2021-06-09 第204回国会 参議院 憲法審査会 第5号
今お話しになりました四十日抗争、それから渡辺美智雄先生のお言葉、大変懐かしく聞かせていただきました。 確かに、憲法四十三条におきましては、全国民の代表たる国会議員ということで規定をされております。
今お話しになりました四十日抗争、それから渡辺美智雄先生のお言葉、大変懐かしく聞かせていただきました。 確かに、憲法四十三条におきましては、全国民の代表たる国会議員ということで規定をされております。
政治家になる前も政治家になった後も数えきれないほど多くの先輩、同僚、友人からご教導いただいたわけですが、その中でも大学卒業後、秘書として仕えさせていただいた故渡辺美智雄先生の教えほど大きなものはありませんでした。
○平野達男君 農地改革前は少数の大規模地主と多数の零細小作、これからは日本の農業は、少数とは言わないけれども、ある程度の数の大規模小作、それで、多数とも言いませんけれども、ある程度の数の小規模地主、そういう時代になると言ったのは渡辺美智雄先生が農林水産大臣のときなんです。当時は私、その意味分からなかったです。
そして、当時の大蔵大臣、今は懐かしい渡辺美智雄先生のところに上京したときに、うちの父親始め名古屋市関係者は、無理だよ、予算はないよと、非常に冷たいというか、それはそうだろうな、国を挙げた闘いと、一つの町が金がないから助けてくださいでは、これは勝ち目ないなと。
この中で、特に私は、政治家の仕事とは勇気と真心を持って真実を語ることだ、これは渡辺美智雄先生にこのことを教えていただいたということを紹介されていて、政治家の仕事とは勇気と真心を持って真実を語ることだ、最初のときはよくわからなかったけれども、最近しみじみよくこのことを思いしめている、こういうことを紹介されています。
御存じのように、どんな党であれ、一年生の議員であれ十年の議員であれ、私は育ったときから渡辺美智雄先生から、先生も一緒に渡辺先生に育てられたわけでございますけれども、国会議員というのは政策については皆平等だと。
その後、中川一郎先生の遺志を継ぐ一人として衆議院議員選挙に挑戦し、一敗地に塗れましたが、渡辺美智雄先生のご支援のもと、遂に昭和六十一年の衆参同時選挙で大願が成就したのであります。初登院一番乗りで赤じゅうたんを踏んだあの時、生涯忘れ得ぬ感激とともに、胸のバッチが実に重く感じました。
私は、国会議員になる前に渡辺美智雄先生のお話を聞いたことがある。何とおっしゃったか。政治家とは何なのか、勇気と真心を持って真実を語るのが政治家だと教わったのです。選挙のために、これもただ、あれもただといって、有権者の喜ぶことばかり言って票をとるのは、それはお世辞家というのであって政治家ではない。何が本当なのかということを見きわめ……(発言する者あり)あなた方のことを言っているんじゃないですよ。
二十年に亙る大蔵省での公務員の仕事を離れ、私が政治の世界に踏み出しましたのは、今は亡き渡辺美智雄先生のお薦めによるものでありました。先生は、「原理原則を大切にせよ」と口癖のようにおっしゃっておられました。「票のために原則を曲げてはならない。しかし、何事も原則どおりなら、政治はいらない」とも教えられたのであります。それを私流に申せば、「民主政治における権力である多数を握らねば政治は出来ない。
そして、安倍晋太郎先生の御支持によって、三塚先生の御推薦によって渡辺美智雄先生のところに、政調会長のときにお預けを願った、まさに私はそこに一期一会を感じるんです。不思議な御縁なんです。 総理、あなたのお父さん、本当に私はお世話になりました。そして、萩山を当選させてやろうと思って一生懸命なさったこの御遺志が、渡辺美智雄先生に継がれ、見事に十一年六カ月の苦難の道を経て当選することができた。
