2021-04-09 第204回国会 衆議院 安全保障委員会 第3号
まず初めに、昭和天皇陛下が当時の皇太子、平成天皇陛下に宛てた手紙を読ませていただいて、率直な感想を岸大臣に、特に書面を読まずに、簡潔で結構なので、伺えればありがたいというふうに思います。 これは終戦、敗戦後の九月九日に書かれ、ちなみにマッカーサー元帥と昭和天皇陛下が会われたのが九月の二十七日というような日付でございますけれども、読ませていただきます。
まず初めに、昭和天皇陛下が当時の皇太子、平成天皇陛下に宛てた手紙を読ませていただいて、率直な感想を岸大臣に、特に書面を読まずに、簡潔で結構なので、伺えればありがたいというふうに思います。 これは終戦、敗戦後の九月九日に書かれ、ちなみにマッカーサー元帥と昭和天皇陛下が会われたのが九月の二十七日というような日付でございますけれども、読ませていただきます。
行動できるツールを持つということと、常にいわゆる自動発動的に行動する、制裁するということは全然違う話だと思いますし、それこそアメリカも、サウジアラビアの皇太子に対しては国益の観点から今は制裁はしないというような説明もしながら、それぞれ、この制裁ツールを持つ国々も、自分の国の国益との見合いの中で、きちっと説明をしながら、制裁するしないを運用しているわけです。
女性は、園遊会の会場で池の写真を撮り、途中、ジョギング中の当時皇太子殿下でいらっしゃった今上陛下にも遭遇したそうです。 皇室の安全は、あらゆる可能性を想定して確保されなければなりません。本来、御用地内にいるはずのない人物が、厳重であるはずのセキュリティーやチェックを経ずに存在し、中の様子を撮影し、天皇陛下の近くにまで接近できるなどということは、あってはならないゆゆしき問題です。
第五十九代宇多天皇が時の天皇である第五十八代光孝天皇の皇子であったことから、三年間の皇籍離脱の後、皇位継承を目的に親王宣下を被って皇籍に復帰し、皇太子となって即位した例がございます。
コロナ禍において、例えばイギリスではチャールズ皇太子が、フランスではマクロン大統領や農業大臣が積極的に、農業やろうよということを旗を振っていただいて、そして農林水産業への就農を、就労を支援したというふうに、まあ報道レベルですが、見ました。
平安時代の第五十九代宇多天皇は、時の天皇である第五十八代光孝天皇の皇子であったことから、三年間の皇籍離脱の後、皇位継承を目的に、八八七年に親王宣下をこうむって皇籍に復帰し、皇太子となり、即位したものでございます。
私ごとで恐縮なんですけれども、自分の実家も高知県の土佐清水市でかつてホテル業をやっておりまして、御縁あって、昭和の天皇陛下とか、あと平成の天皇陛下も皇太子時代に泊まっていただいたこともあります。その影響もあって、私自身もサラリーマン時代は観光産業の方に勤めさせてもらったんです。
イギリスのチャールズ皇太子の陽性も確認されております。 皇室の方々の対策は十分なんでしょうか。また、皇室の方々の御公務でテレワークの可能なものはあるのでしょうか。宮内庁にお尋ねします。
イギリスのチャールズ皇太子もコロナにかかって、感染経路が特定できない。日本では、芸能界では志村けんさんがコロナウイルスにかかって、その感染経路が分からないというふうなことで、なかなかやっぱりそういった感染経路が分からないというような状況が出てきています。 例えば東京都では、これ半数以上が感染経路が不明だということなんですね。
内閣総理大臣夫妻主催晩さん会の会場につきましては、一昨年、平成三十年の十一月二十日に開催された第二回天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会におきまして、晩さん会の参列者数を、外国元首、祝賀使節等九百名とすることが決定されました。
○古屋(範)分科員 令和二年度予算案の中に、この皇太子記念館、九億円の修繕費を盛り込んでくださっているということでございます。ありがとうございます。また、その先も必要な予算を確保しつつ、施設の維持管理、ぜひともしっかりと取り組んでいただきたいと思いますので、よろしくお願いを申し上げます。 続きまして、福祉用具について質問をしてまいります。
こどもの国といいますのは、現在の上皇陛下が皇太子殿下の当時、御成婚を記念する事業の一つとして、一九六〇年に設立をされました。横浜の青葉区にございます。大体、神奈川県内あるいは隣接の東京都内も、子供を連れて一回は行く、そういう施設でございます。また、保育園、幼稚園なども遠足に行くような施設でございます。中央児童福祉審議会の答申に基づきまして設立をされております。
このこどもの国につきましては、特にシンボル的な存在であります皇太子記念館について、昭和四十七年の建設ということで、今議員からも御指摘のように大変老朽化が進んでいる、そこで、令和二年度の予算案において大規模修繕工事費として九億円を計上いたしまして、利用者の安全確保を図るともに、今後ともこの現状の形状を維持し、その記念を後世まで残す、このようにしたところでございます。
