2019-02-26 第198回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号
そして、一帯一路構想等の話についてもちょっと省いてしまったんですけれども、一帯一路の、投資自体はこれは喜ぶべきことだとは思いますけれども、実際に、途上国の政府に返済不可能な額を貸し付けた上で、返済不可能に陥った場合に、港湾などの重要なインフラ施設をある意味植民地時代のように租借するというふうな戦略的な行動に出ているということで、そういった中国の国際政治学上の帝国建設に対する野望というものはやはり各国
そして、一帯一路構想等の話についてもちょっと省いてしまったんですけれども、一帯一路の、投資自体はこれは喜ぶべきことだとは思いますけれども、実際に、途上国の政府に返済不可能な額を貸し付けた上で、返済不可能に陥った場合に、港湾などの重要なインフラ施設をある意味植民地時代のように租借するというふうな戦略的な行動に出ているということで、そういった中国の国際政治学上の帝国建設に対する野望というものはやはり各国
拉致問題の解決をうたっている日朝平壌宣言は、国交正常化後に植民地時代の過去の清算を経済協力の形で実施すると約束しているので、これは経済制裁とは相入れません。では、これは、そこまでは経済制裁を続けるのか、あるいはそうじゃなくて、その前の段階でこれを少し変えていくということを考えているのか、その辺はいかがでしょうか。まあ言えないかもしれませんけれども。
御国とエリトリアの関係は、イタリアの植民地時代まで遡ります。エリトリアと日本は、活発な貿易と投資の協力関係が以来ずっと続いております。 日本と、イタリアの植民地支配下にあったエリトリアとの国交は、既に一九三六年九月に樹立されております。日本鉱業の現地と日本人の専門家が巨大な硫化物鉱床をエリトリアの地域などに発見いたしたのは一九七〇年代のことです。
○荒井委員 私は、約三十年ほど前、非常に若かったころ、スリランカというところの大使館の職員を、一等書記官をやっていたんですけれども、そのときにスリランカで、日本の古都京都に相当するような古い町、キャンディという町があったんですけれども、そこにイギリスの植民地時代のイギリス貴族の別荘地がありました。そこを開放して、いわゆる民泊をやっていたんですね。 そこに時々滞在をしました。
しかも、関税自主権という植民地時代かと錯覚するような言葉がここで出てくることは、おかしくありませんか。現代の通商ルールは、当たり前ですが、関税は交渉で決定するというもので、小村寿太郎が交渉する前の日本のように、一方的に関税を押しつけられるなどという時代は、もう百年以上も前に過ぎ去っています。
韓国は、日本と比べて、一九九〇年ごろまでは日本の方が進んでいたというふうに、日本も全然進んでいないから比べようがないんですが、韓国は日本をまねしている、こういう席で言うのもなんですけれども、日本の刑事訴訟法、植民地時代のあれで、そういう形で、日本の後を追ってきたという経緯がございます。
例えば、アフリカのそれのように、植民地時代に引かれた人工的な国境を反政府勢力がまたいで活動する、こういうことが一般的であります。つまり、周辺国同士の政治が複雑に絡んだ構造、これが内戦であります。ですから、こういう内戦というのは、今日では極めて国際化したものになっています。
それこそ、じゃ植民地時代か何かにアフリカから持ってきたようなものを、それを元にして作ったものも全部遡及してお金を払うって、どうやって計算するんだとかといういろんな議論はありましたが、だからこそ条約になったときにはそういう極端な話のものは抜け落ちているんであって、だからこそもうこれ発効しているわけで、多くの国は参加しているわけであって。
ファン・ボイ・チャウというのは、フランスの植民地時代の独立運動の活動家だったんです。そして、日本にベトナムの若者を留学させる東遊運動をやっていて、浅羽佐喜太郎さんは、そのファン・ボイ・チャウを物心両面ともに支えた人物だったんです。当然、フランスとの関係を気にした当時の首脳、犬養毅、大隈重信等々は浅羽佐喜太郎に圧力をかけたわけなんです。
今回の外務大臣が韓国側の立場、説明を理解したというふうにして延期したことで、韓国側の国内感情の背景には歴史認識があるわけですよね、植民地時代の支配であったり慰安婦の問題が解決していないとか、そういう問題に対してある一定の理解を日本の外務大臣も示したんであるというメッセージを与えないかと、それが非常に不安なんです。これについて外務省、どう思いますか。
また、この国の土地はスペイン植民地時代のままの大規模でやる方法だけで、小さな自営農の人々は土地を追われ、自殺者がでたことも聞いています。農業国家といわれますが、国民の受け皿的なものを農村というものに求めることが出来ません。
