1997-05-07 第140回国会 衆議院 内閣委員会 第4号
最後に、初めて民族立法に取り組みました事務当局を含めて政府関係者の皆さん、それから伊藤正己座長を初めとする有識者懇談会の皆さん、さらに北海道ウタリ協会の皆さん、とりわけ現理事長の笹村二朗氏、前理事長の野村義一氏の本当にこの問題にかけた情熱というものは、私どもは忘れることはできませんし、梶山官房長官、五十嵐広三元官房長官の御努力についても私はこの際一言触れておきたい。
最後に、初めて民族立法に取り組みました事務当局を含めて政府関係者の皆さん、それから伊藤正己座長を初めとする有識者懇談会の皆さん、さらに北海道ウタリ協会の皆さん、とりわけ現理事長の笹村二朗氏、前理事長の野村義一氏の本当にこの問題にかけた情熱というものは、私どもは忘れることはできませんし、梶山官房長官、五十嵐広三元官房長官の御努力についても私はこの際一言触れておきたい。
そのウタリ協会の最初の要望、北海道の要望から、それが国のステージにのる、つまり、国策といいますか、国家の論理にもまれていく間に、そこでいろいろなものが変質をしていった、変わっていった、そして時間がかかっていったということではないかと思いますけれども、その背景には、やはり日本政府そのものが民族政策、民族立法というものに消極的だったのじゃないか、あるいはいわゆる先住権への抵抗といったものが国家の側にあったのかというふうに