だから、大阪都というのは、今上陛下もいらっしゃらない、皇太子殿下もいらっしゃらないところに何で大阪都という名前がつくのか、これは甚だ疑問にするところでもあります。そういうことも踏まえて、我々は今後考えていかなきゃいけません。 その大阪市の廃止、分割。政令指定都市の方がよかったということになった場合、大阪市として再度政令指定都市に戻ることは可能なんですか。
もう少し時間がありますので、最後一問、畑中先生の方にお伺いしたいんですけれども、少し資源というところから直接的には関係ないんですが、サウジアラビアの人権問題についてなんですが、今、皇太子の方が実権握られていて、開放路線で様々な改革を進める反面、かなり強権的なやり方を発動して、異論を封じ込めるようなことも行われていると。
また後から岩瀬参考人にもお伺いしたいんですけれども、それで、まず、畑中参考人が言っていらした中東諸国脱炭素化という、二十年、三十年、五十年を考えると、サウジアラビアの世代間対立、そして皇太子が言わばこの国をどう持っていこうというときに、雇用問題あるいはジェンダーの問題など社会問題化している、これは大変、一国の責任者としては大事な方向だろうと思うんですね。
特に、最近についてはプラスの面で、例えば女性の権利、これは皇太子は認める方向に出てきておりますので、そういったところは少し称賛をしながら、しかし、他方で厳しいところもあるので、そこについては我が国としては、改善の余地があれば改善を望むというようなことは積極的に言っていくべきだろうというふうに思います。
立皇嗣の礼が行われれば、皇太子ではない、皇嗣である秋篠宮殿下が、見る人によっては確定的な皇位継承者であるかのように映ったり受けとめられたりということも、これは当然、自然な受けとめとしてあり得るので、こういう既定路線のような印象の影響はできるだけ少なくして、この礼は礼として、今の制度における、今の時点の皇嗣として秋篠宮殿下が国内外に宣明をされることをみんなでお祝いをするということで、本当は議論はその前
その帰結として、結局、皇嗣は天皇の子ではないので、皇位継承者第一位であっても、次の天皇となることが確定しない立場である、しかし、皇太子の場合は天皇の子でありますので、皇位継承者第一位であることが皇太子になったときに確定し、そして、その皇太子が天皇より先に薨去されない限り天皇となることが確定する立場であるというのが一番の違いだということを、私はこの園部逸夫先生の本などから、なるほど、そういうことなんだなというふうに
昨年十月の天皇陛下の即位礼正殿の儀に出席された際には、隣り合わせたイギリスのチャールズ皇太子が腰に座布団を当てておられるのに気づかれ、日本の良質な座布団は腰によいと、御自身も愛用されている地元産の座布団を贈ることを約束されたようであります。そして、みずから生地を選び、そのできばえに大変満足されていたのでありますが、これは、お亡くなりになるつい一週間前のことだったそうであります。
二〇一七年七月二十日、国連本部において、当時の皇太子殿下のビデオでの御講演をいただいた後で、私は水の未来についてスピーチを行いました。 水は、生命の基本であり、SDGsの基本的なゴールになっています。世界の水問題は日本がリードして解決を図るべきだと思います。 天皇陛下になられても水に関する御研究は続けられると伺っています。
自衛隊の活動につきましては、オマーン領海内での活動、これは視野に入れておく必要がありますが、問題はホルムズ海峡の以北でありまして、UAEのフジャイラ、ドバイ、これは以前、インド洋で燃料の洋上補給活動支援の拠点として利用したこともありますし、バーレーン、また、奥のフジャイラ、奥のウンムカスルなどは湾岸の情報が集まるところでありまして、今回、安倍総理がUAEとオマーンを訪問して、アブダビ首長国のムハンマド皇太子
やはり、民間が国立公園の山を代わりに守ってくれている、登山者の安全を守ってくれているということもしっかりと考えていただきまして、国も関与する、しっかり助けていただくということを改めてお願いをしたいと思いますし、相談があった山小屋ですけれども、私も行きましたが、天皇陛下が皇太子殿下であったときに登山で宿泊したこともあるという歴史ある山小屋で、そうした場所がやはり運営困難になってきてしまうというのは大変残念
アブドラ国王からは、台風十九号の被害についての最大限の支援があるとの申出を頂戴し、総理は謝意を述べられたということですし、昨日の即位礼正殿の儀では、国王ではありませんでしたけれども、皇太子殿下がお運びいただいているというような極めて友好的な関係であり、国交樹立ちょうど六十五年に当たるのがことしではないかというふうに思っております。
でも、こんなにたくさん使い切れないよということで、実はこのときに大正天皇が、大正十三年ですから、昭和天皇が皇太子になった記念として国民の皆様に御下賜をということで上野恩賜公園なんですね。戦後、終戦後ですね、新しく下賜されたのが、例えば浜離宮がそうです。