1949-03-25 第5回国会 参議院 厚生委員会 第3号
御質問の点につきましてこれは政府だけの意図において決定できるかということでありますが、今日の政府は殆んど民自党の單独内閣といつても過言ではないと思うのでありますが、一面民主党の犬養総裁の御一統と申しましようか、連立の形はとつておりますが、大体におきまして民自党の單独内閣で民自党の政策を行うということでありまして、この面につきまして政府におきましてもいろいろ檢討いたしております。
御質問の点につきましてこれは政府だけの意図において決定できるかということでありますが、今日の政府は殆んど民自党の單独内閣といつても過言ではないと思うのでありますが、一面民主党の犬養総裁の御一統と申しましようか、連立の形はとつておりますが、大体におきまして民自党の單独内閣で民自党の政策を行うということでありまして、この面につきまして政府におきましてもいろいろ檢討いたしております。
吉田さんは、去年の選挙を行う際には、おそらくこれほど多数とれるとは思われなかつたかどうかはわかりませんが、犬養さんに、この次はひとつ連立で協力を頼むということを言われたと、犬養さんから私どもは聞いております。
青木 正君 池田正之輔君 江花 靜君 小川原政信君 尾関 義一君 鹿野 彦吉君 齋藤 隆夫君 佐藤 榮作君 田中 萬逸君 丹羽 彪吉君 根本龍太郎君 牧野 寛索君 山本 久雄君 吉田吉太郎君 若林 義孝君 芦田 均君 犬養 健君 苫米地義三君
われわれも犬養さん、保利さんみな除名しておるから、われわれの方でも議席を変更してもらわねばならんということになる。しかしそういうみつともない醜悪な状態をこの公開の席上でやるのはいかぬから……。
〔参事朗読〕 内閣委員 青木 正君 池田正之輔君 江花 靜君 小川原政信君 尾関 義一君 鹿野 彦吉君 齋藤 隆夫君 佐藤 榮作君 田中 萬逸君 丹羽 彪吉君 根本龍太郎君 牧野 寛索君 山本 久雄君 吉田吉太郎君 若林 義孝君 芦田 均君 犬養 健君 苫米地義三君 坂本 泰良書 鈴木 義男君 木村 榮君
山口喜久一郎君 山口 好一君 山口六郎次君 山崎 猛君 山村新治郎君 山本 猛夫君 山本 久雄君 吉田 茂君 吉田 省三君 吉田吉太郎君 吉武 惠市君 龍野喜一郎君 若林 義孝君 若松 虎雄君 渡邊 良夫君 亘 四郎君 逢澤 寛君 芦田 均君 天野 久君 荒木萬壽夫君 有田 喜一君 稻葉 修君 犬養
山口喜久一郎君 山口 好一君 山口六郎次君 山崎 猛君 山村新治郎君 山本 猛夫君 山本 久雄君 吉田 茂君 吉田 省三君 吉田吉太郎君 吉武 惠市君 龍野喜一郎君 若林 義孝君 若松 虎雄君 渡邊 良夫君 亘 四郎君 逢澤 寛君 芦田 均君 天野 久君 荒木萬壽夫君 有田 喜一君 稻葉 修君 犬養
山口喜久一郎君 山口 好一君 山口六郎次君 山崎 猛君 山村新治郎君 山本 猛夫君 山本 久雄君 吉田 茂君 吉田 省三君 吉田吉太郎君 吉武 惠市君 龍野喜一郎君 若林 義孝君 若松 虎雄君 渡邊 良夫君 亘 四郎君 逢澤 寛君 芦田 均君 天野 久君 荒木萬壽夫君 有田 喜一君 稻葉 修君 犬養
いざ選挙が始まるとなりますると、正面の敵たる、忘れもせぬ去年三月三十一日をもつて立党したるわが民主党に対して、選挙の最中、犬養健先生、石黒幹事長その他数名のわが党幹部を一挙にして追放に縛り上げてしまつた。追放した。諸君、堂々たる政治家が、相手方をかくのごとき窮地に陷れて、それで五分と五分との戰いができると思うか。
しかし、いやしくも責任のある政治家が、一党の総裁として在野時代に天下に発表し、いよいよ朝に立たれて、これを実行に移し得る権力の裏づけを得られた一國の総理大臣が、政策のことを語らずして、いたずらに口を開けば解散のことを叫ぶのは、あたかも往年、話せばわかると言つた犬養首相に対して、問答無用、撃てと命令した青年將校の態度をさえも連想させるものがあるのであります。