平成三年、ウルグアイ・ラウンド、米の交渉のときに、もう大変なことになりまして、第一次宮澤内閣の農林水産大臣に就任をいたし、それで終わるかと思ったら、第二次も宮澤内閣で渡辺美智雄先生と私だけが留任をさせられまして、アメリカから米一粒たりとも輸入しない、衆議院と参議院で決議をされましたが、最後はまとめなきゃいかぬという思いで、ヒルズ通商代表とマディガン農務長官と、四八%の関税を掛ける、その代わり一部入れると
亡くなりました渡辺美智雄先生が、小さな親切大きな迷惑というふうに言われたことがございまして、確かに政治家は法で親切心を発揮しなければいけないといろいろ頑張るんだけれども、よくよく考えてみたら政府財政に大きな穴をあけてしまった。
頭のいい人に限って理論ばっかり言うと、全然人の心をとらえないと、そこを忘れちゃいかぬよというのを渡辺美智雄先生は言ったんだと私は思っております。
まず、地震、雷、火事、おやじじゃないんですが、私は、亡くなられた渡辺美智雄先生に育てられた政治家でございまして、九月十五日の命日にはお墓参りしている政治家であります。その先生がよくこうおっしゃっていました。佐藤君、火事は最初の五分、選挙は最後の五分、こう言っておった。
そこで、いろいろ考えた結果が、当時の渡辺美智雄先生の大英断で、私もお手伝いはしましたけれども、お米の値段に差を付けようと、一つには味の面から差を付けると、もう一つは破砕米その他の混入率によって差を付けると。いろんな切り口からお米の値段に格差が付いたわけです。そこでお米の消費が一時は減退が大分止まった時期があります。それはお米がおいしくなったからですね。
ただ、中国のリーダーというのは非常に、昔の江沢民が最初になった三日目に私は渡辺美智雄先生と会見をしましたけれども、あれほど江沢民さんがちっちゃくて、本当になったばかりで、体を、手を震わせながら会見をした姿を見たときに、その後何回かお会いしましたときに、やっぱりリーダーになるとあれほど変わるもんだなという感じがしたんですね。ですから、今の若いリーダーもどんどんどんどん大きくなっていくんだろうと思う。
それは私、当時の渡辺美智雄先生から聞いたことがありますけれども、それは、だから自衛隊が行くんだろうということはおっしゃっておられました。それはやはり安全、全くの安全ではない、だからこそ危険を避ける能力を持ち装備を持ち権限を持った自衛隊が行くのであるということはPKOも今も変わるものではございませんです。
一つは、渡辺美智雄先生のお話も引用されましたが、バブルのときの責任も踏まえて、やはり銀行には責任があるのではないのかということ。それとの関連で、RCCの取り立ての現状ということであろうかと思います。 銀行はつぶれてよいかどうかというのは、非常に本質的な問いかけであろうかと私も思います。
きょう渡辺喜美委員がおられますが、私は、お父さんの渡辺美智雄先生の講演を聞いたことがある。平成六年だか七年。そのときに今のことを、喜美さん、予測していたよ。本当の話だ。そのときに、平成六年だか七年のときに渡辺美智雄先生は、もう既に十二兆円の不良債権がある、こう言っていましたよ。銀行は必ずつぶれると言っていた、このままだと。何のことはない、そのとおりになっちゃったじゃないですか。
かつて私が大蔵省に在職いたしておりましたときに、亡くなられました渡辺美智雄先生が大蔵大臣のとき、経済は生き物である、山もあれば谷もある、こういう言葉を、ちょうど私そのときに財政演説を担当しておったんでございますが、大臣の御直筆でそれが指示が回ってまいりました。
そういうことで、後藤田先生らもグループをつくって勉強しているという話も漏れ承っておりますので、私、渡辺美智雄先生に言われたことで今でも耳に聞こえてくるのは、当選四回、五回になったらだんだん物が言えなくなるぞ、政策論議に上下なしだ、酒席に序列あり。