
島民の方々だけではなしに、沖縄県の県史第十巻でも明確に書いてあります。「日本軍が、これらの竹富村の島民に、石垣島での避難命令、いや退島命令を下したその目的が何だったのか今日なお疑問である」といことが県史にも明確に書かれておるわけでございます。具体的になかなか詳しくは申し上げられません。 そこで、厚生省の援護局には戦史の調査資料室というのがございますね。
そういうのは沖縄県史とか、そういう沖縄県で収集した資料しか利用できないんじゃないですか。八百名の数字にしたって少ないとさえ言われているわけですよ、集団自決を入れて。 集団自決ということに対しても、いろいろ言い分、問題あるのですよ。赤子が集団自決、自決できないでしょう。親が子を殺し、子が親を殺す、そういう阿修羅の場となったのが慶良間の集団自決なんですよ。
その記述の仕方を見てみますと、たとえば、沖繩県史の中に登場してくるだれだれさんの回顧談によれば次のようなことが述べられているという形で一ページあるいはもっと小さく半ページ程度を割いて書いているとか、これが、こういうものからとって、その中にこういうことが書いてある、すなわちその資料批判ができるような形で提示されているものであれば、そういった記述というものはこれまでも認めてきているということでございます
沖縄の県史というのは一級の史料ではないとか、あるいは学術研究のものではない、だから証言によって書かれたものはあいまいだというふうなお話をされましたけれども、文部省自体がこの県史は五十年から五十五年の当初の「新しい社会の歴史的分野」の中にはっきりと書かれているのです。すでに文部省が認定をしてこれは書かれている。教科書の中に出ているのです。
八百人という数字は、沖縄県史の中で多くの人が回想録を書いておるわけでございますが、その回想録に記されておる数字を県史とは別の他の史料が集計いたしまして八百という数字をはじき出しておるわけでございます。相当時期がたってからの個人の回想録というものは十分信憑することのできる史料でないということは学問としての歴史の世界におきましてはいわば常識でございましょうか。
というその原稿本の記述に関連するものと考えられますけれども、これは沖縄県史に掲載されました伝聞を含む種々の個人の回顧談等を特に史料批判を加えることなくまとめました歴史学研究会編の太平洋戦争史第五巻、これは青木書店から出ておるわけでございますが、その中にその数が出ているわけでございます。
恐らくそういうやりとりがあったのではなかろうかというふうに推定されますけれども、結果としてあのような表現になったということでございますし、それから私ども沖縄県史を否定しているわけでもございません。
「沖縄県史には友軍によって殺害された県民の体験がある。」表現が非常にやわらかくなってきている。それも全部削除されていますね。皆さん、文部省の方としては、ああいう沖縄戦においてそういう事実はなかったというふうに思いますか。どうですか、その辺。
おっしゃいましたような記述の部分がございましたので、私どもが著者に対してつけました意見は、一つは、「戦闘のじゃまになるとの理由で、約八百人」こうなっているわけでございますので、この中にある数字がまず一つはっきりしたものと言えるかどうか、この数字をどこからとったというようなやりとりがございまして、これは「太平洋戦争史」という本の中からとってきているということがわかったわけですが、これのもとをさかのぼっていきますと、沖縄県史
それは、たとえば昨今におきまして県史編さんということが非常に各県において活発になりましたし、各市町村におきましてもそれぞれ各市町村の史を編さんをいたしまして、そして資料の収集もやっておる、それによって町村史を編さんしておる。ところが、その際に一番困りますことは、資料の収集がなかなかむずかしい。
そこで、いままで記録にとどめなかったことで、一つ出てきておる文書を読み上げてみますと、大臣、これは後で答えてもらいたいのですが、これは広島県の県史の中の「原爆資料編」というところにあるのです。これは昭和二十年五月十日に義勇隊結成協議会において当時の知事の大塚知事が訓示をいたしました要旨がここに載っておるわけです。
で、これは私はプリントしてきたんですけれども、「沖繩県史」というのが八巻ありまして、「沖繩戦通史」というのを見てみたんです。ここにまた具体的に名前も事件も記録が載っておりました。これも時間がないから簡単に要約いたしますと、これはスパイ容疑で、つまりスパイだという容疑で殺された人の、このスパイ容疑だけで本部国民学校長の照屋忠英さん。久米島の村民が十数名殺されました。
○坂田国務大臣 ただいまの文化庁の安達次長からお答えいたしましたとおりでございますが、なお、社会教育所管で、図書館等がございまして、そこで、たとえば、県史の編さん等もやっておる。