1989-11-24 第116回国会 衆議院 文教委員会 第4号
その委員は東洋、江副浩正、木村尚三郎、森隆夫、諸澤正道、山口薫氏の六名です。それで江副さんは第一回会合に顔を出しただけで、実質審議をしているのは江副さんを除いた四名ないし五名です。当時座長は、私が後から出します諸澤元文部省事務次官であります。この五人程度で審議を経た上で必修外しを行うわけです。
その委員は東洋、江副浩正、木村尚三郎、森隆夫、諸澤正道、山口薫氏の六名です。それで江副さんは第一回会合に顔を出しただけで、実質審議をしているのは江副さんを除いた四名ないし五名です。当時座長は、私が後から出します諸澤元文部省事務次官であります。この五人程度で審議を経た上で必修外しを行うわけです。
かつて、諸澤正道初中局長が教材基準について、「学校現場での教育効果を左右するのは、教員組織、教科書、施設設備の三つの要素である」と言っています。これは前にも私、文教委員会で聞いたんですけれども、「設備のうちでも教材教具は、改良工夫が目覚ましく日進月歩といっても過言ではあるまい。この教材教具をいかに整備し、うまく使いこなすかが、教育効果を高めるのに重要な役割を果たすこととなる。」と述べているんです。
○吉川春子君 私も一般論として教員が非常に重要な役割を果たすことについて別に異論はないわけですけれども、今申し上げましたのは、実は昭和五十三年十一月に文部省初中局長の諸澤正道さんが「新しい教材基準」という本の「序」に今のような言葉を書いていらっしゃるわけなんです。
実はこういうのがあるんですよ、諸澤正道さん、これは前の文部事務次官ですね。この方が三十九年三月に第一・法規出版から「逐条解説 義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」という解説をされた本を出されておるんです。これは前の文部事務次官ですからね、いまおられるところの皆さんの上司ですよ。
これは五十三年の三月七日、諸澤正道、望月哲太郎名です。諸澤さんはいま次官ですが、五十三年三月七日に出した通達が一つ、その次は五十五年十一月二十五日、去年の暮れに出した通達。たった二通ですよ、これは。そしてその中は、青少年白書からとった資料が三分の二を占めている。書いた文章も薄っぺらなものです。
そこで私は、国民はとにもかくにも真実を明らかにすることを教科書関係では望んでいる、この一点についてはすべての国民は同じ心であると思いますので、委員長に、教科書協会の前会長である稲垣房男氏、教科書協会事務局長日下正衛氏、文部事務次官の諸澤正道氏、蓬庵会の前会計責任者佐藤比呂志氏、この四名を証人として喚問されることを要請したいと思います。
教科書協会の前会長である稲垣房男氏、教科書協会事務局長の日下正衛氏、文部事務次官の諸澤正道氏、それから蓬庵会の前会計責任者佐藤比呂志氏、この川名を証人喚問されることを決定していただきたい、このことを委員長に改めて申し入れるわけであります。
特にあなたは運輸大臣当時に、当時の行政管理庁長官木村武雄、自治大臣赤澤正道、運輸大臣中曽根康弘。昭和四十三年十一月二十五日、三人で署名したものもある。これどうなりますか。 だから私は、歴代内閣は必ず、中身がむずかしくて調整がとれません、苦慮しております。
長谷川正三君 村山 喜一君 湯山 勇君 有島 重武君 鍛冶 清君 高橋 繁君 藤田 スミ君 西岡 武夫君 出席国務大臣 文 部 大 臣 谷垣 專一君 出席政府委員 文部政務次官 三塚 博君 文部大臣官房長 宮地 貫一君 文部省初等中等 教育局長 諸澤 正道君
○佐藤三吾君 文初地第二七八号、昭和五十四年九月六日、各都道府県教育委員会委員長あてに出しておる、初等中等局長の諸澤正道さんですか、この通達に基づく調査じゃないんですか。
