2003-05-23 第156回国会 参議院 決算委員会 第8号
また、八四年の日経新聞でも、長野林野局がこういうことを言っているんですね。販売した後の収益は木材市場がこのままでも四倍ぐらいにはなると予測していると。 加えて、一九八四年の十月に発行された「あなたも緑のオーナー。」というパンフレットがあるんですけれども、この「あなたも緑のオーナー。」
また、八四年の日経新聞でも、長野林野局がこういうことを言っているんですね。販売した後の収益は木材市場がこのままでも四倍ぐらいにはなると予測していると。 加えて、一九八四年の十月に発行された「あなたも緑のオーナー。」というパンフレットがあるんですけれども、この「あなたも緑のオーナー。」
私の祖父も、生まれは静岡ですけれども、戦前の林野局で富良野に赴任をして、そこで私の父を授かりました。三十歳で戦地へ行って、北海道から出兵してそのまま戦死をいたしましたけれども、本当に明治維新以降ですよ、日本の国有林を守ってくださっている方々の御苦労というのは私は胸にしみてよく分かっているつもりでございます。
○福本潤一君 高知は林野も広い面積所有しておりますけれども、中四国の、昔、林野庁に代わるのは高知営林局というところが全部を管轄するぐらい伝統的に高知の林野局が全体を見ているというぐらい広大な範囲を担当していまして、その中で、瀬戸内海の島で最近イノシシの捕獲が、生け捕り作戦というんですけれども、生け捕り捕獲が大変有名になった蒲刈島という島がありまして、私、そこへ昔よく行っていたのに何で最近そんなに繁殖
○山口政府参考人 御指摘のございました洞御陵地でございますが、帝室林野局から昭和十五年に陵墓地として諸陵寮、現在の宮内庁書陵部陵墓課の前身でございます宮内省諸陵寮に移管されたものでございます。その移管をするという旨の帝室林野局長官からの書類などはございますが、それ以外の書類が現在見当たらないため、移管に関するそれ以上の経緯はちょっと私の方でも確認できておりません。
○山口政府参考人 先ほど申しましたように、帝室林野局から諸陵寮に移管されたのは事実でございますが、その帝室林野局以前のことは、現在の宮内庁書陵部陵墓課の方には資料がないということでございます。
そして、一千万立米ぐらいというと要員の数でいいますと、これも資料を見てみましたら、林政統一前に、林政統一は二十二年ですか、以前の帝室林野局と山林局でやっていたときでは一千万立米ぐらいの経営を一万人ぐらいでやっていたというんですね。そうすると、いまだにまだ人が多いじゃないかという議論もある。
例えば、ドイツでは国立公園が農林省林野局直轄の、営林局とほぼ同じ権限を持つ国立公園署によって管理運営されております。ところが、我が国ではそうではありません。国立公園等の大部分を管内に設定されている国有林が自分の所管から外されていながら、しかもなけなしの金を使ってその機能を支えているのです。 第二に、担当区と事業所とが合体されることになりますが、これは正常なことでございます。
この経緯は、御案内のように、昭和十四年に当時の帝室林野局が木材の円滑な搬出、運送を目的といたしまして取得したわけでございます。その後昭和二十四年になりまして国有林野事業がその株券を引き継いだものでございます。しかしながら、その後林業をめぐる情勢の変化によりまして、昭和六十三年あたりになりましてほとんど運材料がなくなったということで、トラックによる運材部門を士別軌道株式会社は廃止いたしました。
著者がアメリカ林野局で「雪崩」という本、御存じだと思います。これは全部痕跡調査やなんかもやっているんですね。そういうものが必要だというふうにお感じになりませんでしょうか。建設省。
それからまず御料林になりまして、帝室林野局になり、国有林になってきたというようないきさつがございまして、割合に自然林がそのまま厳正に管理されてきたというようなところでございます。
というのは、僕はこう見ておって、国有林の経営の状態はとにかくあの昔の帝室林野局におったころからの考え方から一歩も出ていません。頭が古。特別会計になったんだから経営分析をやって、どういうふうにしてもうけるところではちゃんともうけて経営を健全に持っていくかというような頭がない、どうもそういう感じです。その頭の切りかえをやらさなければいけませんよ。
一号は「二等又ハ三等ノ帝室林野局出仕」、二号、三号、四号とずっとありますね。いまこのようになっていますか、それを聞いているんですよ。この法律が生きているんですか。字句が違うだけですか、どうなんですか、これ。ずっと読んでみてどう思われますか、それを私は伺っているんですよ。と申し上げますのは、結局司法職員の共助には欠くべからざる者の法制なんですよね。