○中村(元)委員 そうしますと、当時の自由党で大野伴睦氏、あるいは大久保留次郎氏、また石井菊次郎氏、それから当時の進歩党の犬養健氏、田中萬逸氏、社会党の片山哲氏、西尾末廣氏らがこのメンバーであつたのではないでしようか。
○明禮委員 ここに書いてあるところによりますと、重ねて申しますが、犬養健氏の紹介で北村徳太郎氏と門屋盛一氏が資金的援助をされることになつたので一千万円を貸したという調書でありまするから、これも私どもは全然ないことをかくのごとく調書にしたためて、これを土台にして金を出したということに私どもは承つておるのでありますが、そう見るよりほかはないのでありますが、あなたは何かお忘れになつておるのじやないでしようか
その後同組合理事長武田巖及び理事川西睦はあくまで本事業の達成を意図し、本金庫よりの拒絶事由の排除に努力せり、川西理事はその個人的知友関係にある兒玉正勝(法政大学教授)を通じ、同人の親友にあたる犬養健に事情を訴えしところ、犬養はさらにこの問題を政治的に同志たる保利茂(元代議士、元農林大臣秘書官、現当社取締役社長)に相談し、保利は本事業を引受けたり。
川西理事はその個人的知友関係にある兒玉正勝(法政大学教授)を通じ、同人の親友にあたる犬養健に事情を訴えしところ、犬養はさらにこと問題を政治的同志たる保利茂(元代議士、元農林大臣秘書官、現当社取締役社長)に、これを相談し、保利は本事業を引受けたり。
○武藤委員長 そのうちの一組が犬養健さんのところに行つたことはありませんか。
○明禮委員 この調査の中に犬養さんが骨折つたというようなことが書いてあつて、犬養さんの紹介で北村さんが出てきておりますね。こういうことは事実なんでしようね。
○明禮委員 これはあなたの言われるようなことではなく、今の初めはそうやつてやつたが、結局はねられてしまつて、仕方がないから犬養さんの所へ行つて話をし、犬養さんから北村さんに話をして、北村さんの努力によつて、一千万円の会社をつくり直して、それでいけばという大体の話が初めて北村さんの方からあつて、二百万円の会社にこれをつくり直して、今の厚生團体みたようなものではいかぬというので、それであとからこの八方のお
そのまま選挙に突入いたしまして、委員長である犬養氏が追放になり、閣僚諸公が遊説に出かけられて、私が單騎留守を守つたのであります。その後犬養氏、楢橋氏、石黒氏その他の先輩が追放になりましたので、私が独断で骨を折つたのであります。
○徳田委員 犬養健さんは。
○地崎證人 犬養健氏。
うかがいますと何かかなり政界の苫米地さんの大物という中には━━私はその風説を信じませんが━━楢橋渡氏とか、あるいは河合良成氏であるとか、あるいは犬養健氏であるとか、あるいは社会党の杉山元治郎氏とか、河野密氏とか、二百余名に及ぶ追放解除の申請をしたということを聞いております。
殊に早稻田大学におりました当時は、御承知のように辻先生は相撲が好きでありますし、私も早稻田の相撲部にはいつた関係から、辻先生のお宅には始終伺つたり、あるいは中國問題に関しても孫文先生を、犬養先生とか頭山先生がお助けになつておつたようでありますけれども、縁の下の力持ちとしては非常に辻先生がおせわされたということも私ども実際存じ上げておるわけです。
更にもう一つは、これは幸いに逓信大臣並びに復興院総裁の大臣もお見えになりましたので、政治的折衝としてお願いを委員長として申上げて置きますが、曾つてあの関東を中心とする大震災の場合に、時の逓信大臣犬養氏は全く一片の原簿もない、本人に貯金の証書もない場合、本人の申出を是なりとし、絶対に信頼して非常処置を取つた瀝然たる事実があるのであります。
曽て三浦梧樓氏は外交問題を政争の具に供することを憂い、原、加藤、犬養の三党首会談を二三回行い、爾来外交に関する不利益は大分救われたと記憶しております。