2020-03-03 第201回国会 参議院 予算委員会 第5号
そのときに京都の町衆は、子供あるなしにかかわらず、かまど金という、そういうそれぞれの家に負担金を出してもらって、そして六十四の番組小学校をつくりました。それを見た、それはちょうど明治の二年でありますけれども、そういう事情を見た福沢諭吉は、もう非常に京都の教育制度に感心して、これこそ自分が長年待ち望んでおった教育制度だということを「京都学校の記」という書物に記しているわけでございます。
そのときに京都の町衆は、子供あるなしにかかわらず、かまど金という、そういうそれぞれの家に負担金を出してもらって、そして六十四の番組小学校をつくりました。それを見た、それはちょうど明治の二年でありますけれども、そういう事情を見た福沢諭吉は、もう非常に京都の教育制度に感心して、これこそ自分が長年待ち望んでおった教育制度だということを「京都学校の記」という書物に記しているわけでございます。
さらに、明治維新の後、当時の住民自治組織であった番組を単位として京町衆の手によって建てられた番組小学校の跡地が、今、京都市によって大手のホテル業者に提供されています。地元の不動産業者からは、幾ら何でもやり過ぎだろうの声が上がっているほどであります。地元紙はこうした状況を観光公害とまで表現し、連載記事まで今書かれています。
又は、明治二年に京都が番組小学校を造った。金も含めてみんな町民が出したわけですよ、六十四の学校も造った。それ以降、お上に全部預けて百四十二年来ちゃったのが僕は義務教育学校の在り方だったと思うんです。それを根本的に変えようという時代が今だと思います。 ですから、住民も変わらなきゃいけないけれども、教育委員会の職員もやっぱり変わっていただきたいと思います。
京都市では、明治二年に日本最初の番組小学校が創設されましたが、現在に至るまで、市民ぐるみ、地域ぐるみで教育を進めることを大切にしておられます。地域の子供は地域で育てるという理念の下、全国最多となる百七十一の学校に学校運営協議会が設置されているほか、地域のボランティア等の協力を得て小中学校において土曜学習が実施されるなど、様々な先進的な取組が行われています。
ぜひ大臣にもお出ましいただいたらと思っておりますけれども、三十万点に及ぶ漫画の収集、保管、展示、調査研究を行っている京都国際マンガミュージアム、これは、明治二年に番組小学校というのが京都にできました。それの一つで昭和四年にできました校舎を活用いたしまして、今、本当にお年寄りも若い方々もたくさんの方が来ていらっしゃるんですね。
いわゆる明治維新の学校教育令が出る以前に、京都では、番組小学校というものをつくりまして、自主的に学校を運営していく、そういう風土がありました。だからこそ、その地域の中で学校をはぐくんでいくという本当の意味での覚悟のようなものが町全体にみなぎっているような気がいたします。
私の住んでいる京都では、明治に入り、突如天皇が江戸に遷座されることになり、京都の市民たちの意気が消沈しているとき、もう一度夢を持って生きるのに何が必要かと考え、明治二年に、町衆の人々が六十四の番組小学校をつくり、将来を担う人づくりをスタートさせました。それほど教育こそが、夢を失い、荒廃した心に大きな希望の灯をともす力となっていくのだと思います。