2021-03-23 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号
自衛隊に玉砕を求め、島民を巻き添えにして、米国の覇権と日本本土のために沖縄を捨て石にするような防衛政策は方向転換すべきです。 昨年三月、米海兵隊は、戦力設計二〇三〇、フォースデザイン二〇三〇を公表し、この中で海兵沿岸連隊を新たに組織する計画であると表明しました。海兵沿岸連隊とはどのようなものでしょうか。
自衛隊に玉砕を求め、島民を巻き添えにして、米国の覇権と日本本土のために沖縄を捨て石にするような防衛政策は方向転換すべきです。 昨年三月、米海兵隊は、戦力設計二〇三〇、フォースデザイン二〇三〇を公表し、この中で海兵沿岸連隊を新たに組織する計画であると表明しました。海兵沿岸連隊とはどのようなものでしょうか。
しかし、その後、太平洋の島々に軍事施設を建設し、住民と兵士を犠牲にする玉砕戦で全滅する作戦を続けたことも歴史的事実です。 第二次世界大戦後の一九四九年のジュネーブ諸条約の第一追加議定書は軍事目標主義を掲げ、武力攻撃は軍事目標のみに限定するとし、同時に第五十八条、攻撃の影響への予防措置として人口の集中している地域又はその付近に軍事目標を設けることを避けることとしています。
一昨年は天皇陛下もパラオに訪問され、慰霊をされ、まあ大変な玉砕地だったんですが、そんな中で、私が親しくしておりますパラオのレメンゲサウ大統領、我が政府の原則と民主的な思想は台湾とマッチしていると、中国の圧力を受けながらも台湾との関係を維持しています。 パラオは日本以上の観光立国で、日本観光客も多く訪れています。近年は日本からの資本でホテルなども充実してきました。
私にしてみれば、阿南陸軍大臣が、最後の一兵まで戦おう、玉砕してでも青史に日本民族の名を残そうと言うのに対して、東郷外務大臣を初め、海軍大臣も含めて、戦争を継続することをやめようと言う、大変対立する、二分するその中で決断をされたのが陛下だ。その思いは、日本国憲法の公布の日の勅語によくあらわれている。皆さん、この勅語を読まれたかどうか。
そのための部隊ですから様々な武装を強化する方向でいくはずですし、それがなければ、沖縄戦同様、まさに時間稼ぎのために、玉砕をするための自衛隊配備ということになるのではないでしょうか。 施設部隊が坑道、トンネルあるいは掩体を掘削して装備品を隠匿する運用は当然考えられると前回答弁でおっしゃっておりました。
その中で、玉砕の島ですから、役場や登記所が空爆や艦砲射撃受けて書類皆燃えてしまって、むちゃくちゃになって戦後相当混乱したんですよ、今は少し落ち着いていますが。 その中で、固定資産税が地方税ですから、私、市長時代にこれをちょっと整理をしようということで調査が始まったんですよ。
沖縄県民の中では、日本軍の配備が戦争を招き、徹底抗戦の玉砕思想が二十万人余の尊い命の犠牲を生んだと理解されています。軍隊が戦争では住民を守らないということも教訓化されました。 総理は、このような沖縄戦の悲惨な戦争についてどのようにお考えですか。
そういう教育勅語の下で、かつての赤紙一枚で徴兵された日本兵が、無残な特攻隊やあるいは玉砕攻撃を始めとしたようなそうした死に方、あるいは、日本国民の皆さんが空襲、かつて防空法というような法律がありましたけれども、国民が火を消せという、守れというような法律がありましたけれども、教育勅語の下で、かつての日本兵や日本国民が無残な死をしたことは一面的な見方であると。
これ、玉砕して死ぬまでやるのかという話ですよ。つまり、世の中全体が、要するに構造改革から始まって、この小さな政府路線行っていたと、PBまでやったけれども、これはちょっと違うねとみんな思っているんですよ。ところが、笛を吹いている自分が張本人ですからやめられない。 これを止めるのが御聖断なんですよ。総理、どうですか。
これはまさに、撤退を転進と言った、そして全滅を玉砕と言ったあの大本営発表そのものじゃないですか。大本営発表に戻しているということじゃないですか、これは。
