2019-05-20 第198回国会 衆議院 情報監視審査会 第4号
そういう意味で利用者、消費者なんですが、他方、防大校長として五年八カ月、その際には浜田大臣が私の上司でもあったわけですけれども、安全保障機密の世界に少し近づいた面がありました。二〇〇八年に防衛省改革会議が設立されて、その委員を務めた。
そういう意味で利用者、消費者なんですが、他方、防大校長として五年八カ月、その際には浜田大臣が私の上司でもあったわけですけれども、安全保障機密の世界に少し近づいた面がありました。二〇〇八年に防衛省改革会議が設立されて、その委員を務めた。
当時、浜田大臣も回収できるならした方がいいと。これは当たり前だと思うんですけれども、この辺、どうでしょうか。
そこで、けさ、浜田大臣に、失礼、浜田委員長に、浜田委員長の方が大臣らしいような気もしないでもないんですけれども、浜田委員長にお伺いしましたら、委員会の設置はやはり今はするべきだと思うというふうにおっしゃっておられるわけで、その心は、統幕、幕僚監部から過去の日誌が全て保管してあることがわかったという新たな事実も出たので、調査委員会の設置は当時は時期尚早だと思ったけれども、設置をするべきだというふうにもおっしゃっているので
と、当時の浜田大臣がこれだけはっきり自衛官が答弁すべきだとおっしゃっているんですが、今回、防衛省設置法改正で、そして制服の方がいろいろな意味で役割が増大して、かつその必要性をこれだけおっしゃっていながら、何で中谷大臣は浜田大臣よりも後退してしまっているんでしょうか。
ちょうど浜田大臣のときに森本補佐官でしたが、非常によく補佐をされて、いいお仕事をされたと思います。 現在は、岩崎茂元統合幕僚長が参与ということで就任していただいておりまして、実質、補佐官の役割をよくしていただいておりますし、また、防衛省の場合は、副大臣、政務官がおられまして、大変よく補佐をしていただいております。
当時、浜田大臣は、防衛参事官制度、これはなくしましたが、設置法第十二条、この改正まではいかなかったと言われていました。すぐにやれと言っておられましたが、政権交代でそれはできなくなってしまった、こういう事実があります。 では、資料二を見てください。資料二に、旧、参事官制度をうたっていた防衛庁設置法、そして現在の防衛省設置法が書いています。
ゆえに、大臣、この中央組織の改革等について、石破幹事長とかあるいは浜田大臣、当時やった方の大臣の話とか、あるいは各自衛隊の各幕の防衛部長、防衛部長を経験したOBの方、こういう方の意見もいろいろ聞いた上で、まさにこの二十七年度の概算要求含めて、いろいろ大事な今局面ですから、そういういろんな人の意見を聞いていただきたいと思いますが、防衛大臣、いかがでしょうか。
浜田大臣、いかがでしょうか。
浜田大臣のもとで補佐官をしていただいたときに私は政務官でおりまして、いろいろお世話になりました。防衛大臣は私よりもよっぽどこの分野に対しては精通されている方なので、いろいろな意見を聞きたいと思うんです。 よく抑止力という言葉を使われるんですね。
○浜田大臣政務官 皆さん、おはようございます。外務大臣政務官の浜田和幸でございます。 国民の期待に応えるべく、玄葉大臣を引き続き支え、強い日本の外交を推し進めていきたいと思います。 神風委員長を初め委員会の皆様方の御支援と御協力を心よりお願いいたします。 ありがとうございます。(拍手)
日本の自衛隊は、東日本大震災を見ていただくとわかるんですが、やはり非常に完成度の高い組織でございますので、森本先生は浜田大臣のときの補佐官でございましたから、私が着任したときにも、防衛省の中へ随分おいでいただいて、いろいろな意味で御示唆いただいていますから、別に民主党政権下で、民主党との関係が非常に、政策が百八十度違って、意見が違うのでそこに助けを求めたというのとはちょっと違うとは思います。
防衛省改革というのは、福田内閣のときに総理から指示があり、私、林大臣、浜田大臣、官僚がつくったものを全部書きかえて、まさしく政治主導でやってきたものです。民主党政権になってからそのことは進んでいない。進んでいると私は思っていない。 あの主眼はどこにあったかというと、部分最適の総和は全体最適になるとは限らないということです。
そういう防衛省改革を、私のときに、林大臣のときに、浜田大臣のときに実現一歩手前まで行きながら、これをなぜ葬ったか。私には全く理解ができません。防衛省の予算が足りない足りないといいながら、運用が大事だといいながら、防衛力整備を統合的にやらないでどうしますか。 防衛省改革をなぜ途中でやめましたか。大臣、知っている限りおっしゃってください。
