2021-04-09 第204回国会 衆議院 消費者問題に関する特別委員会 第4号
パターナリズムは、行動経済学的な考え方を極端に進め、人間は限定合理的、もっと言えば非合理的、弱き存在であるから決して自分で自己判断できない存在であると考え、誰か強い人が、しばしばそれは政府に置き換えられますが、あるべき姿、道しるべをしないといけないという温情主義でございます。
パターナリズムは、行動経済学的な考え方を極端に進め、人間は限定合理的、もっと言えば非合理的、弱き存在であるから決して自分で自己判断できない存在であると考え、誰か強い人が、しばしばそれは政府に置き換えられますが、あるべき姿、道しるべをしないといけないという温情主義でございます。
そういう個別的なことをどこまで申し上げるべきかわかりませんが、私が理解していることでいえば、例えば下請に対して相当のコストカットを厳しく要求する、あるいは、従来のような比較的温情主義的と言われたそういう関係を、ドライに割り切ってコストが安いところにどんどん下請をかえていくということも含めて、かなりのリストラが行われたということを、私は、もちろん報道ベースですけれども聞いております。
確かに、警察から、ルールからいえば、全部放置自動車は同じなんだという定義かもしれませんが、この思いをもう少し、今まで警察の方は割と温情主義もありまして、何とかということがあったんだけれども、民間の方はもうしゃくし定規ですから、非常に現場でやるせない思いをしている事業者が多いということなんですが、この辺についてそろそろ、これだけ徹底してきていますので、より悪質なものを重点化するという指導に少しずつシフト
もう御存じの、山梨県で展開されました県教組ぐるみの選挙違反、そしてその刑罰を受けた教員が教頭に昇格をするというような、こういった非常に温情主義な、あるいは一部で不透明な人事がまかり通っているのが現実でありますし、その頂点におられるのが輿石東参議院議員であります。教育界の腐敗、癒着、権力の横暴ということを見てとれますし、私は、全国を見た場合に、これは氷山の一角であるというふうに思います。
凶悪化しているかどうかについても、比較する期間のとり方によって同じように評価の違いが生まれますし、さらに、これはどうやら世界的な傾向のようですが、温情主義から厳罰主義へと空気が変わってきたことに伴って、警察での取り扱い上もカテゴリー変更、つまりより罪の重い犯罪へと分類される傾向が生まれており、その影響を無視することはできないということもあります。
○久保参考人 先ほど私の意見陳述の中でも一部触れさせていただきましたが、温情主義から厳罰主義という言葉を使っております。犯罪のカテゴリー変更といいますか、より重い罪で処断するために、いろいろな対策が実務的に行われるようになった。
これは先ほど佐藤参考人もお話しされたところではございますけれども、日本の経営のスタイルは、どちらかというと温情主義、あるいは一家主義、家族主義の中でやっている面があって、それはいい面も多々あるんですけれども、そこでは、ある場合にはその温情主義があだとなってくることもある。 例えば踏切の事故は、温情主義がゆえに、決してあの踏切操作員は悪い方向でやったんじゃないですね、利用者が便利と思ってやった。
ただ、問題なのは、こうした日本的なパターナリズムといいますか、温情主義といいますか、あるいは家父長原理と言ってもいいんですが、そういうものが働いてくるときに問題が起こるのは、一人の職員が見れる限度は三十名ぐらいなんですね。
規制を所管する中央官庁では、国民の被雇用者であるにもかかわらず、温情主義や愚民観で無知蒙昧な大衆を善導するという意識が依然まさっております。また、規制には、現実問題、保護される業界の権益が守られるという機能が伴うことから、各種圧力団体やその影響力が及びやすい関係省庁では、既得権益を守るために規制改革に抵抗する傾向が不可避的に発生します。
石川前社長が九七年、社長就任をされているわけですが、この九七年、社長就任のときのあいさつで、皆さん、というのは従業員のことです、皆さんを馬に例えるわけではありませんが、はい、どうどうです、皆さんを大事にしていくということと、甘い温情主義とは別ですから覚悟してください、こういう、労働者を長時間過密労働に追い込んでいくような、社長みずからのあいさつがあります。
