2008-04-02 第169回国会 衆議院 外務委員会 第4号
ここにちょっとないので言いますと、この上ですけれども、今後考えるに当たって大事なことなんですが、戦後すぐは特別調達庁というのがあったんですね。それは米軍御用達みたいなのでできて、そのときは日本政府がすべて負担していたんです。今はバードンシェアリング、半分かもしれませんけれども、かつては日本政府がすべて負担していた。
ここにちょっとないので言いますと、この上ですけれども、今後考えるに当たって大事なことなんですが、戦後すぐは特別調達庁というのがあったんですね。それは米軍御用達みたいなのでできて、そのときは日本政府がすべて負担していたんです。今はバードンシェアリング、半分かもしれませんけれども、かつては日本政府がすべて負担していた。
今回の防衛施設庁が生起いたしました官製談合事件の背景といたしまして、占領軍の施設、物品の調達を担当する特別調達庁をその前身とする防衛施設庁の沿革、あるいは建設業務に従事する職員の独自の人事管理、防衛庁がスタートした中での建設本部、これが三十七年に一緒になり、今四十四年たっているわけでございます。
そこで、私は、施設庁というのは一体どういう成り立ちをしているのか、どういう仕組みになっているのかということを調べましたところ、これは占領軍時代からの特別調達庁の延長線上にありまして、人事の、特に建設技官なんというのは人事も全く、採用も防衛庁とは別でした。人事交流もありませんでした。そして、施設庁内はチェック体制も行き届きませんでした。
私は、やっぱり人事の停滞とか、これまでの占領軍時代からの特別調達庁時代の長い停滞的な習わし、慣習等々が今度の事件を起こした背景にあると思っておりますので、これは施設庁を解体する方向で対策を立てたいと思っております。
元々、施設庁は、もう既に御承知のとおり、占領軍時代からの特別調達庁という経緯があります。したがって、人事交流も建設部に至ってはほとんどありません。
施設庁というのは一体どういう仕組みで、どういう歴史的な経緯があって今日まで来ているのかということを調べたところ、これはもともと占領軍時代の特別調達庁として機能を果たしておりました。だから、防衛庁よりも早い段階で組織が動いているわけでございまして、防衛庁が警察予備隊、保安隊、自衛隊というふうになっていく過程で、今日近くまで、採用も、技術陣は全く別組織であります。
施設庁においても、これは公共事業等々の仕事をしているわけでございますから、自粛し、そしてまた調達本部の教訓を踏まえて、再びこういうことが起こらないように自戒をし、防止対策を講じていたものと考えるのが常識的な考え方であったと私は思っておりますが、後にこの事件が発覚してから、施設庁は一体どういう対応をしてきたのかということを調べてみましたら、これはやはり、この前も申し上げましたけれども、占領軍時代の特別調達庁
その中で、施設庁は、やはり占領軍の時代から特別調達庁として特別な権限を持ちながら仕事をやってきた。そういうところに、その体質があるわけでございます。しかも、人事交流も行われてこなかった。そういうところにも、また一つのよどんだ空気があるわけでございます。そういう中で、私は、これを透明性を持っていかなければならない形にしなければならないということでございます。
これは今、浅野委員がおっしゃるように、これまでの占領軍時代の特別調達庁、それから今おっしゃるように人事の停滞、あるいは技術グループですべてを囲い込んでおったということ、そういうことが今日の事件の温床になっておったものと思っております。しかも、なおかつ人事の採用ですね、防衛庁のⅠ種の採用は本当に防衛庁の事務レベルだけでございました。あとは全部分割されておりまして、技術は施設庁でございます。
これはどういう生い立ちがあるかというと、今の施設庁というのは、占領軍時代のそもそも特別調達庁として発足をいたしました。したがって、米軍の仕事を直接的に引き受けたものですから、その施設庁の前身の皆さん方はある意味では特権意識を持ち、あるいは人事交流でも非常に排他的であって本庁との交流がなかった。そういう中にやっぱりこういう不正を生み出す温床があったということでございます。
そこで、いろいろ考えてみたんですけれども、あるいは調べてみたんですけれども、施設庁というのは、占領軍時代に特別調達庁として、米軍のまあ言ってみれば要請に応じて、あるいは建物を造ったり道路を造ったり資材を供給をしてきたりした経緯があります。したがって、そういう歴史的な経緯の中で、ある意味では特権意識が植え付けられた。
○塩田政府委員 防衛庁といたしましては、現在の防衛施設庁の前身であります特別調達庁が当時調達をしたものはどういうものかといったようなことは、当時の特別調達史といったような、ちょっと正確な名前はいま覚えておりませんが、そういう本がございまして、記録は見ることができますが、通常、朝鮮戦争が始まる前と同じような調達をしておる。
