2021-06-01 第204回国会 参議院 経済産業委員会 第7号
商工会議所は、今から百四十三年前の一八七八年に渋沢栄一翁が東京商法会議所を設立したのを皮切りに、現在では全国に五百十五か所設立されております。会員は、商店街のお店から上場企業まで、規模や業種を問わず、地域内の事業者を包括した公的性格を持つ地域総合経済団体です。地域に密着した民間組織でありながら、国や県など行政が進める施策を代行する役割を担っており、全国百二十二万の総会員を擁しております。
商工会議所は、今から百四十三年前の一八七八年に渋沢栄一翁が東京商法会議所を設立したのを皮切りに、現在では全国に五百十五か所設立されております。会員は、商店街のお店から上場企業まで、規模や業種を問わず、地域内の事業者を包括した公的性格を持つ地域総合経済団体です。地域に密着した民間組織でありながら、国や県など行政が進める施策を代行する役割を担っており、全国百二十二万の総会員を擁しております。
恐らく、負債の部に立てる一万円券を、日銀券を使って国債を買い支えて、そしてその国債の利払い費が入るというわけでありまして、紙幣の総量が、福沢諭吉翁の、今度でいえば渋沢栄一翁の発行する総量が、断面で捉えると、実は、八四年の聖徳太子から変わったときのころは学生時代でしたから一万円札を拝むことは余りありませんでしたが、総量をきちんと管理をなさるんでしょうけれども、ある断面で捉えたら、実は、今度の渋沢翁の新紙幣
これはもうまさに御専門の皆さんを前に釈迦に説法という言い方になるかもしれませんけれども、私は、渋沢栄一翁がそろばんと論語ということをおっしゃったけれども、本当にそのとおりだというふうに思っておりまして、ある意味では、そろばんだけではない、まさに論語の部分が、金融業界といいますか、経済といいますか、そういうものの信頼を高めていくことになっていく、このように思っておるわけであります。
せっかくなものですから、前参考人にも一言だけお伺いをしたいんですが、冒頭、渋沢栄一翁のお話をさせていただきました。
商工会議所は、今から百三十年前に渋沢栄一翁によって、民間の世論を形成する場として東京に初めて設立されました。同年、大阪、神戸にも設立されております。以来、一貫して設立の原点である民間の意見を代表する機関としての理念を軸に、会員企業や地域の期待にこたえるべく力強く活動を展開をいたしております。
先般お亡くなりになりました故城山三郎氏の著書「雄気堂々」、その主人公でもある近代日本資本主義の父、渋沢栄一翁は、私利を追わず公益を図るの信念のもと、官界にとどまるのではなく、官界から、みずから実業界に身を転じました。もちろん、それは天下りではありません。
日本の経済の祖と言われております渋沢栄一翁は尊徳翁に学んで同じようなことを言っています。片手に論語、片手にそろばんと言っております。道徳と経済を一致させるというのが実は我々の日本を繁栄させてきた、その大きな源だと私は思っております。それこそ、経済学者と言っていいかわかりませんが、日下公人氏なども言っております。
そういう意味で、安全とか、あるいはまた安全文化という言葉が美浜のときにも随分使われましたけれども、先ほど渋沢栄一翁の話が出ましたが、渋沢栄一さんは、企業が金を残すは下、企業を残すは中、人を残すが上なりという有名な言葉がありますけれども、まさに企業文化というのは人から成っていて、人が文字どおり企業の中で働いていく、その企業は社会とともに歩んでいくという認識をもう一度、事故を起こしたからということではなくて
そういう意味で、明治の日本経済をつくってきた渋沢栄一翁の言葉に、金を残すは下、会社を残すは中、人を残すが上なりという言葉を、私は、今まさに日本経済発展のために一番重要なことだと思っております。