1982-03-31 第96回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号
その伝統文化をずっと育て上げてきた底に流れている心を、南島文化圏というふうなものの底に流れている心をどういうふうにして沖繩人の誇りの中に保たせていくか。 たとえば具体的に言いますと、歴史民俗資料館というふうなもの、こういうふうな計画を沖繩で持ったとしてもちょっといまのこの五十五条にはなじみそうにもないんですよね、そういう形のものが。どうですか、事務方でひとつ。
その伝統文化をずっと育て上げてきた底に流れている心を、南島文化圏というふうなものの底に流れている心をどういうふうにして沖繩人の誇りの中に保たせていくか。 たとえば具体的に言いますと、歴史民俗資料館というふうなもの、こういうふうな計画を沖繩で持ったとしてもちょっといまのこの五十五条にはなじみそうにもないんですよね、そういう形のものが。どうですか、事務方でひとつ。
沖繩は、昭和二十年四月十日から六月二十二日のわずか二カ月半で、沖繩人十二万二千二百人が戦死し、死んでしまっているのですよ。本土の兵隊が六万五千九百人。あのひめゆりの塔、あの小学生の子供たちのあの戦争で亡くなった痛々しい姿をわれわれは忘れてはいけませんね。私がいま日本を心配なのは、防衛庁の、自衛隊の制服が、戦争中の戦争体験者がだんだんなくなってきた。
なぜかというと、たとえば台風情報などは、沖繩に台風が上陸する、あるいは通過してからやっとその台風情報が来るとか、あるいはドラマでも大変沖繩人の生活とか環境とか、あるいは生活感情あるいは文化といったものに余り関係のない本土のことがドラマ化されている。それでちっともおもしろくないんだ、そういう話を聞きました。これはどういうことか。
こういう不信感、長年にわたる積み重ねられた沖繩人の怨念みたいなものが一挙にやはり解消することができないということです。そのことを私は理解しないで、あまり非難攻撃に重点を置いてやるというようなやり方は、これはほんとうの政治ではないと、こう思うのです。どうですか、大臣も今度の国体で、あなたは自衛隊の参加についてかれこれ言うた。
アメリカ局長も非常にまどろっこしい御答弁をなさるので、どうもこっちもついいらいらするのですが、私が聞きたいのは、沖繩人が払うべき水道料金があるわけでしょう。たとえば一リットル三十円なら三十円。アメリカ人も三十円を払うのですね、格差はないような方向でやるかということなんです。差があるのですか、ないのですか。その点について明確に答弁してください。
そのときに言っていたことばは、かつての沖繩は、表通りは鹿児島県人がざっと全部買い占めてしまって、現地の沖繩人はもう裏のほうでこそこそやっていなければならないような、そういう状態がかつてあった。だから、復帰後もしそういうふうなことがあったのじゃ、また真の復帰にもならないし、喜べない、そういう点も何らかの措置をとらなければならないが——こういうふうな意見を添えて言っておりました。
十何年もこの問題に対しては係争しておりますから、これは政府が引き取りまして、それに対する補償制度を何とか政府の責任においてやってもらうということでないと、返還協定の中の四条三項であったと記憶しますが、これに対する生きておる請求権、放棄したといえども、これこれに対してはアメリカは事務所を置いてあと整理をしていく、こういうことになっておりますが、重ねて申し上げますのは、沖繩人、沖繩のいわゆる地主であろうが
それから、いわゆる密輸グループの問題は、従来は大体外国の民間人が中心でございましたけれども、これに沖繩人も参加をして密輸グルーブがあるということが特筆すべき状況でございます。それから先生がいまお話しになりましたかと思いまするが、南方、特に香港、バンコク等との往来が非常に便利になってきておりますので、そういう方面との密輸関係が非常にふえてきているということでございます。
で、内訳は、沖繩人が十九人、それから軍人軍属三十一人、外国の民間人が十八名。押収量は、LSDが千二百錠、ヘロインは千グラム、大麻は六万七千グラムでございます。
○国務大臣(廣瀬正雄君) 英語の放送につきましては、先刻申しましたように、米軍とか、その家族とか、あるいは米系の企業でありますとか、あるいはまた日本人、沖繩人にいたしましても、長らくアメリカの施政権下にありましたわけですから、かなり英語になずんでいる人も多いだろうというように想像されますわけでございまして、英語の放送については、そういう方々が興味を持って受信するということが考えられますわけでございまして
