2021-03-30 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第7号
○国務大臣(萩生田光一君) 少人数学級は、特定の教科などの授業といった学習集団のみならず生活集団も少人数化するものであり、学習面のみならず、生徒指導や保護者等対応などにおいてもきめ細かな対応がしやすくなり、学校教育活動の充実につながるものと考えています。 このため、今回の学級編制の標準の引下げが教育活動に与える影響については多面的な観点から実証研究を進めてまいりたいと考えております。
○国務大臣(萩生田光一君) 少人数学級は、特定の教科などの授業といった学習集団のみならず生活集団も少人数化するものであり、学習面のみならず、生徒指導や保護者等対応などにおいてもきめ細かな対応がしやすくなり、学校教育活動の充実につながるものと考えています。 このため、今回の学級編制の標準の引下げが教育活動に与える影響については多面的な観点から実証研究を進めてまいりたいと考えております。
少人数学級は、特定の教科等の授業といった学習集団のみならず、委員おっしゃるように、生活集団も少人数化するものでございまして、学習面のみならず、生徒指導や保護者対応等においてもきめ細やかな対応がしやすくなり、学校教育活動の充実にもつながるものと考えております。
その際の問題は、少人数指導が学習集団と生活集団を分断したということなんです。つまり、学級サイズはそのままで、場合によってはクラスを二つに分けて少人数指導をするということですね。これは学習の集団と生活集団が分かれちゃっているんです。 でも、生活と学習分けてよかったのかという問題です。
少人数学級は、特定の教科等の授業といった学習集団のみならず、生活集団も少人数化するものであり、学習面のみならず、生徒指導や保護者対応等においてもきめ細かな対応がしやすくなり、学校教育活動の充実につながるものと考えております。 このため、今回の学級編制の標準の引下げが教育活動に与える影響については、こうした効果を多面的に検証することができるように実証研究を進めてまいりたいと思います。
少人数学級は、特定の教科等の授業といった学習集団のみならず、生活集団も少人数化するものであり、学習面のみならず、生徒指導や保護者対応等においてもきめ細かな対応がしやすくなり、学校教育活動の充実につながるものと考えております。
また、少人数学級は、特定の教科等の授業といった学習集団のみならず、生活集団も少人数化するものであり、学習面のみならず、生徒指導や保護者対応等においてもきめ細かな対応がしやすくなり、学校教育活動の充実につながるものと考えております。 先生、今いろんな例示を示していただいて、私は全くそのとおりだと思います。
少人数学級は、特定の教科等の授業といった学習集団のみならず、生活集団も少人数化するものでございます。また、地方公共団体や有識者の方々のお声を伺う中で、学習面のみならず、生徒指導や保護者対応等においてもきめ細かな対応がしやすくなり、学校教育活動の充実につながるものと考えております。
少人数学級の特に教育効果の点、今、るるございましたが、少人数学級は、特定の教科等の授業といった学習集団のみならず生活集団も少人数化するものでございますので、子供と触れ合う時間が増え、学力、学習面のみならず、生徒指導や保護者対応などにおいてもきめ細かな対応がしやすくなり、学校教育活動の充実につながるものと考えております。
これは、特定の教科等の授業といった学習集団のみならず生活集団も少人数化するものでありまして、学習面のみならず生徒指導や保護者対応などにおいてもきめ細やかな対応がしやすくなり、生徒指導面での問題の早期発見など、幅広く学校教育活動に効果があるものと考えております。また、今般のコロナの感染症対策としても、身体的距離の確保がしやすいといった声も上がっておるところでございます。
それから、より良い学校生活、集団生活の充実の内容項目においては、集団や社会との関わりの観点から、様々な集団の意義や集団の中での自分の役割と責任を自覚して集団生活の充実に努めること等が指導をされております。
○布村政府参考人 まず、少人数学級についてでございますけれども、学校において児童生徒一人一人に目が届く指導を行いやすくするために、学習集団でもあり、また生活集団としての側面もあわせ持つ学級の人数、学級規模を縮小する取り組みというふうに考えております。
ただ、そうは言いつつも、先ほどから言っているとおり、日本の学校の生活集団と学習集団を一体にして学級経営をする、その学級経営というのがやはり学校の教育活動の最も基盤的な要素であるのは、これは変わりません。これは、欧米なんかと比べると、はるかに学級の持つ意味というのは重いと思っているんです。
つまり、生活集団であり、そして学習集団でもある。だから、個々の指導も大切だけれども、学校において連携というのが大切である。公共性だとか、あるいは何というんでしょうか、ともに友愛の精神とかいろいろなことを学んでいくのが学校であるわけですね。 そういうときに、では何名ぐらいがふさわしいというふうにお考えでしょうか。
ただ、日本を含めてアジア領域というか、日本、韓国云々というのは、アジア的な従来のような、生活集団と学習集団を一緒にして、学力だけではなくて、社会的な規範とか社会性を育成するというようなそういうふうな発想で学級を把握してきましたので、欧米なんかと比べると、そういう学級集団の数というのは多目であるというのがやはり事実です。
学校には、子供たちがいろいろな個性、あるいは能力を持った子供たちが集まってきて、そして相互に研さんし合いながら成長していく生活集団としての役割と、そして一人一人がその能力、適性に応じて成長を図っていくのを助ける学習集団としての役割があろうと思いますけれども、この学習集団の効果を上げるためにどういうことがいいかということで現在進めているのが、習熟度別の学級編制であり、そしてチームティーチング、あるいは
