2019-11-26 第200回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号
橋本龍太郎先生もカンターさんとのこの会談を終えて、翌年、総理大臣になりました。 そういった意味では、今回、日米貿易協定をやった茂木大臣は、もう現にポスト安倍総理の一員として名は連ねておりますけれども、実績的に見ても相当私は今回のこの日米交渉は評価に値すると、こう私は思っております。
橋本龍太郎先生もカンターさんとのこの会談を終えて、翌年、総理大臣になりました。 そういった意味では、今回、日米貿易協定をやった茂木大臣は、もう現にポスト安倍総理の一員として名は連ねておりますけれども、実績的に見ても相当私は今回のこの日米交渉は評価に値すると、こう私は思っております。
平成十四年に橋本龍太郎先生の肝煎りで成立しました身体障害者補助犬法について、その実施状況等についてお尋ねをさせていただきます。 時間がありませんので、委員の皆様には資料を配付してございます。そちらを参照していただければ有り難く思います。
橋本龍太郎先生が大変な努力をしてああいう案をお作りになって実現したわけですけれども。私は個人的に橋本龍太郎先生と非常に親しかったものですから、よく麹町の事務所にも遊びに行って先生とお話ししたんですけれども、今度の中央省庁大編成というのは政治主導というものを諦めて官僚主導というものを狙ってつくったように見えますよということを言ったことがあるんですよ。
沖縄の特命大臣も、開発庁長官時代から担当大臣、特命大臣に最初に就任したのが平成十三年の橋本龍太郎先生でございました。民主党政権になってからは、前原さん、馬淵さん、枝野さん、川端大臣ということで、四人目でございます。これは与野党問わずの話でございますけれども、できるだけ短期でかわることのないように、本来あるべき姿を、民主党政権にも期待を込めて申し上げさせていただきたいと存じます。
○野田内閣総理大臣 たしか、少子化対策という形で予算をつけ始めたのは二十年ぐらい前からだ、たしか橋本龍太郎先生が総理のころからだと思うんです。そのころやった中では、何でも少子化とつければ予算がつく。子供が川に落ちないように柵をつけることですら少子化と言っていた。お金の使い方は、気づいたけれども間違い続けてきたと思います。 一方で、同じころ少子化対策に力を入れたのは、今御指摘のとおりフランスです。
私自身も、たしか九六年だったと思いますけれども、金融ビッグバンを提唱された橋本龍太郎先生、郷土の先輩でもありますけれども、党派は違いますが、大変尊敬をしておりまして、その後の金融ビッグバンが名前倒れになったのではないかということを大変残念に思っておりましたので、今回改めて、周辺環境の変化もあわせて、日本の金融戦略を再定義していただけたのかなと感謝を申し上げたいと思います。
橋本龍太郎先生が最後に本当に環境のことだけを言われたという話は、本当に胸にきました。私も、十五年ほど前にお話をしたことがあるんですけれども、いろいろな意味で苦心をされておりましたし、厚生族という形でありましたけれども、当時の年金福祉事業団の話とかいろいろなことも、私は今言いますけれども、いろいろな憂慮をされていたことも思い浮かべております。
橋本龍太郎先生に、ちょうど亡くなる半年ぐらい前でしょうか、自由民主党の本部で首相経験者から、今後の自民党ではなくて、この国の形、この国の行く末について大所高所からお話を伺ったことがありまして、本当にかすれ声で、やっと聞き取れるぐらいの声でしたけれども、もう環境だけでした。環境だけでした。
○鳩山内閣総理大臣 江田委員がお話をされました、お仕えをされた橋本龍太郎先生は、私も大変尊敬を申し上げておりました。早く亡くなられたことは大変残念に思っておりますが、ある意味でのかがみにしたい、そのように思っております。
それで、橋本龍太郎先生の御不幸があって、しかし、まあいろいろ、普通であればこれはもう一発で文化庁の御指導に従ってこうやってこういうふうにしまして今後きちっと出直したいと思いますというふうになるのが極めてこれ常識的なといいますか、通常の対応だと思うんですよね。
○国務大臣(伊吹文明君) 再三、衆参国会で御答弁を申し上げておりますように、事の発端は、非常にアンフェアな印象を持たれる、仲間内の刀剣を仲間内で評価をして、そして、それによって実は権威が付いて市場価格が高くなるということについてのいろいろな御批判があったわけですから、そのことについて文化庁が種々指導をし、そして、橋本龍太郎先生が会長のときに、橋本先生は、そのような文化庁の指導に沿って協会の体質を改めねばならないという
次に、議長から、故橋本龍太郎先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員原田昇左右先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員石田幸四郎先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。
最後まで、橋本龍太郎先生、谷津義男先生初め分科員各位の御協力によりまして、本分科会の議事を無事終了することができました。ここに厚く御礼を申し上げます。 これにて散会いたします。 午前十一時三十四分散会
超党派で皆さん集まってくださいまして、そして、現在では百二名の議員の会のメンバーの方々がいらっしゃいまして、会長は橋本龍太郎先生でございます。 この議員立法をつくろうというのは、おのずと関心を持たれた議員さんから出されたことで、ワーキングチームができまして、この議員立法にこぎつけたわけでございます。
実は私も、この議員連盟の中で、橋本龍太郎先生が会長で、御自身のお父様が障害がおありで、そこにいつも犬が同席しておられたと、もちろんこんな制度のない時代ですけれども、人と犬の社会での一つのありようをずっとお小さいころから体にしみ込ませておられたというお話を龍太郎先生がしておられたのが、すごく印象に残っています。
私、かつて、元総理の橋本龍太郎先生が通産大臣のころに商工委員会でお尋ねをしたことがあるんですが、暇地獄という言葉を御存じですか、暇地獄。それは、当時、アエラという朝日新聞社が発行しておりました週刊誌に出ていた言葉であります。
当時はたしか、村山さんが総理大臣で、五十嵐広三先生が官房長官をやっていて、橋本龍太郎先生が通産大臣のときに、そういう特別な、政治決着という表現はよくないかもしれません、大変な力で、お互いに相談し合って着地をしたわけなんです。
去年から橋本龍太郎先生が行政改革担当大臣という特命大臣でもう一人おられたわけですが、行政改革大綱は全部のことですから総務庁がまとめたんです。まとめるのは私どもの方でやりました。しかし、そのまとめたことに従って特殊法人の改革をどうやるかというのは、行政改革担当大臣が特命として案をまとめることになっているんです。それを年内か年度内にまとめたいと。七十七ありますか、特殊法人が。
そこで、一月六日から中央省庁再編で新しい体制が発足いたしましたが、その中に特命大臣として橋本龍太郎先生が行政改革担当大臣になられまして、私どもの方と連携をして進めていくと。
そういう言い方をしてはなんですが、特に詳しい橋本龍太郎先生ともこの件について議論をしたこともございます。 ただ、申し上げましたように、一遍に、さああしたから一緒になるといっても、それはできません。
特に、橋本龍太郎先生が自然エネルギー促進議連の会長をされておりますが、自然エネルギーの促進というものもやはりあわせて行うべきだろうと私は思うのです。
代表質問でも渡辺美智雄先生や橋本龍太郎先生が、もうつぶれるところがあってもしようがないんだ、つぶれるところはつぶせという荒っぽい話を私は当時聞いてびっくりしたんですけれども、本当にそうした方がむしろ国民の負担が少なかったのかどうなのかなという気がして、ここのところはわかりませんので教えていただきたいと思うんです。