2001-09-19 第152回国会 参議院 予算委員会 閉会後第1号
そして、それは、七日の日にサンフランシスコ講和条約の五十周年並びに日米安保の五十周年の会合がサンフランシスコでございまして、防衛庁長官と同じ飛行機で出発をいたしましたが、その滞米中にはこういう話は聞いておりませんで、帰ってきましてから、そういうふうな未確認情報というものがあったということを北米局長から聞きまして、事実関係をただしました。
そして、それは、七日の日にサンフランシスコ講和条約の五十周年並びに日米安保の五十周年の会合がサンフランシスコでございまして、防衛庁長官と同じ飛行機で出発をいたしましたが、その滞米中にはこういう話は聞いておりませんで、帰ってきましてから、そういうふうな未確認情報というものがあったということを北米局長から聞きまして、事実関係をただしました。
滞米時間わずか十九時間ということで日米間を駆け回ってこられた。これはもう大変な気力、体力が要ることでございまして、総理が一生懸命頑張っておられる姿を拝見しておりますと、私は、昨年のことでありますけれども、総理がまだ通産大臣のときにアメリカのUSTRのカンター代表とやり合っておられて、ちょうどカンターが竹刀を総理の首元に突きつけて、それを莞爾としてほほ笑んでおられた。
私は滞米期間が長かったせいか、無人のガソリンスタンドは日常の風景の中に溶け込んでいました。過剰とも言えるごみ掃除のサービスよりも、自分で安いガソリンを入れることの方が合理的で気楽なごどのように思われてきました。恐らく消費者としても、その方がよいと思うに違いありません。
あるいはそれこそ具体的に、滞米中でございましたプロゴルファーの岡本綾子さん、この方がオープントーナメントに参加をする数日前に、みずから運転する車で事故を起こしたわけでありますけれども、シートベルトをしていたために助かって、その数日後のトーナメントで優勝をしたというようなことから、時の人でもあり、岡本綾子さんなどもぜひこうしたPRに参加をしてもらうなどどうか。
○松浦委員 ちょうど外務大臣が国連総会に御出席、滞米中だと思うのですね。利用されたのか、それはわかりませんけれども、このジャパンライフというのは、実は健康政治連盟あるいは財団法人のライフサイエンス振興財団、こういったところをうまくミックスさせて人狩りというのですか、要するに品物を売るんではなくて、人を組織的に集めてマルチ的にずっと資金を吸収していくという仕組みなんですね。
ただいま委員御指摘の報道につきましては、私どもも滞米中にそういうことを聞きましたものですから、早速国防総省の方に照会してみたわけでございます。
私はどう見ても、新聞は比較的好意的に書いたのでしょうけれども、大臣に対して非礼だという言葉も使い、同時に、この滞米中に起きたアクションというものを、従来もあったことなんですから、それ自身に対する対応としての大臣の現地における記者会見が、日本の側から見てもう少し慎重を期さるべきではなかったか。
今度加藤防衛庁長官が滞米中に、アメリカの国会が防衛力増強を日本に対して要求する決議をして大問題になっておりますけれども、ひどい話で、自分の国会はアメリカの軍事費を下げようとしておいて、日本にはふやせと言うのでしょう。それで、つまりアメリカは本当に根源に手を触れないで、ツケを日本に回そうとしているわけです。
○赤木説明員 警察といたしましては、昭和五十七年の十二月末に外務省を通じまして、当時滞米中の金大中氏に対して事情聴取の申し入れを行ったところでございます。
○山村国務大臣 今回の交渉に当たり、絶大な御支援と御協力をいただくとともに、国会開会中にもかかわらず私並びに経済局長、農蚕園芸局長及び畜産局長の訪米と再度にわたる滞米延期に格別の御配慮をいただきました本委員会の皆様方に厚く御礼申し上げます。
○国務大臣(山村新治郎君) 東議員が滞米しておったことは事実でございます。しかし、これは我々今度の日米農産物交渉団とは何らの関係もございません。そして、彼の選挙区がかんきつに関係するものが多く、私のところへ朝晩毎日連絡をしてよこしました。しかし、それは彼の少しでも日米農産物交渉をよくしたいという気持ちで電話をよこしたと思います。そして私は、その情報は一応伺いました。
○国務大臣(山村新治郎君) 今回の交渉に当たり絶大な御支援と御協力をいただくとともに、国会開会中にもかかわらず、私並びに経済局長、農蚕園芸局長及び畜産局長の訪米と、再度にわたる滞米延期の格別の御配慮をいただきました本委員会の皆様方に厚く御礼申し上げます。
この辺が私の滞米中に得た感触でございます。
○政府委員(淺尾新一郎君) 私たちとしても国会の御議論あるいは新聞報道等もございますので、そういう点を踏まえて外務大臣の方からマンスフィールド大使、あるいは滞米の大河原大使からワインバーガー国防長官、さらに昨日は総理及び外務大臣からロング太平洋司令官に申し出たわけでございまして、アメリカ側としてはとにかくいまは真剣に調査に取り組んでいる、すでにその調査に着手しているということでございますので、現在アメリカ
それからカリフォルニアでは、日本に次ぐ居留民団であるカリフォルニアの滞米韓国人居留民団を、反政府運動をキャンペーンすることで分裂させました。そして、八月の事件の起こった数日後、一両日後に実は日本の日比谷公会堂で反朴政権の大会を開催する準備をしておられた。
そのときに、アメリカの海軍の者が、アメリカの対潜哨戒というふうなことについて説明をしてくれましたけれども、私が滞米——アメリカにおりました間、P3Cということについて日本にどうこうしろとか、あるいはどうであるとかというふうなことについての論議とか、あるいは向こう側のP3Cに関する見解の表明というふうなものはいたしておりません。
があったわけでありますが、いままで資料要求というものは外交ルートで外務省を通して行われておったわけでありますが、そういう中に、今度法務省が初めて派遣したわけでありますが、これは外務省にもそういう話し合いがあって、当然外務省ともいろいろ協議をし、また、参事官がアメリカへ行ってからの行動についても、いろいろ事前の話し合いをして出発したのではないかと思うんですけれども、そのあたりはどういう話し合いをし、また、滞米中
○大久保証人 先ほど申し上げましたように、ユニットというのは私が滞米中に聞かされた話でございまして、ユニットは、私の記憶では四十七年の秋ごろかと存じますので、そのときは相談いたしておりません。
長官の滞米中は、ニューヨーク・タイムズによって、次々とこの日本政府と違う見解、記事が、権威ある新聞によって書かれている。こういう状況下で、日本の国民は山中防衛庁長官が軍事責任者として、軍事の責任者として、このラロック証言の問題について、あるいはアメリカ側の日本に対する核持ち込みの問題について、軍事の責任者の立場から——私は外交の責任者としての責任はあなたに負わせようとしない。
そして、滞米中の記者会見や帰国後のいろいろの講演の中で、非核三原則に触れていろいろ話されたことがあります。短いところだけ引用いたしますと、「非核三原則といっても「作らず」「持たず」は別として、「持ち込まない」という点については、国家の危急存亡の時は広く国民が判断すべきことだ。」こういうように言っております。これは六九年十一月二十一日の日本経済新聞の特派員との会見で出ています。