2021-04-14 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第11号
それだけではなくて、この大井川流域には、日清であるとかスズキであるとか、非常に大きな大工場が進出しております。また、お茶であるとか水田であるとか、いろいろな農業用水にも使われている、極めて大事な、静岡県にとっては大変大事な水源となる川でございます。
それだけではなくて、この大井川流域には、日清であるとかスズキであるとか、非常に大きな大工場が進出しております。また、お茶であるとか水田であるとか、いろいろな農業用水にも使われている、極めて大事な、静岡県にとっては大変大事な水源となる川でございます。
それで、役所も辞めてぶらぶらしていたときに児玉源太郎に呼ばれて、日清戦争が終わって二十三万人の将兵が中国大陸から戻ってくる、この二十三万人の将兵の検疫をしなければならない、その責任者になってくれないかということを頼まれるんです。 当時、検疫だとか何だとかといううるさいことをやるのは、陸軍の将兵が戻ってくるわけですから、森鴎外だったんですよね。
かつて揮発油税が創設されたのは、それこそ日清、日露戦争の戦費調達由来だったと国税庁の物の本によく書いてあります。途中、戦争を挟み、戦後の昭和二十四年に現在のガソリン税の形になっていくんですけれども、私の理解では、このガソリン税の変遷というのは、財政物資的に課税した時代、つまり、たばこ税的な課税であった時代もあったんじゃないか。
例えば、後藤新平が、スペイン風邪よりも前ですが、日清戦争から帰ってくるときや何かは、あれをつくるとか、防疫システムですよね。 それで、二十一世紀に入りまして、これが今回、先ほどのエピセンター制圧という格好で、東アジアで出てきている劇的に変わっているやり方がある。要するに、一つは膨大検査を前提にする。
これは、豊臣秀吉が朝鮮出兵するに当たりまして、ちょうど九州のあたりに駐留していた兵士が行く前に釣りをして食中毒を起こしていた、戦いの前に死ぬのはどういうことだということで禁食令を出して、それが江戸時代ずっと続いたんですが、初代総理大臣の伊藤博文がこれを解禁する、そしてその第一号店が春帆楼でありまして、そこで日清講和条約が結ばれております。
隣の滋賀県とか各地で製造されているわけでございますけれども、日清食品の創業者である安藤百福氏の自宅は池田にありまして、朝ドラでもしていた内容で、朝ドラを見られた方はよくわかっていらっしゃると思うんですけれども、世界で初めてインスタントラーメンであるチキンラーメンが生み出された場所ということでございます。
配付資料でお配りしたのは、ある検事総長ですけれども、この方は、退職されてから半年後ぐらいにはもうワタキューセイモアという会社の特別顧問になったり、日清医療食品株式会社の特別顧問になったり、そして一年後には日本郵政株式会社の社外取締役に就任する。
であればこそ、白村江の戦いから日清戦争、日露戦争、韓国併合に至るまで、こういうことがあったわけでございます。 韓国がやはり隣国であるという地理は変わりませんし、先ほどの我が党からの質疑でもありましたように、やはり人口減少をしていく日本の国力、これを無駄に割くべきではないという観点からも、私はこれ以上の日韓関係の悪化を防ぐことは必要だと思います。
その中には日清、日露戦争も入っているし、日米戦争も入っているんですけれども。 その中国の現在の台頭ぶりというのは、その十六回の中でもすごいもので、十七回目ですね、十七回目が果たして平和的に収められるか、結局は戦争になるか、これ非常に深刻な問題。本人たちだけじゃなくて、前線にある日本にも火の粉はもう必ず一番ひどく掛かるかもしれないですし、人類史にとっても大変なことなんです。これをどうするか。
過去、いろいろちょっと調べていただいたんですけれども、一度だけなんですけれども、東京以外で国会を召集していることも実はあったりしているわけでございまして、いつかといいますと、日清戦争中、大分昔なんですけれども、第七回帝国議会、これは、天皇の国事行為によりまして、広島において国会を召集するということで、東京以外のところでも実は国会が召集されているという事実もあるわけでございます。
そこに、明治期には、日清戦争後から本格化してきた基本産業の育成政策の観点から、当時、発展的であった新しい漁業、定置網、養殖業、この漁場の中に一定程度の大きさの網が入ったわけです。そうなれば、ほかの人たちは漁業を結局できなくなってしまうわけですし、その歴史の中で、今、共同漁業権の中に、区画漁業権があり、養殖漁業権があるわけです。
明治に漁業法が初めて定められて以降、日清戦争後の産業振興策の中で、外部から大型資本の参入を政府が奨励することで、共同であるはずの漁場に新たな争いの種が生まれました。
私はそれを全否定はしませんけれども、もう一方で、その近代化を成し遂げると同時に、日清、日露、第一次大戦、第二次大戦、その間に韓国、朝鮮半島の併合、それから中国への侵略、アジアへの侵略というような、その歴史も明らかに明治以降あるわけですよね。
このパネル、今御覧になっているパネルでありますが、これは、日清戦争の軍役夫、適切でない表現があるかもしれませんけれども、これは墓地を管理しているところが使っている表現ですのでお許しいただきたいと思います。つまり、馬丁や職工等、民間人の墓。戦死した軍役夫は靖国神社に祭られる一方、病死者は記録もされなかったようです。しかし、この真田山墓地には戦病死した多くの軍役夫も眠っております。
○川田龍平君 次に、四月に日清シスコが、グラノーラや四種の彩り果実などのシリアル食品から農薬が検出されたとして三十万パック以上の自主回収を決めました。原料の豪州産大麦から基準値の五倍のアゾキシストロビンが検出されたとのことです。原因究明と再発予防の取組を伺います。 また、昨年、ドイツや韓国で発生した卵の回収騒ぎの原因となった化学物質フィプロニルについても伺います。
いずれにせよ、社会環境というのが、明治の四十年といいますのは、日清戦争、日露戦争が終わったのが明治の三十八年でございます。その二年後にできて、不平等条約の是正、これがやっと成り立ったのもペリーが来て日米修好通商条約を結んでから五十七年後だったですか、その明治四十年になって初めて関税自主権あるいは治外法権、こういうのがやっと是正されるというようになった。
その後、またケニアにも参りましたが、今、本田技研や日清食品などが企業進出、インフラ整備事業などに関わると認識していますが、一つ、野生動物保護に関する投資というのはないんでしょうか。
御存じのとおり、日本は、サンフランシスコ平和条約第二条の規定により、日本が日清戦争によって中国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島の領有権を放棄しましたけれども、尖閣諸島は、ここに言う台湾及び澎湖諸島には含まれていないということであります。
この七十一年間に、十五回の出兵、それから、日清、日露、日中、太平洋戦争と、四回の戦争が行われています。 教育勅語が一八九〇年ですよね。そこからずっと、日本の歴史というのは、これは、出兵した記録と、それから表現の自由をいかに取り締まってきたかというようなこと、あるいは起きたテロとかクーデターとかいうようなことをまとめて私がつくった年表でございます。
もうほとんど、チベットからウイグルから内蒙古から歩いておりますが、その歩く過程におきまして、やはり日清戦争以来、百二十年たっていますけど、その間の日中関係の文芸評論集というのが最近出まして、岩波書店から。
それは、もう一つは少子化とか高齢化とか、そういったものがあるわけでありまして、今言われた明治時代はむしろ、あれはたしか日清戦争の後か前かだったと思いますが、国力が伸びているときでありました。今はそういう社会的なトレンドがちょっと違うということが一つ。 それからもう一つは、やっぱりあの当時はその地域で、自給自足といったらなんですが、まとまった経済だったと思います。