二十七年に及ぶ官界生活においては、戦前は若き内務官僚として衆望を担い、社会保険、警察、教育、南方司政など幅広く縦横に活躍し、戦後は、戦災復興院にあって文字どおり焦土と化した国土の復興に情熱を傾け、また特別調達庁においては渉外業務を円滑に処理、信望を集められました。
このほか、扶養加給の増額、特別加給の改善及び旧特別調達庁の職員期間の通算条件の緩和等、所要の改善措置を講ずることとしております。 なお、衆議院において施行期日を公布の日と改めるための所要の修正が行われております。
それから次に、今度通算関係で特別調達庁の職員期間を入れることにしたんですが、これは衆議院でも質問やっているようでありますけれども、どうして今日までこれがおくれたのか、それからどれぐらいの人が該当してくるのか、その点をお聞きをすることが一点。 それから、そのほかにもこの通算関係の問題になりますというと、今日までもずいぶん私も質問をしましたし、皆さんの努力もありまして、かなり通算関係が進んだ。
○政府委員(小熊鐵雄君) まず、もとの特別調達庁の通算でございますが、これは、先生御承知のように、マッカーサー総司令部の指令に基づきましてできたわけでございます。そのできたときの職員構成を見ますと、総理庁の事務官それから一般職員、それがミックスした形でできておったわけでございます。その後、調達庁は昭和二十四年の六月になりまして政府に移管になったわけでございます。
以上のほか、扶養加給の増額、特別加給の改善及び旧特別調達庁の職員期間の通算条件の緩和等所要の改善を行うことといたしております。 以上がこの法律案の提案理由及びその内容の概要であります。 何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛同あらんことをお願いいたします。
まず、今回の改正案では、恩給年額の増額、さらに普通恩給等の最低保障額の増額、扶養加給の増額、特別加給の改善、長期在職の旧軍人等にかかわる仮定俸給の改善、旧特別調達庁の職員期間の通算条件の緩和等々が内容的に含まれているのでありますが、そのうちの仮定俸給の問題、これは従来からも、この恩給年額の増額の場合の仮定俸給の引き上げについては論議がなされてきておるわけでありますが、私の承知しておるところでは、昭和五十一年
○小熊政府委員 特別調達庁というのは昭和二十二年九月にGHQの指令によって設置されたわけでございますが、その職員構成は、総理庁事務官と、それからいわゆる一般職員、これは役員とか参事とか主事とか雇傭人とかいうものがあったわけでございますが、これによって構成されておったわけです。
それは、今度の改正の中で旧特別調達庁の職員期間の通算期間の緩和をやられるわけであります。これは今日の防衛施設庁の関係の要請もこれあり、改定する必要があるだろうということに基づいて改定をされたものと承知をしております。
それから傷病者遺族特別年金は四月と八月と十二月、その他特別加給が六月実施、長期在職の旧軍人の仮定俸給改善が十月、それから旧特別調達庁の職員期間の通算条件の緩和が十月、このようにばらばらに実はなっているわけですね。
さてそれから、旧特別調達庁の職員期間の通算条件が緩和されて、昭和二十四年六月一日以前に恩給公務員となった場合においても五十六年十月から職員期間が通算されるわけでありますけれども、通算条件が緩和されたという理由は何でしょうか。
○小熊政府委員 特別調達庁でございますが、これは先生御承知のように、GHQの指令に基づきまして昭和二十二年の九月に設置されたわけでございます。その特別調達庁の職員の構成というのは、当時の総理庁事務官とそれから一般の職員、これがミックスされたような形で構成されておったわけでございます。
したがいまして、今回普通財産を山梨県に払い下げましたけれども、それは特別調達庁が自創法の規定ではなくて、通常の売買で開拓農民から買収をした土地を払い下げたわけでございますので、その段階では、現在の農地法の八十条の買い戻しの規定は働かない、こういうふうに考えて、昨年売買契約を締結をしておるわけでございます。
それから一方、昭和二十年の九月から二十七年三月までの間、当時、当飛行場と周辺の民有地が連合軍に接収されておりました間、特別調達庁が、野本治平氏の所有地といたしまして二十万五千二百九十一坪でございますが、これに対して借地料を約七百万円支払ったわけでございます。
○稲葉(誠)委員 国家行政組織法の改正が昭和三十二年に問題になったときに、公取を経済企画庁の外局にすることと、それと特別調達庁を防衛庁の外局にするということで、防衛庁の関係は決まったわけでしょう。公取の方は決まらなかったわけですね。その間の経緯はわかりますか。わからなければ後でもいいですけれども、どういうわけなんでしょうね、これは。