2001-06-12 第151回国会 参議院 外交防衛委員会 第15号
例えば、五六年の日ソ共同宣言では、松本全権大使は、ソ連は歯舞、色丹のみは平和条約が締結された際には返還するけれども、国後、択捉はどうしても返還できないという態度を堅持して譲らなかったんだ、こういうふうに答弁しておるわけで、一体ロシアはこの解釈においてどのようにしているのか。
例えば、五六年の日ソ共同宣言では、松本全権大使は、ソ連は歯舞、色丹のみは平和条約が締結された際には返還するけれども、国後、択捉はどうしても返還できないという態度を堅持して譲らなかったんだ、こういうふうに答弁しておるわけで、一体ロシアはこの解釈においてどのようにしているのか。
一九五六年の日ソ共同宣言は、十年以上、シベリアに抑留された多数の日本兵捕虜を人質にされ、サケ・マス漁業禁止区域を一方的に設定され、国連加盟には拒否権を行使され、さらには、スターリンの呼びかけによって国内の分裂という、想像を絶するソ連側の一方的な圧力のもとで、日本側松本全権がよく耐え続けた末、締結されたものでございます。
○武見敬三君 私はこの点はなかなか理解ができないところがございまして、これは松本全権時代の一時二島返還論の立場をとったかに見ゆるそういう内容があるがゆえに日本の外交文書でそのことを認めたくないんだというような認識があるのかもしれません。 しかしながら、実際にはロンドンの。
そして、松本全権が書いている「モスクワにかける虹の橋」ですか、あれは私は史実に基づいて、資料に基づいて書いていると指摘をしてまいりました。全く同じ内容が発表になったのですね。北方領土に関する問題もアメリカの見識がはっきり示されておるわけです。これは否定すべくもないのでしょう。いかがでしょうか。
例えば松本・グロムイコ書簡なんかを見ておりますと、領土問題については当時のグロムイコ次官から松本全権に対して、ソ連邦政府は、上記の日本国政府の見解を了承し、両国間の正常な外交関係が再開せられた後、領土問題をも含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意することを言明しますと、こういうこともあったわけでありますし、その後の共同宣言、さらにフルシチョフ書簡とか、また田中・ブレジネフ共同声明といったような
こういう回答をしたということが松本全権の著書に書いてあるんだけれども、こういう回答がアメリカからあったことはお認めになりますか。
私はそういう意味で、どのように検討しても、アメリカのいわゆる見解というものは、松本全権がロンドン交渉をやるに当たって照会をした。これに対するアメリカ国務省のメモランダムが、初めてこのことの見解を正式に示した。しかもその後、注意深く、歴史的な検討の結果とここに至言っておるのでありますから、だから当時の認識はどういう認識であったかということについては、これは私の見解の方が正しいと思うのであります。
そこで、一九五六年は松本全権か参りましてロンドンなりモスコーなりで集中的にやりました。条約交渉を領土を含めてやったわけです。今外務省にあの五六年当時のような集中的な、領土問題を含む平和条約交渉をやる計画があるのですか、ないのですか。
というその松本全権の手紙を引用いたしまして、「これに関連して本次官は、ソヴィエト社会主義共和国連邦政府の委任により、次のとおり申し述べる光栄を有します。すなわち、ソヴィエト政府は、前記の日本国政府の見解を了承し、両国間の正常な外交関係が再開された後、領土問題をも含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意することを言明します。」こういうふうに外務次官から正式の返事が来ておるわけであります。
実際、日本政府がこの新解釈について、一九五五年十月に関係各国に問い合わせを行ったとき、イギリスやフランスからさえ新解釈への支持を得られなかったことは、当時、対ソ交渉の任に当たった松本全権が公表しているところであります。 私は、領土問題の成功的解決のために、二つの問題を提起したいと思います。