それは私が大臣のときであり、あるいは林大臣のときであり、そしてまた浜田大臣のときであり。 つまり、陸上自衛隊の最適の装備と海上自衛隊の最適の装備と航空自衛隊の最適の装備と、三つ足したらば全体の最適になるかといえば、必ずしもそうではない。個別最適の総和は全体最適ではない。統合運用ということをやるのであれば、防衛力整備も統合であるべきだ。
○浜田大臣政務官 外務大臣政務官を拝命いたしております浜田和幸と申します。 玄葉大臣を補佐して、日本の外交、特に沖縄・北方領土の問題に関して全力で取り組んでいく覚悟でございます。 三人の政務官の中では私がこの委員会を担当することになっておりますので、福井委員長初めメンバーの皆様方に、御指導、御鞭撻のほどよろしくお願いいたします。 ありがとうございます。(拍手)
○浜田大臣政務官 外務大臣政務官を拝命いたしました浜田和幸と申します。 謹んで、東委員長初め委員の皆様にごあいさつ申し上げたいと思います。 外務大臣政務官として、国民の皆様方の期待にこたえるべく、外交を推進するために、玄葉大臣を補佐し、全力を尽くす決意でございます。 委員長初め本委員会の皆様方の御指導と御鞭撻をよろしくお願いいたします。 ありがとうございました。(拍手)
○浜田大臣政務官 外務大臣政務官を拝命いたしております浜田和幸です。 世界に開かれた復興、その実現のために、玄葉大臣ともども、力いっぱい、国際社会が直面する課題に全力で邁進する覚悟であります。 特に、私は、欧州と中東を担当するように仰せつかっております。こういった国々との関係を強化するために、情報発信や文化外交にも積極的に取り組んでまいりたいと思っております。
○中谷委員 この間、きょうは当時の浜田大臣も委員でおられますけれども、大変つらい期間で、つまり、法律がないのに海警行動を出していました。
○赤嶺委員 先ほど来、この委員会室に当時の浜田防衛大臣もいらっしゃるというお話でありましたが、当時も浜田大臣にも伺いました、軍隊を送って本当に海賊の発生を防げるだろうかと。当時の質問が今日でも、やはり軍隊を送っても防げない、イタチごっこという現状は指摘されなければいけないと思います。 次に、国土交通省に聞きますが、民間船舶の護衛活動は国土交通省が窓口になって進められております。
その象徴が浜田大臣政務官だと。法案の中身はどうも信用して賛成してもいいと思うけれども、提案している内閣の姿勢に問題があるとすれば、これは我々として賛成していいかどうか、そこの判断をある程度しっかり持たなければいけないということで私はこの問題を取り上げた。けじめの問題としてでも。 それがですよ、国会法の規定に問題があると思うと。しかも、その役所、国会法を担当している役所なんですか。
浜田大臣政務官、あなたはどのような経過で今回このような立場になったか。要するに、一番の問題は、スタートの時点で、いろいろ経過はありましたよ、だけれども、なぜ最初のときにその場に座っていなかったんですか。質問がなければ政務官は座らなくていい、議席に座る。しかし、最初の委員会ですよ。そのときに、なぜ新任の政務官として紹介も受けず、あるいは挨拶もできなかったのか、その辺も含めてお答えください。
○浜田大臣政務官 お答えいたします。 私は、菅総理から何を一番求められたかと申しますと、今の復興のために日本が力を合わせることは当然ですけれども、海外、国際社会から寄せられている善意、そして具体的な、瓦れきの処理や塩害対策、そういう申し出を現地のニーズとうまくマッチングさせる、そのことによって国難状況を一日も早く乗り越える、そのための枠組みをつくるという使命をちょうだいいたしました。
○柿澤委員 浜田大臣政務官、まさに被災地の復興に強い思いを持っているということで、国際的なさまざまな知見や申し出、こうしたものを復興に生かしていく、自分はその役割を担っていくんだ、こういう思いを語っていただきましたけれども、政務官は、御就任後、一度被災地に足を運んでおられると思いますけれども、三月十一日以降、さまざまな海外からの声が寄せられる中で、御自身が東北地方の被災三県に三月十一日以降で足を運ばれたということが
○浜田大臣政務官 お答えいたします。 一度もございません。しかし、私は、東北地方には数多くの友人、知人がおります。そういった方々からさまざまな情報を得ておりましたし、何も、被災地の選出の国会議員でもない立場上、現地に必ずしも足を運ぶこと自体が役立つことか、ということではないという判断でありました。
浜田大臣政務官の人事について、岡田幹事長も安住国対委員長も平田参議院幹事長も我が党に参りまして、まことに申しわけないと陳謝されました。 ここで改めて伺います、総理。なぜ浜田大臣政務官を任命されたんですか。あの方は我が党の復興復旧の会議に一度も出ていないという話ですよ。