2021-06-02 第204回国会 参議院 憲法審査会 第4号
一方で、一九九一年に起こった湾岸戦争の際には、我が国は、自分たちが必要とする石油を運ぶタンカーは紛争地域に送るけれども、支援物資を届ける輸送船を送ることにはちゅうちょし、国際社会での評価を大きく下げました。憲法で国際協調主義を掲げながら、一国平和主義の問題が顕在化した例と思います。
一方で、一九九一年に起こった湾岸戦争の際には、我が国は、自分たちが必要とする石油を運ぶタンカーは紛争地域に送るけれども、支援物資を届ける輸送船を送ることにはちゅうちょし、国際社会での評価を大きく下げました。憲法で国際協調主義を掲げながら、一国平和主義の問題が顕在化した例と思います。
それから、今先生がおっしゃいましたとおり、お父様が湾岸戦争のとき、特に戦地に行かれて非常に御苦労されていたというお話もお聞きしました。要するに、安全保障ということもこの外航船員の世界には必ず絡んでくるんですね。今ちょっと台湾のお話が出ていますが、日本とヨーロッパ、中東、ここを結ぶ航路はこの台湾のすぐそばを通っております。もしも万が一のことがあった場合に必ず影響を受けるんですね。
ながえ先生おられますが、弓削商船高専出身で、私も島に住んで、一番印象深いのが、湾岸戦争、九一年の湾岸戦争のときにタンカーに指名をされて、日本からペルシャ湾を越えてクウェートまで油を取りに行って帰ってきた。
なお、他国軍隊同士の指揮権の詳細については、全てが公開情報で明らかにされているわけではないため、確定的にお答えすることは困難でございますが、その上で申し上げれば、湾岸戦争における多国籍軍においては、各国が自国の軍隊の指揮権を保有していたとの指摘があると承知しております。
あの湾岸戦争があって、手嶋龍一氏が「一九九一年日本の敗北」という本を書いています。百三十億ドル以上の要はお金を拠出をしても、クウェートの、ワシントン・ポストの感謝の国々への中には日本は入っていなかった。それから三十年後、僕は、二〇二一年日本の敗北だと思っている。日本の根幹を他国の一企業に委ねざるを得ないというところですよ。
そういった意味で、これは、湾岸戦争からもう三十年もたちます、今年ちょうど三十年なんですけれども、もうぼちぼち、他国の動向に右往左往するようなのじゃなくて、しっかりとした体制をつくっていかなくちゃいけないと思うんですけれども。
当時は、天安門事件、ベルリンの壁の崩壊、湾岸戦争と世界は激動し、国内では政治改革の嵐が吹き始め、大きな時代の転換期を迎える中、選挙でもその時代背景を映し、多くの新人議員が誕生いたしました。 その後、三期目を目指した平成八年の選挙は初めての小選挙区比例代表並立制で実施されましたが、私はみずからの未熟さと慢心により新しい選挙区を攻略できず、苦杯をなめる結果となりました。
実は、最近の本格的な戦争というのは湾岸戦争やイラク戦争までさかのぼらないとないので、これを例にしますが、世界最強のアメリカ軍が二度にわたってイラクと戦いました。このとき、当然、アメリカは別に憲法も気にせず敵基地攻撃をしたわけです。
○河野国務大臣 例えば湾岸戦争ですか、イラクが持っているスカッドミサイルをアメリカとして捜索し、これを破壊をする、そういう一連のオペレーションをやりました。しかし、幾つかこのスカッドミサイルがイスラエルに届いた、そういうこともあった。また、発射地点を特定をし、それを攻撃する、そういうオペレーションが行われた、そういうふうに承知をしております。
これは、湾岸戦争時代の教訓から、やはりアメリカのGPSから脱却しなければ自前の防衛戦略、軍事戦略は対抗できないということで、ミサイルの終末誘導や米軍の日本への来援阻止、A2ADにも大きな影響を与えると。 また、様々な宇宙開発計画も行われております。天宮一号と言われる中国版の宇宙ステーション、この宇宙飛行士も軍人です。また、月面探査、嫦娥四号が月の裏側の方に着陸をしたと。
ミッションブルーを率いているシルビア・アール博士は、一九九〇年からアメリカ海洋大気庁の主任研究者として、湾岸戦争時のペルシャ湾原油流出事故を始め、数多くの海洋問題に取り組んできました。国際的にも影響力の大きい研究者であります。そのミッションブルーにはIUCNにかかわる多くの研究者が参加をしています。
ニューヨーク原油でも、一時、湾岸戦争以来の下落を示し、二四%下落の三十一ドル十三セントというニューヨークの原油の引けということで、このきっかけは、サウジアラビアがトリガーを引いたんじゃないかというような読みをされている方々が多いようでございます。
