1950-11-18 第8回国会 衆議院 災害地対策特別委員会 第10号
小貝川の去年の決壞箇所の北相馬郡の高須村というところは、堤防の決壞によるいわゆるけどという草炭の層がたんぼの上に莫大におおいかぶさりまして、そのために相当広い耕地がだめになつておるのであります。ここへ相当の国庫補助をもつて復旧の工事が行われておるようであります。この場合に村の人たちはこの工事に労力を提出して、それにより災害によつて受けた被害を幾分なりとも補いたい。
小貝川の去年の決壞箇所の北相馬郡の高須村というところは、堤防の決壞によるいわゆるけどという草炭の層がたんぼの上に莫大におおいかぶさりまして、そのために相当広い耕地がだめになつておるのであります。ここへ相当の国庫補助をもつて復旧の工事が行われておるようであります。この場合に村の人たちはこの工事に労力を提出して、それにより災害によつて受けた被害を幾分なりとも補いたい。
その他、交通杜絶道路は二十八路線、橋梁の流失十三に及んでいるのでありますが、球磨川上流人吉方面及び海岸地帶におきましては、大潮と台風とが合致しましたるため、被害は特に著しく、破堤には至らないまでも、法面の決壞及び海岸道路の決壞箇所はおびただしい数に達しておるのであります。
それより涌谷町のうちの迫川決壞箇所、夏川決壞箇所等、大破部分をきわめて短時間のうちに視察して参つたのであります。 このたびの災実をもたらしたのは台風ではなく、強度の弱い熱帶性低気圧で、進路は八丈島、宇都宮、酒田方面でありましたが、宮城県はその圈内に入り、かつ地勢の関係上、昭和二十三年のアイオン台風の降雨量には及ばないけれども、約十時間にわたつて実に平均三百五十ミリの降雨量を見たのであります。
第一番目に小貝川の決壞箇所でございますが、この決壞箇所については、災害が起きる以前から相当多数の水防団員が参加して、小貝川の堤防を守つていたのでありますが、竹一本立てなかつた。全然水防作業をやらなかつたということでございます。地元の農民諸君に聞きますと、あすこに水防作業をやらなかつた、五億一つそこにはなかつたということは、実に殊念でたまらなかつたと言うのであります。
この問題を解決するために、糸繰川の河口から約二キロの道程、それから決壞復舊箇所が四箇所、半決壞箇所が五箇所、そういつたぐあいに堤防の低いところがなおあります。出水時におけるところのいろいろの設備に要するところの用水池というようなものも設置しなければ、とうてい沿岸民の水を防ぐことには困難な状態であります。
それに引續いて北上川はどうかというお話でありますが、これは御存じの通りに、何しろ北上川の決壞箇所は縣の管理に属したために、内務省としては直接これに携わることができなかつたということは、非常に遺憾に存じているのであります。
中でも岩手縣のごとき、一縣でもちまして道路の破損決壞箇所が千四百二十八箇所に及んでおります。群馬縣も同様千四百二十九箇所というような非常な大災害であつたのであります。 次に橋梁でありますが、これも全國で申しますと二千六百九十六箇所破損いたしておりまして、これが復舊に要します經費が八億三千五百萬圓を要することになつております。
○中嶋(勝)委員 議事進行について、私は昨日の日曜日を利用して實は決壞箇所を見たところが、この問題は實際重大な問題だと思うのでして、これは簡單に今こんな時間になつたのに御報告を聽くだけではだめだと思います。これから二時からでも三時からでも、あらためてお開きになつて、大臣、次官にも出席してもらいたいと思う。これは眞劍に協議せんといかぬ、驚くベき重大な問題です。
現在すでにあの決壞箇所においては供水敷は出ておる。それをなお低くする。低くすれば低くするほど作業は樂になりますが、でき得る限り一日も早く締切りにかかりたいのであります。何しろ多量の資材を集めなければならぬ關係上、大體二十日と考えておる。
二十日までの間、そこは四分、六分の割合で分流しておるということになりますと、渡良瀬方面の水も逆流してある程度決壞箇所から埼玉方面に流れてきておる。こう見なくてはならぬと思うのであります。これは利根本流あるいは渡良瀬雙方の水がどの程度に合流點に落ちつつあるかが問題なのでありますが、大體今の水源地方面の關係から見ると、どの程度まで洪水自體が續いていくか。二十日ごろになれば大體鎭まるのか。
かような次第でありまして、迫川におきます水害も、十六年、十九年、この兩度の決壞箇所の復舊に至りましても、なかなか完成をいたさないのであります。本年の水害に對する復舊工事のごときも、もう秋水が心配されておるときでありまして、この復舊工事が一日も早くできておりませんければ、この秋水の受入もどうかと心配されておるのであります。