1953-05-19 第16回国会 参議院 本会議 第2号
去る昭和二十四年十一月、初代松平議長が突然逝去されましたあとを受けまして、不肖私が議長に選任されましたことは、誠に私にとりまして大きな光栄であつたのでございます。
去る昭和二十四年十一月、初代松平議長が突然逝去されましたあとを受けまして、不肖私が議長に選任されましたことは、誠に私にとりまして大きな光栄であつたのでございます。
○事務総長(近藤英明君) これはただ私の感じでございまして、第五国会においてかようなことは実は予期もしないのに、かくのごとく壇上と言いますか、雛壇とか全部占領され、そうして松平議長は身動きもならないし、小林総長も又身動きができなくなつて、私がやや小林さんよりも背が高いために先がよく見えるので、逆の側から入りまして、事務次長として総長故障のある場合として総長席に着いたという事態を体験いたしておりますので
その際に野党はこれを拒否したために、議運における延長は不可能となつたので、当時の松平議長は、議長職権による振鈴を鳴らして議場に入つたが、この暴挙を彈劾する正義派議員によつて(笑声)議長の登壇が不能になつた。(拍手)そこで副議長がこれに代つて登壇し、喧々ごうごうたるさなかに、二本の指を満場に示して、辛うじて二日間の会期延長をなし遂げた実例がございます。
二十四年九月再びCCSにオーデル氏を尋ねまして、PBXの解放について強く要望いたしまして、二時間余にわたる会談の後、日本には国会があるじやないか、国会へなぜ請願しないかという話になりましたので、全国の商工会議所書に檄を飛ばしまして、その同意書を得まして、そのPBXの解放の同意書をつけまして、衆議院幣原議長、参議院松平議長、電信電話復興審議会石川会長、電気通信省小澤大臣あて、それぞれ提出いたしました。
つきましては、一昨年松平参議院議長がお亡くなりになりました際、衆議院は特に院議を以ちまして松平議長に対しまして弔詞を贈呈いたされております。つきましては、参議院といたしましてもこの際故衆議院議長に対しまして弔詞を院議を以てお贈りいたされることが適当ではないかと存じまして、案文を一応御参考のために起草いたしましてお手許にお配りいたした次第であります。御協議をお願いいたします。
最近では御承知の通り参議院の松平議長が一昨年の十一月十四日に現職のままおなくなりになりまして、ただちに翌日御葬儀があつたのでありますが、これは参議院葬を行つております。
松平議長は参事に通告をしていなかつたが、直ちに私の動議に対して賛否を問われて賛成を得てこれは撤回したことがあるのです。議長は議員の発言を重視して頂かなければなりません。これは殊に議長に問うておるのです。全くこれは困る。精神の問題です。議長は動議提出の発言を重視して貰わなければいけない。これはあなたの心掛けの問題です。
梅原眞隆委員長は、病気で出られないようになつたところのあの参議院の経験、それから亡くなられましたけれども、松平議長の不信任案を出さなければならんように我々がなりました。甚だ残念でありますが、松平議長の間に我々の同僚の懲罰問題を議せなければならん、これを決定しなければならんことは、恐らく地下に在る松平議長は残念に思つておられると私は思うのです。而も吉田総理の先輩であります。
その招待は故松平議長に対してなされたと同じ意味の招待である。若し新議長が、その招待を承諾して、そして来られるならば、大変米国側としては欣快に堪えない次第である。というような意味のことでありました。わざわざそうやつて来て呉れたのであります。これに対して私は、その御招待は有難い。米国側の好意は十分にこれをアプリシェートする。
○事務総長(近藤英明君) 先般松平議長が亡くなられましたことにつきまして、法律に従いまして歳費一ケ年分を弔慰金として支出することになりましたが、これは予備金から支出することに御承認願いたいと思います。金額は月額四万円でございますから、四十八万円に相成る次第であります。
○議長(佐藤尚武君) 本日は故松平議長の参議院葬が行われますので、特に哀悼の意を表するため、これにて延会いたしたいと存じます。御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
