1986-02-12 第104回国会 衆議院 予算委員会 第8号
しかし、その夫の御両親というのはそういう関係にないということで、そこでいわば配偶者の両親の帰還は許されずということで、奥さんが日本国籍、そしてその御主人、そこまで、その子供は帰れましたけれども、その御主人の御両親等は帰れなかったということもございまして、今なおサハリン、旧樺太地区には韓国へ帰りたいという方が七千人とも、あるいはもう四十年余たっておりますから、意思はあっても年をとってしまったということで
しかし、その夫の御両親というのはそういう関係にないということで、そこでいわば配偶者の両親の帰還は許されずということで、奥さんが日本国籍、そしてその御主人、そこまで、その子供は帰れましたけれども、その御主人の御両親等は帰れなかったということもございまして、今なおサハリン、旧樺太地区には韓国へ帰りたいという方が七千人とも、あるいはもう四十年余たっておりますから、意思はあっても年をとってしまったということで
御承知のとおり、フランスは、新規発電所は全部原子力発電所に切りかえようという計画さえ進めておるわけでございますし、私が訪ソいたしましたときには、旧樺太地区に四百万キロないし五百万キロの原子力発電所を設置して、電力を海底送電線によって日本に供給してもけっこうだとさえ言われておるのでございます。
南樺太地区にはFBが五十、西千島地区にはFBが三十、中樺太地区にはFIが五十。(2)GOB、樺太には四個師団、沿海州には十個師団、千島には一個師団。(3) NOB、沿海州にはMB80、これが配置になっている。しかも、この合同演習をやった菊演習では、この赤国を敵とはっきり書いている。(3)地上部隊。
私の方の未帰還調査部で調べましたところによりますると、樺太地区には現在、やや正確を欠きますが、大体百七十七世帯ぐらい、二百十二人ぐらいの帰国希望者があるように資料としては判断いたしておるのでございますが、そういう帰国希望者があり、また書簡がわれわれにもたらされておるにもかかわらず、その引き揚げが実現しなという理由は何であろうかといろいろ考えておるのでございますが、ああいう土地でございますので、もちろんこれは
○松山委員 樺太地区には帰国を希望している日本人が相当あるように聞いておりますけれども、この実情はどんなふうになっておりましょうか、お尋ねいたします。
○松山委員 中共地域についても、樺太地区と同様の事情にあるというようなことを聞いておりますが、その方の実情はどうなっておりましょうか。
樺太に関しては、何分にも引揚者の数も多く、地域も広範囲にわたっておりまする上に、墓地の所在や現状等も明らかでございませんために、関係者としても具体的な墓参の計画を取りまとめることがきわめて困難と思われますが、ソ連においても今日まで樺太地区の墓参には同意いたしておりません。
それから旧満州地区、それから千島、樺太地区、これがまだ懸案中になっておるわけであります。 そこでただいまの中国大陸との関係でございますが、これはどうも国と国との関係が御承知のようなことになっておりまするし、また戦争時代は国民政府が相手であったわけでもあるというようなことで、遺骨の送還を政府対政府でというのはなかなかむずかしい問題があるわけであります。
後半ほとんど病院生活が大半でありまして、しかも、あと数年は単独でおられたという形でございまするから、必ずしも今申した趣旨におけるソビエト関係の帰国促進についての、全般的な促進のための意見ということについては、あるいは適切なお話ができるかどうかということはわかりませんけれども、しかし、ソビエトにほとんど十年近くおられたわけでございますから、見あるいは聞きする状況の中で――今のお話では、大体千名前後、樺太地区
○臼井委員 これより、舞鶴に参りまして、ソ連地区よりの第十六次——これは樺太地区としては第五次でありますが、その引揚者の状況及び受け入れ援護の状況を調査いたしました結果につきまして、その大要を簡単に御報告申し上げます。 今回派遣されました委員は、大貫委員及び私の両名であります。
