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28件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1976-10-29 第78回国会 衆議院 外務委員会 第8号

この人は水野成夫さんの養子に入った人で、小林さんの言うならば隠れた子供さんですよ。こういう方がそういう役割りを、原料部長など担当部長を通じて、その利益というものは、会社の正式の帳簿に乗らないで、この人の個人口座にもとはなっておったということはいまや明らかなんです。みんな言っております。

安宅常彦

1973-06-27 第71回国会 衆議院 逓信委員会 第25号

名前東京新聞名前をとっておりますが、これは御承知のように、いろいな関係がございまして、水野成夫さんがサンケイ新聞をつくるにあたりまして、与良ヱさんと呼ぶのですか、死なれた元中日新聞社長ですが、これが副社長として水野成夫さんのサンケイ新聞とそれから二つの放送局を経営するにあたって、尽力をして副社長になられたわけです。

土橋一吉

1971-10-26 第67回国会 参議院 運輸委員会 第2号

これは四十一年の十月十四日、当時の新都市開発センター設立発起人代表水野成夫氏から、当時の藤枝運輸大臣に対して提出されております。これによりますと、概要をかいつまんで申し上げますと、名称株式会社都市開発センターでございまして、経営しようとする事業バスターミナル事業、それから名称はいま申し上げました新都市開発センターバスターミナルでございまして、位置は先生御指摘のとおりでございます。

野村一彦

1970-05-08 第63回国会 衆議院 内閣委員会 第24号

り願えるということになるならばたいへんけっこうではなかろうかというような話し合いが二、三の有力な方々から出まして、それならばまずそういう方々中心にひとつあそこを開発する発起人会のようなものをつくりまして、そこで検討してみたらばどうであろうかというようなことで、当初五、六人の名前——井深大さん、安西正夫さん、今里広記さん、石川六郎さん、小林中さん、清水雅さん、それから永野重雄さん、堤清二さん、水野成夫

大池眞

1970-03-17 第63回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第5号

水野成夫、株式会社産経新聞社相談役。以上十二名が発起人でございます。  現在の役員は、代表取締役社長大池真、先ほど出てまいりました。常務取締役桑原大行、常務取締役望月鷹雄取締役安部寛助、以下取締役でございますが、安西正夫井深大今里広記鹿喰清一田中甲二郎堤清二徳永久次馬渕威雄丸地安次水野成夫、渡辺武次郎、以下監査役副島勝、林、整相談役小林中となっております。  

伊藤榮樹

1968-03-13 第58回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

代表取締役社長中村建城取締役社長中田乙一、専務取締役大池眞取締役安西正夫、同じく今里廣記、同じく一瀬幸雄、同じく清水雅、同じく田中甲二郎、同じく堤清二、同じく永野重雄、同じく水野成夫同じく渡辺武次郎、同じく井深大監査役谷育三、同じく副島勝、このうち当初の発起人の中には、中村建城大池眞一瀬幸雄田中甲二郎渡辺武次郎谷育三、副島勝方々は入っておられなかったわけでございます。

勝尾鐐三

1965-02-24 第48回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第3号

それから、役員も、当時、岡村二一君その他おったのが、ほとんどかわりまして、二代目も何か旺文社のだれか、これもかわって、いまでは水野成夫君かだれかがなっているというんです。そうしますと、免許当時の条件と変わっているのじゃないかと思います。免許当時は日本教育テレビであった。NHKの教育テレビの補完的な、民間の特色を生かすという意味じゃなかったかと思っておりましたが、全くそんなものは最近じゃありません。

田原春次

1964-02-21 第46回国会 衆議院 逓信委員会 第5号

なお小沢大臣も、この早川社長の陰の人水野成夫氏といろいろ会談をせられておりますけれども、もはやことが社会公共正義の名のもとに、こういう電波をいわゆる電波どろぼうの手に黙ってほおっておいて、天下の郵政省がいわゆる国民の負託にこたえ、もって公平なる行政をやっておるということは首肯しがたい。

寺島隆太郎

1961-02-23 第38回国会 参議院 建設委員会 第8号

それから細田徳寿氏は元大分県知事中井光次氏は現在大阪の市長、それから太田さんは現在東京都の副知事、それから水野成夫さんは産経新聞社長をしている方であります。  次のページに東京支所機構図が書いてございます。支所長がおりまして、これは先ほど申しました山名理事が勤めております。その下に次長が二人ございます。

渡辺喜久造

1956-03-28 第24回国会 衆議院 文教委員会 第21号

水野成夫とか、名前は気の毒だからあげないが、経済畑財界畑の顔ぶれがずらっとそろっておるのです。自由党に入ってはいないだろうけれどども、そういう者をいつもちゃんと出されるのであって、任命ならば中正公平にいくのだということはだれも考えるものはないのです。党員たる、党籍を持っておる者よりは同調者の方にはるかに有力な人間もおりますから、党のためになる。

高津正道

1955-12-16 第23回国会 衆議院 逓信委員会 第8号

しかし先般前郵政大臣が依頼されました原安三郎渋沢敬三の両氏並びに発起人総代に選ばれました水野成夫氏、これらの方々から聞きますと、先ほどお話しになりましたように、株式は出版界から一億円、いわゆる財界方面から一億円、次に聖パウロ修道会ですかから五千万円、その他は別途に考慮中、そういうことの非公式な報告は受けております。  

浜田成徳

1954-03-25 第19回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第2号

そいつを不況を乗切るために積極的に増産をして行きたい、そのためには電力が不足するので、そいつを認めて欲しいというお申出があつたので、金融機関としては考えたけれども、そういう積極策に簡単に同調するわけに行かない、これは増産のためにこの電力を必要とするということであれは必ずしも賛成できない、果して真意はどうであろうかということを私考えましたので、私これは戦前からよく親しくもしておりますので、副社長水野成夫

竹俣高敏

1954-03-24 第19回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第1号

聞くところによると水野成夫という人が、直接小林総裁電話をかけてそして交渉した。殊にひどいのは、監査部長と調査した職員と二人が水野成夫氏の所へ行つて調査の結果こういう不適当なふうになりましたと報告に行つたら、目の前で小林氏に水野氏が電話をかけた、そうしてOKになつた、だから君たち帰つてくれ、こういうことが行われたやに聞いております。これなどは開発銀行に非常に疑惑を深める一因であると思うのです。

木村禧八郎

1954-03-15 第19回国会 参議院 予算委員会 第13号

殊に国策パルプです、水野成夫氏のやつておる……。これについては私は、若しそれが事実であればこれは重大な問題になると思うのであります。そういうことを聞いております。直接水野氏が小林氏に交渉して借りたやに聞いております。実は審査のほうではこれは疑問があるというので考慮しておつた。ところが面接小林氏と水野氏との間できまつたやに聞いております。今日これは開銀から調査してもらいました。

木村禧八郎

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