葬儀委員の御意見もございまして、この文案を作成いたしましたにつきましては、前の議長に差し上げた松平議長の場合の例と、それから衆議院でその後おやりになつた例、それから現在までの他の一般の議員の例等を参考にいたしまして立案いたした次第であります。
午後二時五十六分散会 —————・————— ○本日の会議に付した事件 一、松平議長の逝去に関する件 一、議長の選挙 一、議長就職の挨拶 一、日程第一 国務大臣の演説に関する件(第六日)
松平議長は昨夕急逝されました。まことに痛惜哀悼の至りに堪えません。
○板谷順助君 松平議長が現職のまま倒れられましたことにつきましては、参議院葬を以て御送りすることが適当であると、かように思います。
○副議長(松嶋喜作君) マッカーサー元帥が、松平議長に対して、御懇篤な御弔辞がございましたので、今朝各党の代表の方とお諮りいたしまして、私から参議院を代表して、このマツカーサー元帥の御弔辞に対して謝意を表しにホイツトニー准将を訪ねて謝意を表しました。ホイツトニー准将は、まだ元帥は見えておられませんが、元帥が見えましたらその旨を篤と伝えますという非常に謹厳な模様で、親切にそう申されました。
これは松平議長も私もともに考えなければなりませんことで、その点行くとか行かぬということは言わずに、そのままになつておる次第でありますが、そのことだけを今日御報告申し上げておきたいと思います。
その後、閉会中におきまして、六月一日、二日、二十日、二十一日及び十月二十四日の五回に亘り委員会を開き、第六回国会に入りましては、十月二十八日に一応閉会中の継続審査に関する報告書を提出いたしましたが、更に委員会を開くこと二回、懇談会を開くこと二回に及びまして、その間、証人として議員淺岡信夫君、早川愼一君、矢野酉雄君及び北村一男君の四名を喚問いたし、又関係者といたしまして、松平議長、松嶋副議長、懲罰動議提出者草葉隆圓君
それからカニエ議員の他の一つの事犯は、議場内における騒擾事件即ち松平議長の職務執行に対する妨害でありまして、問題はカニエ議員が議長の股ぐらに飛び込んだかどうかという問題、この点を明白にいたして見たいと考えておるのであります。
中西君が本会議場に入りまして、小委員の補助員として登壇されたのは、一応納得ができるものと思いますが、あの当夜もうすでに時間も切迫いたしまして、小委員会の開催方を松平議長に要求いたしておつたのであります。
ただ板野君の場合、どの程度まで現実に松平議長の進行を阻止する原因となつたか、その原因となつたことは間違いないのでありまするが、どの程度その原因になつたかということは明白でないのであります。この点は板野君のために仕合せであるのであります。 以上の事実でございまして、これに対して如何なる懲罰を加うべきかという結論は、先程冒頭に述べました通り遠山委員の説と合致いたすのであります。
その登壇をした副議長の所へ行つて、なぜ小委員会を開かないで議事を開くのかということを交渉されるということは時間的に非常に遅いような感じがするのですが、その点について疑問を生じたものですから、もつと早くこの松平議長が入られんとされる当時にもうすでに行かれて交渉されんとしておつたのではないかということについてもう一度お聽して見たい。
○矢野證人 板野君はとにかく議院運営委員会の際は、例の國会法の緑色の厚い本を持つて、とに角二十回も三十回もテーブルを叩いて委員長に迫つておつたあの意氣で、とに角議長のところに駈付けて來ていわゆる松平議長の折衝がうまくいかんので、副議長が議長席に著かんとするやこちらに來てあそこのテーブルを何して、不都合だという意味だつたのじやないかと思います。盛んに大きい声で叩いておりました。
その写真によりますと、松平議長の前に守衞がおつて、守衞の前に白いところのシヤツですかな……を着たような小つちやい人がいて、その向うに淺岡さんがおられて、その小さい人と全くくつついておる写眞があるのですが、これは誰ですか。一つ写眞によつて分りましたら教えて頂きたいと思います。
○遠山丙市君 ちよつと最後に証人にお尋ねいたしますが、松平議長さんが入つておいでになつて、その前面に多数の議員が一つの塊になつて、從つてそれがためにも行かれなかつたとこう仰せられたのでありますが、その一團をなしている形、これは草葉議員は何かスクラムを組んでいるというようなことを言われた、そういう形は、そのときどういう工合に御覽になりましたか。
○岩木哲夫君 松平議長のことですよ。