単にそれは財政論だけではなくて、やはり学校というのは、教科活動としての学習集団、あるいは生活集団といいますか、ある程度の人数の中で、集団の中で教育効果を得ていく、そういう生活集団としての学習効果があるだろう。その生活集団としての学習集団を考えた場合は、私どもは必ずしも三十人が適正規模だとは考えておりません。 一方で、教科学習につきまして、基礎、基本を定着させていく、これもまた必要でございます。
だから、生活集団と学習集団は一体と考えるべきもので、少人数学級にすべきだと。だから、もう本当に燃えるような思いで市民や議会や教育委員会、教育の現場の先生方が一体となって少人数クラスを実現したいということでやっておいでになるんですね。地方のそういう思いをやはり文部科学省が抑えるようなことがあってはならないと私は思うわけです。
少人数授業の問題について今までお話をいろいろしてまいりましたけれども、少人数で授業をするということはもちろん私たちもいいことだと思うんですけれども、もっといいのは、やはり生活集団全体を見る少人数学級なんじゃないかと思うんですね。
このような宗教の原理からくる生活集団、生活の習慣ですね、それから経済活動、それから政治面における行動原理、こういうものが見極められないと本当の意味での外交戦略は打ち立てられないんじゃないか。 我が国はたまたまお金があるからいろんな援助をしますけれども、その援助が本当に役立っているのかどうか。
しかし、学級は学習集団であるとともに生活集団でもあります。教員の接し方、教員の一言がその後の自分の人生に大きな影響を与えたということが言われるように、学校教育の根幹を成すのは子供と教員の日々の触れ合いであり、特に小学校の段階では、子供の成長丸ごとを見守る学級担任の下、子供たちが心のよりどころと感じるような学級づくりが重要です。
「生活集団と学習集団を区別し、教科によっては少人数や習熟度別学級編成を行う。」と。これは野党が反対して、三十人学級、集団というのは生活集団と学習集団一体に三十人に少なくするべきだとさんざんやってきた問題じゃないですか。こんな課題を与えられて、どうやって指導力がつくような研修になるんですか。こういう混乱を持ち込んでいるんでしょう、現場では。
○畑野君枝君 あわせまして、政府の案では少人数授業ということで生活集団と学習集団を分離する、クラスを解体して行うという問題について三輪先生お話しになりました。学級崩壊の問題など含めて先ほどお話がございましたが、もう少し詳しく学校の現場の実態など含めてお話しいただけないでしょうか。
生活集団と学習集団、子供はもう統一的にとらえているわけです。 そもそも人格と学力の形成というのは一体的なものでして、分けられません。やはり仲間と一緒に勉強し、互いに学び合い、そして人間的にも成長できるのが本物の勉強で、これはまた塾とも違うところじゃないかというふうに思うわけです。ですから、その両者を分けるということ自体やっぱり基本的に問題があると思います。
○国務大臣(町村信孝君) ちょっと御質問の意味がわかりづらいのでありますけれども、今までは生活集団、学級という形で生活集団イコール学習集団というふうにやってきたわけですね。
○阿部幸代君 学習集団と生活集団は切り離せない、求められているのは学級規模の縮小ではないかという質問にお答えしたいと思います。 小学校五年生の女子が、「学校はなにをしに行くのか」という作文の中で次のように書いているんです。
○政府参考人(矢野重典君) 学級はこれまで、授業を行う場でございます学習集団としての性格と、それから生徒指導や学校生活の場である生活集団としての性格、その両方の性格をあわせ持つものとして考えられてきたわけでございますが、しかし子供たちの基礎学力の向上ときめ細かな指導を実現するためには、学習集団を児童生徒の状況や教科等に応じて、学級という概念にとらわれずに、より柔軟に編制していくことが効果的と考えられるわけでございます
学習集団と生活集団、これは切り離せないというふうに思っております。この点で今求められているのは学級規模そのものを縮小することではないか。このことを文部科学省と四会派提出者に伺いたいと思います。 この点では、今本当に子供たちの大変な状況を御存じなのかと。小学校低学年からパニックボーイ、パニックガール、こういうことの状況が言われている。授業で立ち歩く。
公立の小学校、中学校、高等学校の学級規模を四十人から三十人に縮小することにより、生活集団と学習集団が結びついた学級の役割を尊重しつつ、個別学習などを可能とする学習環境も創出されます。また、十三万人を超えた不登校や大量に学びから逃走する子供たち、深刻な校内暴力、いじめと自殺、授業が成立しない学級崩壊、高校中退等の教育の危機的状況を解消していく条件が整備されます。
我々の法案によって、公立の小学校、中学校、高等学校の学級規模を四十人から三十人に縮小することにより、生活集団と学習集団とが結びついた学級の役割を尊重しつつ、個別学習などを可能とする学習環境をつくることができます。また、十三万人を超えた不登校や大量に学びから逃避する子供たち、深刻な校内暴力、いじめと自殺、授業が成立しない学級崩壊、高校中退等の教育の危機的状況を解消していく条件が整備されています。
次に、学級崩壊などの中で求められるのは、生活集団、学習集団としての学級規模の縮小ではないかというお尋ねでございました。 児童生徒の問題行動は依然として深刻な状況にあると私どもも認識をいたしております。このような状況に適切に対応するためには、すべての教職員が校長を中心に一致協力して生徒指導などに当たることが重要であると考えております。
学校教育の基本単位というのは、生活集団、そして学習集団としての学級でございます。日本語の教育という言葉からは、教えるあるいは与えるという意味合いが非常に強く感じられるわけでございます。英語のエデュケーションという言葉、その語源は、エデュースという語源が示しますとおり、引き出すという意味がございます。