運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
75件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2015-04-07 第189回国会 参議院 文教科学委員会 第4号

例えばアメリカなんかでも戦争を終わらすためにはこれは正しかったんだとか、韓国でいえば植民地解放のためにこれは良かったんだとか、極端なひどい部分でいえばこれは天罰だったんだと、日本に対する、アジアへのいろんなひどいことをしたというようなことで。ただ、一方的に核兵器廃絶を訴えても、それが受け手側が本当にそれを理解してもらえるかどうかということがないと、なかなかそれは前に進まなかった。  

森本真治

2013-05-15 第183回国会 参議院 予算委員会 第18号

既に植民地解放宣言国連では戦後早い時期に国際社会の合意として発表されております。そして、侵略問題についても多くを語る必要はないと思います。なぜ戦前の朝鮮は、あるいは台湾は植民地ではなかったのか、その北の方にあった満州という国は元々日本の固有の国であったのか、違うでしょう。広く東南アジアに目を移していくともっとありますよ。時間ありませんからこの程度にしておきますが。  

山内徳信

2012-05-23 第180回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第5号

もう一つ、意識的にいろいろ強化を図ってまいりましたのは、やはりアフリカにおきましても、アジアはかなり安定はしてきていたんですが、特にアフリカ等においては、やはり紛争植民地解放から独立したけれども、それがただ平和的に全て進んだわけではない。いろんな紛争も伴ってきた場所が多かったんですが、そういう紛争においては誰が一番危険にさらされるかと申しますと、人々なんです、一般の普通の人々

緒方貞子

2012-03-27 第180回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

時間もあと五分しかありませんから進めてまいりますが、次に、これも重要な問題と思っておりますから、この場で出して質問という形で提起をしておきたいと思いますが、島ぐるみ土地闘争があって、次々と沖縄地域米軍基地が大幅にできていく、そういう状況の中で、当時の沖縄の県議会、県はありませんから立法院と言ったんです、立法院全会一致国連に対して、沖縄植民地から解放してくれと、そういう植民地解放の要求を要請文

山内徳信

2006-05-11 第164回国会 参議院 法務委員会 第16号

七〇年代、八〇年代のように、植民地解放民族解放のための戦術としてのテロというのはもはや過去のものとなりつつあります。  さて、情報社会テロ組織の特徴でございますけれども、これは国家から自立した非国家主体テロ組織が出現してまいりました。これもまた七〇年代、八〇年代とは大きく様相を異にしております。七〇年代、八〇年代のテロ組織と申しますのは、何らかの形で背後に国家が控えておりました。

加藤朗

2000-02-21 第147回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

他方、国際協力の中核としての国連、なかんずく経済社会分野での秩序を形成するという側面というのは、実は戦後非常にたくさんの独立国が生まれた、特に植民地解放のプロセスの中で、アジアアフリカあるいはカリブ海、ラ米等においてそれまで植民地だった国々が独立をして、その独立の問題というものがいわば南北問題という形で出てきて、それがまた南北対立一つ要素をつくってきたということで、これも実は南北対立というイデオロギー

小和田恆

1994-06-02 第129回国会 衆議院 予算委員会 第15号

私はそれに対して、あの戦争が聖戦だったとか植民地解放のゆえにそんなものが許されてしかるべき、そんなばかなことを全然言うつもりはありません。  しかし、いろんな性格づけはあるでしょうけれども、非戦闘員を軍隊が殺すということは非常に残虐なことだし、同時に、言ってみれば戦争軍人同士が戦場で殺し合うということも、これも決して好ましいことではない、私は残虐な行為の一つだと思います。

石原慎太郎

1994-05-24 第129回国会 衆議院 予算委員会 第8号

あの戦争目的について、あれは植民地解放戦争だった、大東亜共栄圏確立のための戦争だった、戦争目的としては、当時としては許される基本的に正しいものだったということまで言っていますね。  それから、それに加えてこういうことも言ったわけです。戦争は、日本がつぶされそうだったから生きるために立ち上がったものであって、日本状況をそこまで持ってきた諸外国が問題だった。