そんな中で、戦時中、米軍の兵隊さんが捕虜になると、捕虜になってでも生き残れという、日本人はとにかく先が見えなくても突っ込んで玉砕という、そんな日本人気質、まあ一部ですが、そんな気質の中で、日本の基本姿勢、今ここで明確にしなければならない、日本独自のある戦略というんでしょうかね、もう一度総理にお聞きしたいと思います。
○塩崎国務大臣 硫黄島で部隊が、ほぼ全員に近い方々が玉砕をされておるわけでございます。遺骨の埋葬地点等の情報が少ない中で、必ずしも積極的な情報収集を行わずに遺骨収集が進んでいなかったということがあったと思います。 しかし、平成二十一年の、今先生お話ございましたけれども、米国の公文書館の調査によって、硫黄島の集団埋葬地の特定に至って、千四百十六柱の御遺骨の収容につながったわけでございます。
それは、敗戦濃厚だったときに、それを認めて引く勇気を持たず、結局何をしたかというと、大変優秀な国を憂う若者たちに特攻を命じたり、また玉砕を命じたりしてしまった。間違ったときに引くことができなくて最後まで突っ込んでいってしまったんですね。その点は、私は、やはり過ちては改むるにはばかることなかれ、しっかりと見直すべきときは見直さなくちゃいけないと考えています。
それは文科省の官僚やJSCの官僚に、かわいそうですよ、トップがかじ切ってくれないから玉砕するしかないんですから。 いや、私、あえてちょっと政治的な発言しますが、森喜朗組織委員会会長、私は、スポーツ界への貢献も長い間やられてきて、すばらしい方だと思います。思いますが、やはりラグビー協会の会長として長い間やってきた、今年替わりましたけどね。
当時の日本軍部は、本土防衛の防波堤、いわゆる捨て石として玉砕覚悟の陣地を沖縄に張り、徹底抗戦を命じました。米軍は、その前線基地沖縄を徹底的に攻め尽くし、鉄の暴風と称される大きな戦争台風が吹き荒れました。つまり、沖縄には日本軍の軍隊と軍事基地があるから、だから沖縄は狙われました。それは自明の理であります。
最初から玉砕ということを知っていながら、日本本土の防衛体制が、当時、沖縄戦が始まったときには六〇%しか仕上がっていなかったわけですよ、それを、沖縄に米軍を一日でも長くくぎづけにしておいて、その間に日本本土の防衛体制を完璧にしようということで、沖縄が玉砕するということを知っていながら、あえて捨て石にして今日に至っているわけなんですね。
まず、太平洋戦争における旧日本軍が最初に玉砕したとされるアッツ島の遺骨収集帰還事業について厚生労働省にお聞きいたします。 まず、事実関係について、アッツ島の戦没者数、遺骨収容数、それから残存遺骨数をそれぞれお願いいたします。
大変フラットで、一万六千人が玉砕したという歴史があるところですが、そういう中で大変警護をしっかりしないと。今回新聞にも出ていますが、ホテルよりも船に泊まられるということで、しかし、本当はもうホテルに泊まって、私もいつも泊まるところがあるんですが、海がきれいで、そのすばらしい景色を見ていただければと思いますけれども、まあそういうようないろんな事情があると思います。
この平和主義の考え方については政府の確立した解釈がございますけれども、私がかみ砕いて御説明をさせていただきますと、かつての満州事変に始まり太平洋戦争の敗戦に至るまで、原子爆弾の悲劇、沖縄の地上戦の悲劇、特攻隊の悲劇、あるいは南の島の玉砕の悲劇、あるいは東京大空襲の悲劇、そうした本当に国民の皆様にとって大きな大きな悲惨が降りかかりました。
それで、戦後七十周年というそういう中で、本当になかなか、テレビでもやりますけど、そのパラオでどれだけの人が死んだかという、一万六千人が玉砕したというような、そういう遺骨もまだ収集全部できていない。そんな中で天皇が今度は訪問されるということで、大変セキュリティーの問題があると思うので、船で宿泊施設を取って、多分、行って、八日の日ですかね、来月、それで翌日にはもう戻られてしまうと。
かつては、一番のペリリュー島という、一万六千人でしょうか、日本軍が玉砕し、その海がオレンジ海岸という名前が付いていますが、本当に血で染まったためにそういう名前が付けられたということも聞いています。