ただ現在ソ連地区に残っておる、あるいは主として樺太地区が多いのでありますが、そこからの引き揚げの模様を見ますと、数がだんだん減って参っております。そういう点から見ますのと、ただいま申し上げました残存の、今後引き揚げ対象になります人間というものも、推定いたしますと、これについてはただいま申し上げた数よりははるかに少い数が出て参るのではなかろうかということが考えられるのであります。
○石塚説明員 樺太地区の引き揚げにつきましては、大臣からただいま御説明申し上げましたごとく、現在樺太地区の残留人員というものは約七百くらいおります。このうち国際結婚その他で帰れない者もかなりあるのでありますが、今までの引揚者の情報その他から総合いたしますと、今後帰国を希望しておる者は五百ほどおるようにいわれております。
舞鶴引揚援護局は、その歴史十三年の長きに及んで、ソ連地区、中共地区、樺太地区からの引揚者をお迎えしたお役所であります。これをことしの十一月十六日という日を切って廃止されることにしてしまった。その理由の中には、十一月までには樺太地区からの引き揚げも完了するであろうということが書いてあるのでありますが、これはどういう根拠からこれをお示しになったのですか。
全部で南樺太地区に二百五十人くらいおると思います。それで、ロシヤで私たちの引き揚げに関係しておる人、この人が言った話ですが、それは、全島で約五百人。それは、朝鮮人を含めて、家族を含めますから……。私はそこで二百五十人という数字を出したわけなんであります。
そうすると、サハリン——樺太地区にもとからいた労働者は、またチョロマへ入って出てきたりした人は、こういう人たちは、さっきのダバーフカといいますか、それがつかないわけです。つかない人は六百ルーブルで生活しなければならない。非常に苦しい生活です。それ以外に技術もないから、結局建築工場などの人夫になったりして働けば、百ルーブルになったり、少いときは五十ルーブル、標準は五、六十ルーブルくらいになっている。
○山下(春)委員 今度第四次、第五次で樺太地区からお引き揚げになりました方には、先ほどから参考人の皆様や質問等によって明らかにされましたごとく、朝鮮人の方と結婚もしくは柴田さんのケースのような擬装結婚等もまじえて、非常に朝鮮の方がたくさん日本へ引き揚げてこられたのでありますが、皆様方のお顔色を見ても、精神的な苦痛がおありになったことは、先ほどからの御陳述でよくわかるのでございますが、どうにか生活にはお
舞鶴地方引揚援護局は、昭和二十年十一月に設置されて以来、上陸地における応急援護機関として、もっぱら海外からの集団引揚者の受け入れ援護に当ってきたのでありますが、未帰還者の状況から判断いたしまして、現在なお相当数の邦人が残留していると思われます樺太地区からの帰国希望者も、本年十一月までには本邦に引き揚げることができる見込みであり、その後は個別的引揚に移る見通しが得られるに至りましたので、本年十一月十六日以降同局
○山口(シ)委員 第十五次ソ連地区—樺太地区としては第四次でありますが、引揚者の引き揚げ状況及び受け入れ状況調査のために先般当委員会より派遣されました私より、その大要を御報告申し上げます。 引揚船白山丸は、去る一月十五日午後四時舞鶴港を出港、途中しけのため佐渡両津港沖に三日間待避いたしましたため、若干予定がおくれましたが、一月二十七日午前八時無事舞鶴港に入港いたしました。
その全般にわたっての質問はいずれ伺いたいと思いますけれども、特に、私は、今回を抜きにして、その前の十四次までの樺太地区から引き揚げてきた方々のことで伺いたいのは、大体朝鮮人の主人が多かったりあるいは身寄りのない人が多いので、非常に生活に困っておられるのではないか、こう思って具体的な実例を伺ったのですが、今の局長の御答弁では、大体これまでこういうふうな形で援護局で世話をしているというようなことで、具体的