日米が一方的に片務的な同盟関係かというと、私はこれは、以前、湾岸戦争の前の段階でなかなか自衛隊を出せないようなときに、日本は戦費百三十五億ドルの貢献をし、そして、その影響を受けて実は防衛予算が、中期防が一千億円減額されたときがあったんですね。
私、学生の時代に、ちょうど湾岸戦争が起こった後、日本は金だけで血も汗も流さないという批判を国際的に受けているというような話を受けて、昭和五年組の先輩たち、もう故人になられた方もいらっしゃいますが、佐々淳行さん、小山内美江子さん、二谷英明さん、こういった先輩方が、血は流したくないけれども汗は流そうということで、学生たちを連れて汗を流しに内戦の後のカンボジアやあるいは湾岸地域に行くというような活動に参加
○安倍内閣総理大臣 今、防衛大臣が述べたように、湾岸戦争からだけでも、あるいは二〇〇三年のイラク戦争からだけでも、相当これは大きな変化が出ているわけであります。いわば精密誘導弾であるということ、そして、その破壊力が極めて大きくなっているということ、生物化学兵器を持つ国が近隣にいるということ、その破壊力は相当の人命の損傷に及ぶということ等であります。
例えば、湾岸戦争のときは、使用された弾薬のわずか六%が精密誘導兵器でしたけれども、イラク戦争では六八%、それからリビア攻撃や昨年四月のシリア攻撃、これでは一〇〇%と言われております。
湾岸戦争もクウェートがしかけて負けています。 圧倒的に先に攻撃した方が有利なんですか。これは、私は事実として、いや、それは厳しいことはあると思いますよ、専守防衛というのはいろいろ。圧倒的に不利というのは撤回していただけないですか。
○井上哲士君 ですから、法的には世界中どこでも、イラク戦争とか湾岸戦争などのような事態を想定した国際平和共同対処事態において、米軍戦闘機が「いずも」で給油を受けて、他国領土への爆撃で発進していくことが可能になっているんですよ。ですから、これ、世界中で給油とそして滑走路を提供することができるということになっているんですよ。私は、こんな、憲法の下で許されない空母化の中止を強く求めたいと思います。
私が初めてバチカンに行ったのは九一年の湾岸戦争が始まる直前でしたが、もう本当に通信網が切れてしまって、たまたまローマへ寄って、それから当時のフセイン大統領に戦争をやめるようにという、直接伝えるためにイラクに向かっていたんですが、空路では入れず、ホスラビというイラク・イラン戦争のところをレンタカーを借りて走って、ローマを経由してイランから陸路でイラクに向かうことになりました。
これは、一九九一年の湾岸戦争、イラクがクウェートに侵攻いたしました。このときに、多国籍軍がこれに対応したわけであります。日本は、人員等は出さずに、この際、多額の支援金を拠出いたしました。金額にして百三十億ドル、日本円にしますと一兆五千五百億を拠出したわけであります。 ただ、その後の日本の評価はどうであったかというと、汗をかかずに金を出しただけという評価でありました。
最後に、イラクの、ちょうど副大臣もイラクに行かれて、私も湾岸戦争の九〇年ですかね、人質の解放のときに。特に、イラクの混乱は当初の目的とは全く逆に混乱ということに陥ってしまっております。 今回、首脳会談が行われましたが、その点についてお聞かせください。
ですから、やはり、十の核に対しては十あるいは十五、十五なら十五なり二十五なりという、このエスカレーションラダーがきちんと合って、それが、こっちが引き金を引いたときには耐えがたい損害が押し寄せてくるということを相手側にしっかりと認識をさせなければいけないということがあろうかと思いますし、また、イラクの湾岸戦争を見ても、通常兵器で何かやるというときには、それなりの準備というのをやらなければいけないということもあろうかというふうに
一九九一年のいわゆる湾岸戦争、これについても、クウェートの少女の証言は、それはうそだったということがわかっている。それから、二〇〇一年からなるいわゆるアフガン戦争、これも、二〇〇一年の九・一一の実態というのがわかって、サウジを訴追する法律がアメリカでは通っていますね。その後のイラク戦争についても、大量破壊兵器はなかった。
国連軍、多国籍軍、多国籍軍といっても、その目的、任務、編成は様々でありまして、一概にどういうものかというのはなかなか難しいんですが、この朝鮮国連軍と例えば湾岸戦争のときの多国籍軍とでは統一司令部が存在するかどうか、あるいは国連旗の使用があるかどうか、そういう違いがあったというふうに認識をしております。