日朝関係史の研究者は、かつての植民地時代の政策の負の遺産ともいうべきいろいろなものを抱えております。特にこの宗家文書は、韓国でいまだに十分に利用できない状態に置いてあります。この宗家文書、置き去りになっている日本の資料としては最大級のものです。しかし、その交渉の仕方を間違えますと、研究者は再びこの資料から遠ざけられてしまいます。
北朝鮮のお話がちょっと出ましたけれども、あそこには非常に重要な、東アジア全体としても重要な遺跡等があって、ほとんどそういうものが植民地時代に破壊されているわけですね。つまり、そういう破壊された、あるいは盗まれたものがかなり日本にも来ているわけで、今後そういうものを一体どうしたらいいのかということですね。
それからもう一つは、最近の一つの大きな動きは、エジプトの話もございましたが、植民地時代に行われたいろいろなことを現在どういうふうに解決していくか。 大体この三つが世界の大きな流れになって、その中で文化財の移動とか返還とか交流、こういう問題が議論されておりまして、その枠組みをきちっととらえて考えていくということが重要だろうというふうに思っています。
○服部委員 私は、これはいろいろな、いわゆる徴用もあれば、そういったところで、朝鮮半島とか植民地時代に来られた方の財産なわけですよね。これがいまだに返還されていないという理由にはいろいろあると思います。原票がないとか、そういったものがいろいろあると思うんですけれども、やはりこれを一体どうしていくのか。
途上国は、先進国から植民地時代から多くの生物資源を持ち出されてきた、こういうような経験から、最後まで強硬だったと思います。ルールの対象については、先進国は生物資源のみとしていたのに対して、途上国は生物資源を化学合成したりすることで得られる派生物にも拡大するように訴えていたわけであります。
途上国は先進国に植民地時代から多くの生物資源を持ち出されてきた、そういう経緯、恨みつらみ、そういうようなものもあるかと聞いておりまして、ここで交渉が難航していると思われますが、ルールの適用対象については、先進国は生物資源のみとしているのに対して、途上国はその化学合成品まで、派生物まで拡大するように訴えているところだと認識しております。
もう一方、遡及の問題とか、遡及適用、あるいはそれも発効してから一九九二年の条約の締結までさかのぼるのか、あるいはその前の植民地時代にさかのぼるのかという議論もありますし、また派生物、この派生物、例えばタミフルは八角からできておりますけれども、タミフルができてその派生物があって、そこまで利益の配分するのかという議題もありますし、今言われた特許とか開発のこととか様々あります。
そういう意味で、今朝鮮学校が検討する、どういう基準で検討したらいいかという議論をさせていただいておりますけれども、それは高等学校の課程に類する課程であるかどうかを判断する、逆に申しますと、先ほど少しおっしゃいました拉致問題を抱えている国の関与する、あるいはそういう子供がいる学校に出していいのかという論も、逆に言えば戦前、植民地時代含めていろいろ日韓にはあったから、朝鮮半島間もあったからということのいずれの
一つは、世界遺産に登録されたポルトガル植民地時代の町並み、これは二十二の歴史的建造物と八つの広場を含むマカオ歴史市街地区がユネスコの世界遺産として登録されました。
日本の鳩山由紀夫首相が、日本の植民地時代の徴用、徴兵などの問題に対し順次補償していく用意があることを米議会の重鎮に非公式の場で示したと伝えられるというようなことが書いてありまして、言うまでもなく、この問題は、一九六五年の国交正常化のときに、日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決されている問題でございます。
それから、ついでに、これは個人的な意見ですけれども、アフリカの支援もいいんですけれども、アフリカがこんなにぐちゃぐちゃにされちゃったのは主にヨーロッパの責任ですよね、植民地時代の。そこにおいて日本がアフリカに対して、非常に今TICADでアフリカ支援に力を入れているということ、まあ人道的でいいような気もするんですけれども、ちょっとよろいの下に何かが見えてくるような、そういう気もします。
実は、植民地時代というのは長く見て六十年ぐらいなんです。独立してからもう五十年たっているんですね。一般のアフリカ・ウオッチャー、世界のアフリカ・ウオッチャーの共通して抱いているのは、それはもう通用しないよと、君らの責任だよと。
アジアの独立運動とかなんかの指導者、ガンジーを始めとして多くのそういう植民地時代の指導者たちは、欧米で、特にヨーロッパで勉強をしていますよね。で、帰って、全く別の視点で、これじゃ駄目だということで、独立運動を始めとして国をつくることにリーダーシップを発揮したんだと思います。