志位和夫

1993-03-19 第126回国会 参議院 予算委員会 第5号

政府委員丹波實君) 国際間の紛争と一国の中におきますいわゆる国内紛争との把握の問題がそもそも難しいわけでございますので、数字的に比率がどうなっているかという点をこの場で申し上げることは難しゅうございますけれども、第二次大戦後にあらわれた傾向としては、例えば植民地解放ゲリラ闘争といったものをどうとらえるかという問題がございますし、それから冷戦後のいろんな世界の中で残念ながら起こっております国内的

丹波實

1992-05-08 第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第5号

また、世界的な状況を見ますならば国連の創設、国連が少なくとも戦争の惨禍の中から紛争の平和な解決をはっきりと打ち上げたということがございますし、また各国で見ますならば、戦後、普選それから婦人参政権、そして植民地解放、独立、こういった民意が政治に近くなったということがこの平和を支える大きな要素であったと思います。  

久保田真苗

1991-04-10 第120回国会 参議院 予算委員会 第18号

具体的には、例えば高等学校日本史で、太平洋戦争についてその経緯を述べるとともに、「日本戦争目的自衛と大東亜秩序の建設による植民地解放としていたが、実際は戦争の継続に必要な資材の供給地として占領地域を支配したことから、各地に抗日運動がおこった」、こういうことが記載されております。  

井上裕

1990-04-18 第118回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第3号

もっと丁寧に言いますと、アジア社会主義革命というものは、アジアにおきます植民地解放、民族解放闘争と結びついております。つまり、彼らが非常に強いのは、また彼らが現在ナショナリズムを使うことができるのは、チャウシェスクと同様にナショナリズムをある意味では使うことができますのは、彼らがそこで勝利した、民族解放闘争で勝利したその正当性があるからであります。したがって彼らの基盤は強いわけであります。

秋野豊

1986-09-17 第107回国会 衆議院 本会議 第4号

あるいは植民地解放を信じ、あるいはアジア独立を願って、あるいは東洋の平和を願って戦死した方々が大部分でありまして、それらの方々戦争を指導した人たちの立場は違う、責任も違うと私は考えております。そういう意味におきましては、我々は、理想を信じて戦死された一般の将兵については心から追悼し、そして瞑目し、黙祷すると同時に、平和を祈念する。そういう考えに立って今後もいきたい、そう考えておるのであります。

中曽根康弘

1981-05-14 第94回国会 衆議院 外務委員会 第14号

また、日本はそのときにアメリカの政策に追従したわけでございますけれども、そうではなくて、本当にベトナム戦争は間違っていると、日本が心からベトナム人民植民地解放に協力したということがあれば、ベトナム政府に対して真の友として、こういう難民を海外に送り出すようなことは国としても好ましいことではないと助言できると思うわけであります。  

宮崎繁樹

1968-04-09 第58回国会 衆議院 懲罰委員会 第7号

そう申しますと、では国会は一体どうしていると言いますから、沖繩立法院満場一致祖国復帰決議をし、国会満場一致祖国復帰決議をしていると言いましたら、琉球立法院がそれを決議し、衆参両議院がそれを正式に決議をしておりながら、なぜその決議をそのままの形でアメリカ政府並びに国際連合植民地解放宣言特別委員会日本政府は提出しないのか、理解に苦しむ、こもごもそういうことばでありました。

帆足計

1967-04-20 第55回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

日本国民植民地化されたアジアの諸国民に深い同情を寄せて、日本米英に対する自衛的戦争の機会に、アジア諸国植民地の束縛から解放しようとしたもので、植民地解放戦争の性格をもっている。」それから、「米英世界第一級の富強な大国であった。米英が、国経済協力植民地独立の音頭をとっていたならば、あるいは大東亜戦争は起らなかったかもしれない。

横山利秋