2013-06-19 第183回国会 衆議院 財務金融委員会 第12号
一つは、名著とも言われる「失敗の本質」でも取り上げられたインパール作戦、これをひとり強行し、三万人を超える将兵を餓死させたにもかかわらず、責任を回避し続けた牟田口廉也陸軍中将です。もう一つは、真珠湾攻撃の際、在米日本大使館の怠慢で宣戦布告が一時間おくれたことにより、日本人に、だまし討ちをした卑劣な民族との烙印が押されました。
一つは、名著とも言われる「失敗の本質」でも取り上げられたインパール作戦、これをひとり強行し、三万人を超える将兵を餓死させたにもかかわらず、責任を回避し続けた牟田口廉也陸軍中将です。もう一つは、真珠湾攻撃の際、在米日本大使館の怠慢で宣戦布告が一時間おくれたことにより、日本人に、だまし討ちをした卑劣な民族との烙印が押されました。
これは史上最悪の作戦と言われているわけですが、当時の第一五軍司令官の牟田口廉也という人は、大本営に執拗に、インドに向かって進軍しようということで、三個師団、その師団長はみんな反対したんです、参謀も反対したんです。
あのときに参謀本部に不拡大主義者の作戦部長石原莞爾少将、陸軍省に柴山兼四郎軍務局長がおったが、前線の連隊長牟田口廉也大佐の強硬論に押し切られてしまったのであります。このような例があります。 また、機密保護法のむなしさは、太平洋戦争勃発のきっかけとなった真珠湾の先制攻撃の失敗は何か、真珠湾の奇襲作戦はアメリカ側によってすでに日本の暗号は読み取られておったのであります。