明治百年の時代に日本政府とその役人たちが沖繩県民=沖繩人の信頼を裏切る数かずのことをしたということ。それが大東亜戦争一日米戦争――日本の敗戦から二十五年の間も脈々とつづいてきて今に至っているのである。それは沖繩に限ったことではない、といわれるかも知れないが、沖繩の場合、それが特別にひどかったということである。
さらに沖繩の世論が分かれてまいりますと、沖繩人同士を戦わせるというふうに核分裂をしていく形での代理戦争が行なわれかねない。こういうことだけは何としても私は起こらぬようにしていただきたいと考えますし、またそのような方法はあろうかと存じます。
かせたというふうな歴史も残っておるわけなんで、そういう意味でたいへんその時代に沖繩は日本の本土じゃないというふうな印象を日本の皆さんに与えてしまったということで、それがずっと長い間に何だか沖繩は異民族、日本の民族じゃないみたいな感じを持たされてしまって、何か沖繩を見る目がちょっと差別的なところがあったわけなんでございますが、それは若い人にはわからないんですけれども、私たちが東京に出てくるころも、まだ私たちは沖繩人
食い詰めた県民は職を求めて本土へ移り住み、たとえば女工哀史あるいは「朝鮮人、沖繩人お断わり」という求人広告などでも社会的、心情的屈辱を受けてまいりました。第二次大戦では、祖国防衛の名のもとに、二十万近くの県民が戦争の犠牲をしいられたにかかわらず、本土のある評論家は、それを称して動物的忠誠心だとさげすみました。
また日本人オフリミットの海水浴場、日本に返ってくるわけでございますから、当然米国人と日本人との差別、そういうようなことがあってはならぬ、こういうことで、これは当然返ってきた段階において沖繩人自身の手にゆだねなければならない施設だと思いますけれども、こういうものも金網が張ってある、そうしてその中へかってに入れば刑務所へ行ってしまう、そういうような状態であってはならぬ。
私がさっきから言っているのは、歴史的な経過をずっと言いながら、しかも全沖繩人が要望しておるそういうものを含めて、文部大臣にお聞きしているのです。教育内容の基本的なことは、別個であってはならぬかもしれませんよ。しかし、公選制ということだけでもってなぜしなきゃならないとあなたは主張されましょうか。もう少しお聞きしたいと思います。
この運動は、この法律を通すことによって、沖繩復帰への沖繩人の自信を与えた、このときから立ち上がった、このことを御理解いただけますか。
また、沖繩人が裁判したものが大部分である、そういう点からいいますと、そのまま引き継いだほうが混乱を起こさない、こういう関係から、今回はそういう措置をとっておるわけです。
沖繩との関係におきましては、講和後は、すなわち三条施政期間にはいわゆるビートラー書簡というものがございまして、沖繩人にはこれを全面的に適用するという声明がございます。
それから特別会員が六十二名、これは、米国人、沖繩人の在沖米軍関係者で高等弁務官が認めた者と、それから若干名の名誉会員がございます。これはそれぞれの軍人あるいは名士と、こういうことでございます。
総理、これは総理は十分御承知だと思いますけれども、戦争後、沖繩人をみんなどこかに収容しておいて、ただあるところにかってに基地をつくっていったわけですね。だから、いまその土地の境界を画定しようと思っても、これはなかなか困難なことなんですよ。非常にむずかしいこと。かく申す私も、三十年前沖繩に住んでおったわけです。
沖繩学の父といわれる伊波普猷氏は、このことを早くも事前に察して、「地球上で帝国主義が終りをつげるとき、沖繩人はにが世から解放される」と悲痛な文章を書き残しているのであります。私はいま全く立場の違う二人のことばを引用いたしました。それは琉球処分ということばの持っている長い、実に長い歴史の重みを考えたかったからであります。
そういう点から二十世紀に臨む日本人が、そうして佐藤政府が沖繩人をどのように処遇したかということが問われるのが今回の沖繩返還協定、私は歴史的に一つのこまを置くのじゃないかという気がいたしますが、こういう基本的な問題について総理はどのようにお考えでしょうか。
ただいまの特免業者のサブエージェントの問題につきまして、実は私、ほんとうのことを申し上げまして、よく存じておりませんので、また帰りましてよく調べまして、その特許業者の沖繩人であるサブエージェントの方々はどうなるか。