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52件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1986-02-12 第104回国会 衆議院 予算委員会 第8号

しかし、その夫の御両親というのはそういう関係にないということで、そこでいわば配偶者両親帰還は許されずということで、奥さんが日本国籍、そしてその御主人、そこまで、その子供は帰れましたけれども、その御主人の御両親等は帰れなかったということもございまして、今なおサハリン、旧樺太地区には韓国へ帰りたいという方が七千人とも、あるいはもう四十年余たっておりますから、意思はあっても年をとってしまったということで

佐藤観樹

1974-04-11 第72回国会 衆議院 本会議 第25号

承知のとおり、フランスは、新規発電所は全部原子力発電所に切りかえようという計画さえ進めておるわけでございますし、私が訪ソいたしましたときには、旧樺太地区に四百万キロないし五百万キロの原子力発電所を設置して、電力を海底送電線によって日本に供給してもけっこうだとさえ言われておるのでございます。  

田中角榮

1968-03-16 第58回国会 衆議院 予算委員会 第17号

樺太地区にはFBが五十、西千島地区にはFBが三十、中樺太地区にはFIが五十。(2)GOB、樺太には四個師団沿海州には十個師団千島には一個師団。(3) NOB沿海州にはMB80、これが配置になっている。しかも、この合同演習をやった菊演習では、この赤国を敵とはっきり書いている。(3)地上部隊

岡田春夫

1962-04-11 第40回国会 衆議院 社会労働委員会 第27号

私の方の未帰還調査部で調べましたところによりますると、樺太地区には現在、やや正確を欠きますが、大体百七十七世帯ぐらい、二百十二人ぐらいの帰国希望者があるように資料としては判断いたしておるのでございますが、そういう帰国希望者があり、また書簡がわれわれにもたらされておるにもかかわらず、その引き揚げ実現しなという理由は何であろうかといろいろ考えておるのでございますが、ああいう土地でございますので、もちろんこれは

山本淺太郎

1961-02-27 第38回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

それから旧満州地区、それから千島樺太地区これがまだ懸案中になっておるわけであります。  そこでただいまの中国大陸との関係でございますが、これはどうも国と国との関係が御承知のようなことになっておりまするし、また戦争時代国民政府が相手であったわけでもあるというようなことで、遺骨の送還を政府政府でというのはなかなかむずかしい問題があるわけであります。

小坂善太郎

1958-10-30 第30回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

後半ほとんど病院生活が大半でありまして、しかも、あと数年は単独でおられたという形でございまするから、必ずしも今申した趣旨におけるソビエト関係帰国促進についての、全般的な促進のための意見ということについては、あるいは適切なお話ができるかどうかということはわかりませんけれども、しかし、ソビエトにほとんど十年近くおられたわけでございますから、見あるいは聞きする状況の中で――今のお話では、大体千名前後、樺太地区

角屋堅次郎

1958-09-26 第29回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

○臼井委員 これより、舞鶴に参りまして、ソ連地区よりの第十六次——これは樺太地区としては第五次でありますが、その引揚者状況及び受け入れ援護状況調査いたしました結果につきまして、その大要を簡単に御報告申し上げます。  今回派遣されました委員は、大貫委員及び私の両名であります。

臼井莊一

1958-02-20 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

ただ現在ソ連地区に残っておる、あるいは主として樺太地区が多いのでありますが、そこからの引き揚げの模様を見ますと、数がだんだん減って参っております。そういう点から見ますのと、ただいま申し上げました残存の、今後引き揚げ対象になります人間というものも、推定いたしますと、これについてはただいま申し上げた数よりははるかに少い数が出て参るのではなかろうかということが考えられるのであります。

堀木鎌三

1958-02-20 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

○石塚説明員 樺太地区引き揚げにつきましては、大臣からただいま御説明申し上げましたごとく、現在樺太地区残留人員というものは約七百くらいおります。このうち国際結婚その他で帰れない者もかなりあるのでありますが、今までの引揚者情報その他から総合いたしますと、今後帰国を希望しておる者は五百ほどおるようにいわれております。

石塚富雄

1958-02-20 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

舞鶴引揚援護局は、その歴史十三年の長きに及んで、ソ連地区中共地区樺太地区からの引揚者をお迎えしたお役所であります。これをことしの十一月十六日という日を切って廃止されることにしてしまった。その理由の中には、十一月までには樺太地区からの引き揚げも完了するであろうということが書いてあるのでありますが、これはどういう根拠からこれをお示しになったのですか。

受田新吉

1958-02-19 第28回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

全部で南樺太地区に二百五十人くらいおると思います。それで、ロシヤで私たち引き揚げ関係しておる人、この人が言った話ですが、それは、全島で約五百人。それは、朝鮮人を含めて、家族を含めますから……。私はそこで二百五十人という数字を出したわけなんであります。

夏堀洋

1958-02-19 第28回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

そうすると、サハリン——樺太地区にもとからいた労働者は、またチョロマへ入って出てきたりした人は、こういう人たちは、さっきのダバーフカといいますか、それがつかないわけです。つかない人は六百ルーブルで生活しなければならない。非常に苦しい生活です。それ以外に技術もないから、結局建築工場などの人夫になったりして働けば、百ルーブルになったり、少いときは五十ルーブル、標準は五、六十ルーブルくらいになっている。