それからまた、日ソ交渉もロンドンの松本全権の交渉に始まり、最後には田中元総理のブレジネフとの交渉に至るまで全部の交渉に参加いたしましたこともございまして、日ソ関係につきましては現在も非常に関心を持っておるわけでございます。
私は共同宣言の話を何回も持ち出しまして、松本全権からグロムイコ——当時のあれは外務省の第一外務次官でございましたか——あての書簡が出、それに対してグロムイコさんから領土問題——国後、択捉を含めた——歯舞、色丹は平和条約ができると同時に引き渡すということでございまして、あとは国後、択捉も含めた領土問題も協議をしていくという、交換した書簡があるわけでございまして、グロムイコさんあなたは一番知っているんだということで
第一次ロンドン交渉で松本全権に政府が言わしたわけですけれども、当時、この問題でアメリカ、イギリス、フランス三国に政府は見解を打診していますが、その内容を答えてください。
○宮澤政府委員 ただいまお尋ねの松本・グロムイコ書簡と言われますものは、日ソ共同宣言によりまして日ソ間に国交を回復いたしますときに松本全権とグロムイコ外務次官、当時の外務次官でございますが、との間に交わされました書簡でございまして、この中に「日本国政府は、領土問題を含む平和条約締結に関する交渉は両国間の正常な外交関係の再開後に継続せられるものと了解するものであります。」
それから、その平和条約の際に松本全権とグロムイコ外務大臣との間に交わされました書簡の中に、「日本国政府は、領土問題を含む平和条約締結に関する交渉は両国間の正常な外交関係の再開後に継続せられるものと了解するものであります。」という書簡を出しまして、グロムイコ外務大臣からそれに「同意することを言明します。」
それで日本側はその共同宣言、その際には、やはり松本・グロムイコ書簡というのがございまして、松本全権とグロムイコ外務大臣との間に交わされました書簡で、領土問題を含む平和条約の締結の交渉を共同宣言、国交回復の後に行うと、こういうことで合意をしたわけでございます。
ということを松本全権からグロムイコ外務次官に出しまして、これに対する返簡といたしましてグロムイコ外務次官から「両国間の正常な外交関係が再開された後、領土問題をも含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意することを言明します。」と書いてございます。
日ソ領土問題の交渉は古くは第一次のロンドン交渉、一九五五年六月から九月、松本・マリク会談、第二次のロンドン交渉、一九五六年一月から三月、同じく松本・マリク交渉、それから第一次モスクワ交渉が一九五六年七月、重光外相と松本全権、それから第二次モスクワ交渉は一九五六年十月、鳩山総理、河野農相、松本全権、それからソ連側がブルガーニン、フルシチョフ、このときにおいて河野農林大臣がイシコフ漁業大臣に対して、歯舞
当時、松本全権をしてロンドンにおいてマリク代表と交渉を行なわしてまいりました際にも、歯舞色丹の返還が可能という見通しがついてまいりますと、にかわに国後、択捉の返還要求を上乗りさせる、これが今日に至るまで領土問題の解決をむずかしくしているところの原因になっていると思うのでございまして、国後、択捉水域につきましても接岸操業を実現したいという政府の立場からいたしますならば、このようなわだちを踏まないようにすることが
そして、そのために領土問題に対するところの交渉は打ち切ったのではないということのために、わがほうの松本全権とソ連の第一外務次官であったグロムイコとの間に交換書簡ができたのでございまして、この領土問題は今後も継続して協議するということがその書簡にははっきり書かれておる。
また政府に対しこの党議にそってソ連側の意向を打診することを松本全権に命ずるよう要望することを決め、」、「新たに党議となった日ソ交渉方針は要旨つぎのとおり。」、「2ハボマイ、シコタンの即時返還3エトロフ、クナシリは条約発効後も両国間で引続き交渉する4その他の領土はサンフランシスコ条約の趣旨に反しないこと。」、これが朝日新聞の記事であります。これは昭和三十一年——一九五六年であります。