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1537件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2018-02-16 第196回国会 衆議院 財務金融委員会 第2号

加えて、もう一つ、私どもの場合は、今、北朝鮮を始め我々を取り巻く環境というのは、昭和三十三年代の、あの朝鮮事変が終わったあのころとは全然違っておりますし、今、そういった意味ではいろいろなことを私どもは考えないかぬので、これだけやればいいというようなものではありませんし、経済成長がずっといっているという時代でもありませんので、そこらのところのバランス感覚、そういったものが物すごく大事なことを要求されるのに

麻生太郎

2008-10-14 第170回国会 参議院 予算委員会 第3号

内閣総理大臣麻生太郎君) 御存じのように、あのときは朝鮮事変です。もう朝鮮事変以後に生まれられた方の方が国会議員も多い、そういう時代になっておりますけれども、あの辺は朝鮮事変勃発でありまして、御記憶のように東京ではもう動乱景気でえらく景気の良かった時代でしたけれども、我々、小倉やら門司ではまだ敵機来襲空襲警報灯火管制なんていうのは昭和二十五年はやっておりましたから、二十六年ぐらいは。

麻生太郎

2007-06-28 第166回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

国務大臣麻生太郎君) 四か国の話は朝鮮事変にさかのぼりますので、昭和二十七年と六年、ここらぐらいまでにさかのぼって、休戦協定というものがずっとそのまま継続した状況になっていますので、あの当時、表向きは北朝鮮韓国、裏は中国とアメリカというような形でしたので、その四者でという話を考えておられるのかなと。それが何でこの時期かなと、いろんなことを考えてはおりますけれども。  

麻生太郎

2007-04-25 第166回国会 衆議院 外務委員会 第8号

麻生国務大臣 ジェネラル・リッジウェーの昭和二十七年のころの状況というのは、御存じのように朝鮮事変等々の時代でもあります。それからかれこれ五十何年間がたったことになるんです。  先生、今何となく、一九九〇年をもって、当時のいわゆる朝鮮事変勃発のときは米ソ対立が非常に顕著になった時代、今はそれが終えんして二極が崩壊した時代時代背景が大きく変わったというのは事実だと存じます。

麻生太郎

2006-12-20 第165回国会 衆議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 第7号

少なくとも、我々の周辺というものは、過去六十年間、朝鮮事変を除いて、いわゆる紛争とかいろいろな激しかったことというのは、幸いにして、直接影響を受けるようなことがなかったという状況が続いておりましたために非常な恩恵をこうむったことは事実であろうと存じます。  

麻生太郎

2006-06-02 第164回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

ただ、両方とも、拉致問題解決しないと、何となく朝鮮事変以来の話としてわだかまっている部分も含めまして、いろいろ韓国の御年配の方々含めてお話を直接伺うと、この拉致の問題というのは結構引っ掛かっている部分だというのは私どももいろんな会話で感じているところでありますので、被害者の帰国を願うという気持ちに関しましては双方双方というのは日本韓国に差はないと私は基本的にそう思っております。  

麻生太郎

2006-05-26 第164回国会 衆議院 外務委員会 第17号

麻生国務大臣 一九五一年にいわゆる講和条約が結ばれ日米安全保障条約が結ばれた当時は、朝鮮事変勃発というのが一番大きな条件、もう先生が生まれる前の話ですけれども朝鮮事変勃発というのと同時に、いわゆる冷戦という名の戦争が明らかになった、二極構造も明らかになったというのがあの時代、サインをした時代だと存じます。  

麻生太郎

2006-05-16 第164回国会 参議院 外交防衛委員会 第17号

加えて、少なくとも朝鮮事変以降というべきか、韓国というのになって、いわゆる民主主義自由主義経済市場経済等々、基本的な価値観ということに関しましても、法の支配ということに関しましても価値観を共有しております。アメリカとの間の同盟関係があるというのに関しても日本韓国は同じでありまして、いわゆる密接な関係にあると思っております。  

麻生太郎

2006-05-16 第164回国会 参議院 外交防衛委員会 第17号

そのときには、当時の状況朝鮮事変が終わった直後でもありますし、そんなに日本としては状況が良かったかといえば、日本を取り巻く状況は決して良くはありませんでした。一九四九年には、御存じのように、中華人民共和国と中華民国というようなことにもなりましたし、取り巻く環境は極めて厳しい状況にあったと存じます。  

麻生太郎

2006-02-16 第164回国会 衆議院 予算委員会 第13号

今、どのような国づくりを目指しているのかというこれからのお話を聞いておられるのだろうと思うんですが、敗戦をしました今から六十年前というものは、いわゆる冷戦という戦争が新たに始まる直前、昭和二十五年に朝鮮事変ですから、それから冷戦が始まるわけですけれども、そういった時代と、冷戦構造が終わった今の時代と、大きく社会環境は変わった。

麻生太郎

2004-11-18 第161回国会 衆議院 憲法調査会公聴会 第2号

そして、日本が戦後、非常に早く復活したのは日本の勤勉のせいだとかそういうふうなことを言っているんですが、そうではなくて、聖路加病院が接収された、病院にはすぐに始まったあの朝鮮事変の傷兵が入院して、そしてケアをされていた。その後、ベトナム戦争が起こった。そのための兵器はどこでつくられたか。

日野原重明

2003-01-30 第156回国会 衆議院 憲法調査会 第1号

もちろん、憲法にうたいます日本平和主義が、世界各国から認められ、評価されてきたということはございますけれども、例えば朝鮮事変のときに、実は国連軍韓国軍が、南進してきました北朝鮮軍に対しまして大変な犠牲を払いながら抵抗いたしまして、実は、釜山で食いとめて反撃に入ったということで、我が国に上陸し、戦火が及ぶことを防いでくれたという事実を、私は忘れることはできないのでございます。  

葉梨信行

2001-12-04 第153回国会 参議院 外交防衛委員会 第12号

西村さんは、軍事的協力義務は留保することということを明確にしたものであるというようなことを憲法調査会ではおっしゃっておられて、あるいは逆に下田条約局長は、そういうことで留保というようなことは考えていないというようなことをここで、その後において、条約局長となった下田武三参考人はその後、朝鮮事変の際も現実に軍事的措置に参加した加盟国は極めて少数であり、しかもそれら以外の加盟国は憲章上の義務に反するものではないという

津野修