樺太地区の方は六、七百名と推定しております。
舞鶴地方引揚援護局は、昭和二十年十一月に設置されて以来、上陸地における応急援護機関として、もっぱら海外からの集団引揚者の受け入れ援護に当ってきたのでありますが、未帰還者の状況から判断いたしまして、現在なお相当数の邦人が残留していると思われます樺太地区からの帰国希望者も本年十一月までには本邦に引き揚げることができる見込であり、その後は個別的引揚に移る見通しが得られるに至りましたので、本年十一月十六日以降同局
○説明員(田村坂雄君) その点につきましては、日本人の女と朝鮮人の夫と樺太地区において結婚しておったということを、本人から一応証言をさせまして、その家族関係を認めた次第でございます。
○稻葉委員 第十三次ソ連地区(樺太地区としては第二次)引揚者の引揚状況及び受け入れ状況実地調査のため、前国会閉会中に、私及び戸叶委員の両委員が舞鶴に、派遣されましたが、その大略をこの際参考のために申し上げることといたします。
その報告によりますと、引揚者総員二百十九名、遺骨三柱、そのうち日本人八十五名、三十一世帯、朝鮮人百三十四名三十四世帯でありまして、性別は男百三名、内子供四十一名、女百十六名内子供七十一名で、残留地点別に申し上げますと、樺太二百七名五十三世帯、シベリア十二名十二世帯で、樺太地区は恵須取、塔路、知取、本斗、北小沢、名好、珍内、蘭泊の各地点に残留していた人で、残留邦人が比較的多いと思われる豊原、敷香、真岡
そしてソ連は非常に広い地域でもございますが、ことにきょうお帰りになられた方々の中に二人までおられる樺太地区というものは、これは日本に非常に接近していて、元日本領土でもあったという日本にとっては非常に因縁の深い地域なんですが、そこに、先ほどもちょっとお話が出ておりましたが、高橋事務官の権限が浸透しておるのかどうか、あるいは交渉等において樺太地区に対してどのような経過的な動きがあったのかというような問題
○戸叶小委員 樺太地区への係官の出張の問題、先ほどお二人の参考人からの御要望もございまして、そのことについていろいろ欧亜局長から御説明がございましたが、これはやはり急を要することでございますから、なるべく早くそれが実現するように、万全を期すようにお取り計らい願いたいと思います。
今般の引き揚げの特徴の第一は、昭和二十四年七月二十三日白龍丸が真岡より函館に入港して以来、八年間の引し揚げ空白状態であった樺太地区在住者の引き揚げ再開であることであり、このことは、最近ほとんど引揚者のないことにより、未帰還調査の盲点となっておりました樺太地区の調査の好機が与えられ、また、この方面の引き揚げを今後も続行せしめるための道を開いたものであります。
先般ようやく樺太地区につきましては——と申しますのは先般発表になりました数字はおそらく樺太に終戦当時おった人に関する情報の提供であると思いますが、いまだにソ連本土には昭和二十五年以降現在という資料に載っている人が二百名以上ございます。
ことに樺太地区から引き揚げてきた人たち一万四千名、先般の衆議院の特別委員会におきましては、大蔵当局はその人たちの財産は、大体二十億であるということを発表なされておられる。一体その二十億というのは何を基礎として御発表になっておられるのか。衆議院の議事録を見ますというと、河野局長からそういう御答弁があります。で、二十億というのは何を基礎にしておるのか。
ソ連地域で一千三百六十三名、千島樺太地区八十九名、合計一千四百五十二名、それから状況不明は、二十六年以前に生存の資料があるもの、また同時に不確実な死亡資料のあるものも含めて状況不明者は、ソ連地域で九千五百名、千島樺太地域が一千六百九十名、合計しまして一万二千六百四十二名、すなわち先ほどお話しの数と少し違いますけれども、抑留邦人一万二千と大体発表されました先般の外務省の数字は、厚生省の方から今回の日ソ