2004-05-18 第159回国会 参議院 法務委員会 第17号
すると、この裁判員にたまたま選出されたとなったら、本人も、もうこれは、何というか、犠牲心というわけじゃないんだけれども、大いにこの法に、法のために、国のためにという形で取り組んでいきたいと、勇気を持って裁判員になっていただきたいなと。これらの関心が、取り巻く人たちには相当いい普及が出るんじゃないかなと、その輪を広げていくのが当然じゃないかなという感じ持っているんですが。
すると、この裁判員にたまたま選出されたとなったら、本人も、もうこれは、何というか、犠牲心というわけじゃないんだけれども、大いにこの法に、法のために、国のためにという形で取り組んでいきたいと、勇気を持って裁判員になっていただきたいなと。これらの関心が、取り巻く人たちには相当いい普及が出るんじゃないかなと、その輪を広げていくのが当然じゃないかなという感じ持っているんですが。
ただ、国が派遣する以上はそういった方々のいわゆる本当の献身的な犠牲心だけに頼るわけにはいかないわけでございまして、送る以上はそれなりの身分保障、生命、身体の安全といったものを注意してあげないと国として送れない。 こういう現状でございますし、また自衛隊自身がおれは行きたい、早くカンボジアに行って仕事がしたい、そう言っておるわけでもございません。
私は、ここにえりを正して、この自衛隊の訓練の激しさ、そして搭乗者の崇高なる犠牲心というものを考えてみたいと思うのです。これは飛行機を新たにつくるよりも、つくった飛行機をなくしないように、二百八十機をこえるような墜落事故によって飛行機を減損しているというこの厳粛なる事実の前に、日本自衛隊のあり方を十分検討してもらいたい。教育局長としても、教育訓練の上で責任を感じてもらいたいと思います。
申し上げるまでもなく、日本の消防団員というものを沿革的に見ますと、もともとその土地の有志の方々が、一種の犠牲心と申しますか、義侠心と申しますか、そういうような自発的な気持で、自分たちの郷土を守ろうという考え方に立って消防団員というものが御指摘のように発足して参ったわけであります。
その犠牲心によって郷土を防衛するというその気持はとうとぶべきものであり、どこまでも伸ばさなければなりませんが、同時にお話のように、だからといって昔のようなあり方でいいとは私ども決して考えません。また、今日消防組織法において、また自治法におきまして、消防団員というものが少くとも行政機関として責任を持たされておるのであります。
みな家へ帰りたいという心を押えて、自分が犠牲になることによって同僚の戦犯を救い、その他の者を一日も早く帰してやろうという非常な犠牲心を持って残った人が多いのです。それを離隊逃亡という汚名を着せてばっさり切るなんてことは、どこから出た処置だ。それを四の五の言って、そのあやまちを認めないということは容赦できない。 その一つのケースを御参考に申し上げてみます。
会社が少しくらい損をしても、少しくらい迷惑しても、この問題だけは解決してやる、こういうような社長の大きな腹、こういう犠牲心というようなものをお持ちになって、この解決にお当りにならなければうまくいかないと思う。どうかそういう工合に解決いただくように私からお願いいたしまして、私の証人に対する質問を打ち切ります。
こういう見地からいたしまして、警察予備隊の隊員に対する訓練は、かような愛国的な犠牲心の発揮を促すということが、創立以来指導にあたつて最も力を入れておる点なのでございます。こういうふうな考え方のもとに、国のため、国民大衆のために犠牲となつて、その利益と幸福を守る。こういう考えはいわゆる民族的な愛であり、国家に対する愛国心でございます。これはいかなる基礎に基いてそういう考え方を起して行くか。
けれども問題は、それは日本の国土を防衛するため、自分の熱愛する国を防衛するための犠牲心であり、義務である。かの世界政策によつて日本の青年が朝鮮に戦わしめられ、アジア大陸で戦わしめられ、仏印で戦わしめられ、あるいは場合によればヨーロッパに転用されるという、他国の世界政策のために日本の青年の血の一滴も流してはならぬのであります。
かくのごとく、國内食糧事情が一般的に好驚いたしましたことは、もとより全般的に恵まれた氣象條件と、農民諸君の非常なる犠牲心の発露によりますことは、もちろんでありますが、何と申しましても、アメリカ政府並びに連合軍総司令部の高邁なる占領方針により年々輸入せられます食糧並びに肥料の恩恵によることは、多言を要しないところであります。