ですから、朝飯ぐらいは易しいから男がつくるとか、それは一つ考えてもいいと思いますが、女性の側も温情主義じゃなくて少し男にもやらせたらいいんじゃないかと思います。 ところで、私は、ずっと自分の人生を振り返ってみますと、随分女性の参画はよくなってきていると思います。
したがいまして、こういう制度ができて、どっと定年の方々が、引き続きやりたいという人が出てきたときに、本当に温情主義でみんなことごとく採用するということになると、職員の新陳代謝というところに少し問題がありはしないかと思いますが、簡単で結構ですからコメントをお願いいたしたいと思います。
それからもう一つは、やはり大学側が少し温情主義をやめなければならない。すなわち、本当にしょっちゅうあることは、単位が足りません、しかしながら自分は何々会社に入りました、ですから、ともかく単位が足りないのでおまえの単位をくれ、こういうふうなことが非常にしばしばある。これを各大学が本当にやめたらばいいと思っているんです。
しかし、全体的な金融システムの不信が生まれたということで、やむを得ずああいうことをやっておるわけでございまして、突っ放した立場から見れば、こんなのは、どうも随分温情主義だと、外から見れば言われるかもしれません。しかし、日本の銀行がすべてジャパン・プレミアムを払っているような今の時代には、これはどうしてもシステムの信用を回復するためにやむを得なかったというふうに思います。
従来の措置制度はパターナリズム、家父長的温情主義で進められてきた、それを大きく変えるのが介護保険の一つの意味であろうと思うわけです。言いかえれば、高い負担と豊かなサービスを選ぶのか、それとも安い保険料と貧しいサービスを選ぶのかは、市民がみずから決定していくという世界をつくっていかなければならないということであります。
何らかここに温情主義が散見されたらいいんじゃないかと思うのでございますが、その延納の利子については一律四・二ぐらいでよろしいんじゃないかなと思うんですが、いかがでございましょう。
大原孫三郎さんは、温情主義とか経営家族主義というものを否定したわけでございますが、人格主義という言葉で自分たちの労務管理のやり方を性格づけています。この資料の左半分のちょうど真ん中あたりでございますが、ちょっと行ははっきり申し上げられないで恐縮ですが、協同作業場という言葉を使ってございます。我が社の工場が労働者と資本家との協同作業場になると。
○国務大臣(越智伊平君) 渕上先生に一言だけ申し上げておきたいんですが、私が温情主義のように受け取られておるようでございますが、私は決してそういうことではございませんので、佐川急便グループ自体、全体がよくなるようにということを希望いたしております。しかしながら、どうしてもいかないというときには厳重な処分をせざるを得ない、こういうことに基づいて社長にも申し上げておるわけであります。
○広中和歌子君 日本の駐車違反を見ていますと非常に温情主義だなと思うんですけれども、チョークでつけるというのも例えば私が住んでおりましたアメリカなんかじゃ全く考えられないので、車をとめてそして持ち主がいないのであれば、それが違法駐車のところにとまっていればすぐにチケットを切るわけです。
二点ほどの御指摘でございましたが、まず駐車違反の取り締まりが温情主義ではないかという御指摘で、確かにそういうことは言えるかもしれません。自動車先進国であります。アメリカでは車社会の成熟度も違いますし、また国民性といいましょうかメンタリティーの問題でも、違反者に対してどういうふうに対処するかということであるいは我が国では対応が違っておるかなとは思っております。
(拍手)日本的温情主義はこの際捨て去り、企業に倫理やモラルを求めるより、悪いことをすれば利潤がなくなるという経済原理に訴えるというドライな考え方に発想を転換する時期が来ていると考えます。
こういうことのいろいろ問題が起きてきたときに、どうも今の行政機構というのは温情主義といいますか、むしろ臭い物にふたをすると、温情主義者なんかじゃないと思います。というようなことで内部規制が非常に緩むと。むしろ行政改革というのはこういう点で内部規制をきちっとやることを明確にしていかないと、信を国民に問うことにならないと思うんです。