夏堀洋

1958-02-19 第28回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

○山下(春)委員 今度第四次、第五次で樺太地区からお引き揚げになりました方には、先ほどから参考人皆様質問等によって明らかにされましたごとく、朝鮮人の方と結婚もしくは柴田さんのケースのような擬装結婚等もまじえて、非常に朝鮮の方がたくさん日本引き揚げてこられたのでありますが、皆様方のお顔色を見ても、精神的な苦痛がおありになったことは、先ほどからの御陳述でよくわかるのでございますが、どうにか生活にはお

山下春江

1958-02-17 第28回国会 参議院 内閣委員会 第2号

舞鶴地方引揚援護局は、昭和二十年十一月に設置されて以来、上陸地における応急援護機関として、もっぱら海外からの集団引揚者受け入れ援護に当ってきたのでありますが、未帰還者状況から判断いたしまして、現在なお相当数邦人が残留していると思われます樺太地区からの帰国希望者も、本年十一月までには本邦引き揚げることができる見込みであり、その後は個別的引揚に移る見通しが得られるに至りましたので、本年十一月十六日以降同局

堀木鎌三

1958-02-13 第28回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

○山口(シ)委員 第十五次ソ連地区樺太地区としては第四次でありますが、引揚者引き揚げ状況及び受け入れ状況調査のために先般当委員会より派遣されました私より、その大要を御報告申し上げます。  引揚船白山丸は、去る一月十五日午後四時舞鶴港を出港、途中しけのため佐渡両津港沖に三日間待避いたしましたため、若干予定がおくれましたが、一月二十七日午前八時無事舞鶴港に入港いたしました。

山口シヅエ

1958-02-13 第28回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

その全般にわたっての質問はいずれ伺いたいと思いますけれども、特に、私は、今回を抜きにして、その前の十四次までの樺太地区から引き揚げてきた方々のことで伺いたいのは、大体朝鮮人主人が多かったりあるいは身寄りのない人が多いので、非常に生活に困っておられるのではないか、こう思って具体的な実例を伺ったのですが、今の局長の御答弁では、大体これまでこういうふうな形で援護局で世話をしているというようなことで、具体的

戸叶里子

1958-02-11 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

舞鶴地方引揚援護局は、昭和二十年十一月に設置されて以来、上陸地における応急援護機関として、もっぱら海外からの集団引揚者受け入れ援護に当ってきたのでありますが、未帰還者状況から判断いたしまして、現在なお相当数邦人が残留していると思われます樺太地区からの帰国希望者も本年十一月までには本邦引き揚げることができる見込であり、その後は個別的引揚に移る見通しが得られるに至りましたので、本年十一月十六日以降同局

米田吉盛

1957-08-12 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会海外同胞引揚に関する小委員会 第1号

その報告によりますと、引揚者総員二百十九名、遺骨三柱、そのうち日本人八十五名、三十一世帯朝鮮人百三十四名三十四世帯でありまして、性別は男百三名、内子供四十一名、女百十六名内子供七十一名で、残留地点別に申し上げますと、樺太二百七名五十三世帯、シベリア十二名十二世帯で、樺太地区恵須取塔路、知取、本斗、北小沢、名好、珍内、蘭泊の各地点に残留していた人で、残留邦人が比較的多いと思われる豊原、敷香真岡

廣瀬正雄

1957-08-12 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会海外同胞引揚に関する小委員会 第1号

そしてソ連は非常に広い地域でもございますが、ことにきょうお帰りになられた方々の中に二人までおられる樺太地区というものは、これは日本に非常に接近していて、元日本領土でもあったという日本にとっては非常に因縁の深い地域なんですが、そこに、先ほどもちょっとお話が出ておりましたが、高橋事務官の権限が浸透しておるのかどうか、あるいは交渉等において樺太地区に対してどのような経過的な動きがあったのかというような問題

受田新吉

1957-08-12 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会海外同胞引揚に関する小委員会 第1号

○戸叶小委員 樺太地区への係官の出張の問題、先ほどお二人の参考人からの御要望もございまして、そのことについていろいろ欧亜局長から御説明がございましたが、これはやはり急を要することでございますから、なるべく早くそれが実現するように、万全を期すようにお取り計らい願いたいと思います。  

戸叶里子

1957-08-10 第26回国会 参議院 社会労働委員会 閉会後第4号

今般の引き揚げの特徴の第一は、昭和二十四年七月二十三日白龍丸真岡より函館に入港して以来、八年間の引し揚げ空白状態であった樺太地区在住者引き揚げ再開であることであり、このことは、最近ほとんど引揚者のないことにより、未帰還調査の盲点となっておりました樺太地区調査の好機が与えられ、また、この方面の引き揚げを今後も続行せしめるための道を開いたものであります。  

藤田藤太郎

1956-12-06 第25回国会 参議院 予算委員会 第3号

ことに樺太地区から引き揚げてきた人たち一万四千名、先般の衆議院特別委員会におきましては、大蔵当局はその人たちの財産は、大体二十億であるということを発表なされておられる。一体その二十億というのは何を基礎として御発表になっておられるのか。衆議院議事録を見ますというと、河野局長からそういう御答弁があります。で、二十億というのは何を基礎にしておるのか。

千田正

1955-06-18 第22回国会 参議院 予算委員会 第27号

ソ連地域で一千三百六十三名、千島樺太地区八十九名、合計一千四百五十二名、それから状況不明は、二十六年以前に生存の資料があるもの、また同時に不確実な死亡資料のあるものも含めて状況不明者は、ソ連地域で九千五百名、千島樺太地域が一千六百九十名、合計しまして一万二千六百四十二名、すなわち先ほどお話しの数と少し違いますけれども、抑留邦人一万二千と大体発表されました先般の外務省の数字は、厚生省の方から今回の日ソ

川崎秀二