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638件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1996-02-28 第136回国会 衆議院 予算委員会 第20号

今、そこから日本は復興をしたわけでありますが、その当時は、これは吉田茂総理とかあるいは池田勇人大蔵大臣とかあるいは河野農林大臣とかというふうに国民は政治を信頼して、そうして一生懸命についてきておったと思うわけであります。それで、また野党も浅沼稲次郎先生とかあるいは佐々木更三先生とかというふうに、まさに政策決定が、政治がなされておったというふうに私は考えるわけであります。

愛野興一郎

1995-12-05 第134回国会 参議院 決算委員会 第2号

一九五六年ですか、鳩山総理、また河野農林大臣、ソ連におきましてフルシチョフ、またブルガーニン議長協定を結びまして、いずれ日本ソ連平和協定を結んだ時点では日本に返すということが言われているのでございますから、日本古来の領土に変わりないのですが、依然占拠が続き、また軍事基地もつくっているわけでございます。  

佐藤泰三

1988-12-14 第113回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

ところが、私なりに見ておりますと、戦後四十年、時事通信社の記者として、特派員として、一緒モスクワには行きませんでしたけれども、サンフランシスコ講和条約のときのソ連日本の対応、そしてまた言うまでもありませんが、鳩山総理重光外務大臣、そしてまた河野農林大臣を初めとして田中さんもブレジネフ書記長と会っておられる。

林保夫

1981-10-22 第95回国会 衆議院 行財政改革に関する特別委員会公聴会 第1号

ところが、当時河野大臣のこのような努力にもかかわらず、財界も労働組合消費者団体もだれ一人としてこれを支援しようという動きは見られず、さすがの河野農林大臣も挫折せざるを得ませんでした。それから二十年を経過し、最近になってようやく世論に抗し切れず、先般食管法ミニ改正を見たわけでございます。  

宮脇長定

1977-11-24 第82回国会 衆議院 農林水産委員会 第10号

そういう荒廃に瀕しておる今日、約二十年前の河野農林大臣の演説を思い浮かべたときに、私は、今日まで政府日本の林業というものに対して一体どういう対策を講じてきたのか、これは怒りが込み上げてくるわけなんです。そういう点について、まず私は具体的に指摘をしながら、お聞きをしていきたいと思うわけです。  

川本敏美

1977-06-09 第80回国会 参議院 外務委員会 第20号

私はかつて、いま羽生さんもお触れになりましたが、鳩山総理大臣が、昭和三十一年にあの不自由な体でみずから河野農林大臣一緒ソビエトに参られまして、共同宣言方式による国交回復をなされました。また、田中総理大臣は、それから十七年ぶりの昭和四十八年に、ブレジネフ書記長の招待ということではありまするが、日ソ両国間の平和条約締結の意図を持って訪ソされました。

小柳勇

1977-06-09 第80回国会 参議院 外務委員会 第20号

政府がまずソビエト大使館に申し入れたと、そして三十七年の日ソ漁業交渉に臨んだ今度また河野農林大臣とそれから大日本水産会のいまおっしゃった高碕会長が、当時フルシチョフにまで会って、せめて零細なコンブ採取だけでも認めるようという要請をされている。その後の高碕会長経過ずっと見ますと、非常にもう零細なコンブ漁民立場に立って、大変な熱意を込めての具体的な行動をされているわけです。

小笠原貞子

1977-04-20 第80回国会 衆議院 農林水産委員会 第19号

日ソ領土問題の交渉は古くは第一次のロンドン交渉、一九五五年六月から九月、松本マリク会談、第二次のロンドン交渉、一九五六年一月から三月、同じく松本マリク交渉、それから第一次モスクワ交渉が一九五六年七月、重光外相松本全権、それから第二次モスクワ交渉は一九五六年十月、鳩山総理河野農相松本全権、それからソ連側ブルガーニンフルシチョフ、このときにおいて河野農林大臣イシコフ漁業大臣に対して、歯舞

小川国彦

1974-05-21 第72回国会 参議院 外務委員会 第13号

たとえば、河野農林大臣当時に愛知用水公団をつくって初めて外資を導入したかつての経験、これには膨大な地方の技術者愛知公団に吸収した。将来の身分を保証してやる、決して不利にはしない、こういう政府が約束をし、大きな将来への希望を持ってこの技術者たちは長い間愛知用水公団の建設という難事業に取り組んだ。いざ済んだら、県庁に帰るにもポストはない。自分の元の古巣の研究所へ帰ってみてもポストはない。

足鹿覺

1974-05-07 第72回国会 参議院 農林水産委員会 第20号

河野農林大臣の存命中に、これはまあ労働組合側の主張もあって、あの農政局所管の問題は、民有林の問題は、うやむやになって消えちまったんですけれども、やはり日本の八二%を占める山林そのものに対する考え方が、もう実に国有林優先立場に立って、民有林対策などというものに対してはきわめて冷たい。そういう感じを、われわれは長いことこの農林行政を、政府機構を見詰めておって感じる。

足鹿覺

1973-03-06 第71回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号

これはかつてあなたの親分河野農林大臣のときに、農林金融金利が三分五厘じゃ高いと言うと、河野農林大臣は、おれも三分五厘は高過ぎると思うと言うておった。なぜ安くせぬかと言うと、思ってたってやれぬことがあるじゃないか——あなたの親分も高過ぎると思っていた。あなたも三分五厘は高過ぎると思われたから、まず融資の面において金利を下げるということ。  

稲富稜人

1972-11-10 第70回国会 参議院 内閣委員会 第2号

河野農林大臣適地適産を叫んで、米はもう余った。だからこれからは果樹や野菜や畜産にひとつ向けようじゃないかということを十数年前に言って、農業基本法ができた。私はこれは問題があるということは指摘しましたけれども、そのときにすでに米の過剰という問題は指摘をされて、そういう方向というものは出されてきたわけです。

工藤良平

1972-06-08 第68回国会 参議院 農林水産委員会 第19号

それに北海道の漁業におきまして一番王座を占めておるサケマス漁業というのは、定置は別としまして母船漁業のほうは、網漁業のほうは、かつて河野農林大臣時代西カムチャツカを放棄したということで、このオホーツク海においては流し網漁業はできない、こういうような状態のところでございます。したがって、沿岸漁業というものは、非常に零細である。小規模である。

川村清一

1972-03-10 第68回国会 衆議院 決算委員会 第2号

承知のとおり、過去の経緯を申し上げますと、河野農林大臣時代にそういったこともあったわけでございますけれども、少なくとも、毎年の日ソ漁業委員会交渉をスムーズに進めるためには、積極的にこの問題に取り組むべきであろうというふうに考えるわけでございますし、現に、御承知のとおり、昨年赤城農林大臣が十月に訪ソされましたときに、イシコフ漁業大臣ともこの問題について話し合いをされたわけでございます。

太田康二