それから「司法警察官吏及司法警察官吏ノ職務ヲ行フヘキ者ノ指定等ニ関スル件」につきましては、先ほど申し上げましたように、この中で第三条というのがございまして、多少古い規定でございますので、当時のいろいろなたとえば「二等又ハ三等ノ帝室林野局出仕」とか「監獄又ハ分監ノ長タル者」云々とか、「営林局署勤務ノ農林事務官及農林技官」とかいろいろな職種が定められておるわけでございます。
言いかえますと、それは農林弘済会が随意契約で農林省からとって、あるいは関東農政局、林野局からとっている、それらのものの中間マージンを、言い方は悪いですが、搾取だということですね、なぜそういうことをする必要があるのかということです。私は、御承知だと思いますけれども、官公需の中小企業の受注確保に関する法律というのがあるわけですね、この法律にも違反しているわけです。
そのほかに、関東農政局あるいは林野局等から受注しておって、五十二年度は四億九千五百万円、約五億円の受注をしておると、こういうお話でした。その約五億円の受注がすべて随意契約であると、こういうことですが、それは間違いございませんか。
次に、スウェーデンでございますが、スウェーデンにおきましては、わが国の農林省林野庁に相当する機構が行政を担当いたしまして、国有林野局が国有林の管理経営をいたしております。この経営の目的といたしましては、木材の保続的な生産並びに保健休養の場の提供ということを目的として実施しておるわけであります。この経営形態でございますが、国有林野局は国有林を経済ベースで運営する公共企業体とされております。
同営林局は、昭和二十二年の林政統一により旭川地方帝室林野局の改組によって設置されたものであり、現在の組織は、本局が三部一室十二課から成り、局の下に二十五の営林署と百六十の担当区事務所が配置されているのであります。 職員は、五十二年四月一日現在、定員内職員が二千五百一十一名、常用作業員等の定員外職員が同年七月一日現在で二千五十六名となっております。
ていただきました森林組合制度等検討会の座長を務められた武田さんは、ちょっと調べてみましたら、森林組合課というのが林野庁の中にできて、初代の森林組合課長をやられたというふうに聞いておるわけですが、参考までに調べてみましたら、従来の森林組合の指導監督に当たってきた行政部課として、最初の明治三十八年代には山林局の経営課、四十一年代には地方課、大正十三年代には公私有林課、昭和五年代には林政課、昭和二十二年代には林野局
○清水委員 時間もありませんから先に進まざるを得ませんが、しかし、これは高野さんも理解をされていると思いますが、中小の業者から見ると、林野庁というのは、昔から、帝室林野局などというサーベルを下げた時代からの非常にこわいイメージがございまして、余り無理をさせないんだ、話し合いでスムーズにいくようにしているんだというような、ここでは柔軟な言い方をなさるのですけれども、しかし、現実には、うっかり抵抗をしたり
○政府委員(富田朝彦君) ただいまのお尋ねの中に例が出てまいりました武藤さん、恐らくこれは戦前にそういうお話をされたんだろうと承知いたしますが、これは、戦前は御案内のように帝室林野局を所管をいたしておりまして、また、若干の証券類もお持ちであったことは事実でございます。
これは会計検査院では非常に大きな問題でして、私は現地に参りまして、林野局の職員の案内で北海道の一番ひどいところを見たわけです。ずいぶんたくさん見ました。ところが、北海道のわれわれの見る範囲では、山という山はほとんど風倒木にやられているんです。ああいうふうな場合は、ただ会計検査院の職員を半分動員したって実際つかめるものじゃない。それは、事件は別ですよ、日通との関連の林野局との事件なんですけれどね。
帝室林野局時代、これから後にはいまの林野庁、それから林野庁から一歩進めて下請制度を直用にしたという問題、その上においては技術屋が必要であるといいながら、技術的な問題では、今度、のこぎりの問題で新しい白ろう病が起こるとかいろいろな問題が起こっておるわけです。そういう問題もやはり爼上にのせて、基本的な林野行政というものを定着させ、確立させると同時に、労働問題をどのようにして考えていくか。
これはどこのものかといったらば帝室林野局とか山林局の林でございました。ところが今日は、私いま山へ登ります。去年も槍へ行っております。秩父にも行っております。ひどいな、皆伐してこんなところまで切ってというと、これはたいがい林野庁の国有林でございます。すなわち林野行政というものが森林伐採のみを、独立採算制の観点もあると思いまするが、そういう問題を強くやっております。
昔、御用林といっておったころは帝室林野局がそれをやっていたものです。戦後、林野庁になってから国有林と名前が変わったわけです。