長谷川正三君 村山 喜一君 湯山 勇君 有島 重武君 鍛冶 清君 高橋 繁君 栗田 翠君 藤田 スミ君 西岡 武夫君 出席国務大臣 文 部 大 臣 谷垣 專一君 出席政府委員 文部大臣官房長 宮地 貫一君 文部省初等中等 教育局長 諸澤 正道君
○政府委員(諸澤正道君) おっしゃるとおりでございます。
○政府委員(諸澤正道君) ちょっとわかりません。
○政府委員(諸澤正道君) おっしゃるとおりです。
○政府委員(諸澤正道君) 五十五年度を初年度として実施をするわけでございますが、いまの計画といたしましては、五十五年度から発足させました四十人学級は、人口減少市町村の学級で、しかも、そのために格別の施設の増を必要としないところに限ったわけでございまして、これが約五百五十校ぐらいであったかと思いますが、そのほかの学校は五十八年度から学年進行で実施をするというような形にいたしたいと思っておるわけでございます
○政府委員(諸澤正道君) 教室の整備の問題につきましては、ちょっといま正確な数字持っておりませんけれども、この小学校が五十六年度で全国的にピークに達し、中学校は六十一年度ということになりますと、これから主として中学校の教室増が多くなるわけですが、五十五年度以降その自然増に対応する教室分だけでも全国では四万七千教室ぐらいたしか必要なんですね。
○政府委員(諸澤正道君) 今回の改善の計画は、五十五年度から六十六年度までの十二年間に約八万一千人の教員増を行って改善をしたいというものでありますが、その中身としましては、四十人学級の実現のために四万三千人の教員増をいたします。
重昭君 岩佐 恵美君 楢崎弥之助君 出席国務大臣 文 部 大 臣 谷垣 專一君 出席政府委員 総理府総務副長 官 愛野興一郎君 文部大臣官房長 宮地 貫一君 文部大臣官房会 計課長 植木 浩君 文部省初等中等 教育局長 諸澤 正道君
鍛冶 清君 高橋 繁君 栗田 翠君 藤田 スミ君 三浦 隆君 西岡 武夫君 出席国務大臣 文 部 大 臣 谷垣 專一君 出席政府委員 大蔵省主計局次 長 禿河 徹映君 文部大臣官房長 宮地 貫一君 文部省初等中等 教育局長 諸澤 正道君
吉田 正雄君 柏原 ヤス君 佐藤 昭夫君 木島 則夫君 前島英三郎君 国務大臣 文 部 大 臣 谷垣 專一君 政府委員 文部大臣官房長 宮地 貫一君 文部省初等中等 教育局長 諸澤 正道君
○政府委員(諸澤正道君) 昨年の四月に養護学校を義務制にしました際に、前年度に比べますと百五十校ぐらいふえたわけですね。
○政府委員(諸澤正道君) これは、義務制前はいわゆる猶予、免除という子供が約一万人いたんですね。これが義務制になりまして、三千人ほどに減ったわけです。それでそのうちの相当部分は訪問教育の対象になっていますから、五十四年度の年度当初で言いますと、訪問教育の対象になっている者が七千三百三十一人ということになっております。
績介君 長谷川正三君 村山 喜一君 湯山 勇君 有島 重武君 鍛冶 清君 高橋 繁君 栗田 翠君 藤田 スミ君 西岡 武夫君 出席国務大臣 文 部 大 臣 谷垣 專一君 出席政府委員 文部大臣官房長 宮地 貫一君 文部省初等中等 教育局長 諸澤 正道君
大蔵大臣官房審 議官 永野 繁君 大蔵省主計局長 田中 敬君 大蔵省主税局長 高橋 元君 大蔵省理財局長 渡辺 喜一君 大蔵省銀行局長 米里 恕君 大蔵省国際金融 局長 加藤 隆司君 文部省初等中等 教育局長 諸澤 正道君
宮下 創平君 中西 積介君 長谷川正三君 村山 喜一君 湯山 勇君 鍛冶 清君 高橋 繁君 栗田 翠君 藤田 スミ君 三浦 隆君 西岡 武夫君 出席国務大臣 文 部 大 臣 谷垣 專一君 出席政府委員 文部省初等中等 教育局長 諸澤 正道君
警察庁交通局長 池田 速雄君 防衛庁防衛局長 原 徹君 法務省民事局長 貞家 克己君 法務省人権擁護 局長 中島 一郎君 外務省北米局長 淺尾新一郎君 外務省条約局長 伊達 宗起君 大蔵省主計局長 田中 敬君 文部省初等中等 教育局長 諸澤 正道君