運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
333件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2017-04-13 第193回国会 参議院 内閣委員会 第4号

資料の七枚目、御覧いただきますと、日本発送電株式会社、現在の九電になりますが、ここからレッドパージされた被害者藤江忠太郎さんの遺族の総理宛ての手紙があります。何の理由も示されずに解雇された父だけではなく、母はもちろん、家族の生活は激変し、父、母は生活の糧を得るために郷里の壱岐に帰り、地域の視線に耐えながら慣れない農業や雑貨店などを営み、子供たちレッドパージに向き合わざるを得なくなった。

仁比聡平

2003-06-05 第156回国会 参議院 経済産業委員会 第21号

戦前日本発送電という会社がございまして送電網全国一社で造ってあったわけです。発電についてはそこが最初六割ぐらい持って、配電は別会社になる、民間でやると。この体制、戦後についてこれを維持するか否かについては大変な議論があったわけですが、あそこでは必ずしもうまくいかなかったということを、一度歴史を振り返って十分見ておく必要があるというふうに思っております。

植草益

2001-06-04 第151回国会 参議院 決算委員会 第3号

日本では、かつて発送配電を分けて、日本発送電という会社をつくって、国営会社でもって一括して、あとは地域ごと配電会社があって、いわば分断をした経過がありますが、お互いに無責任になっちゃって失敗をしたということが、痛い目に遭ったので、今の発送配電の純粋な民間会社にしたというのが日本経過であったかと思います。  

加納時男

2001-03-22 第151回国会 参議院 経済産業委員会 第3号

しかし、そのアンバンドリングというのが新しい設備意欲を衰えさせていることは間違いないわけでありまして、こういった発送配電日本では分断した日本発送電配電会社の大失敗教訓として、アメリカに先駆けて行ったアンバンドリング日本歴史的教訓としてとらえて、今の発送配電の一貫した安定供給前提とした、環境対策前提とした一貫経営でやってきたということも事実であります。

加納時男

1999-05-13 第145回国会 参議院 経済・産業委員会 第11号

国務大臣与謝野馨君) 実は、戦後できました九電力体制の中での物の考え方というのは、戦前から戦後に移りましたのは、戦前戦時経済下で、日本発送電という、発電送電全国一律に独占した、日発と我々は呼んでおりますが、そういう会社がございました。それから、今と同じ供給範囲配電会社というのがあって、例えば関西電力はたしか関西配電という会社であったと思います。  

与謝野馨

1999-04-20 第145回国会 衆議院 商工委員会 第10号

与謝野国務大臣 ちょうど昭和二十年にどういう体制電力が供給されていたかということになりますと、そのころは日本発送電という一社体制発電送電をやっておりました。もちろん地区では、例えば関東配電とか、あるいは大阪は関西配電配電をやっていたわけでございます。その後、日本発送電が持っておりました発電施設等を九社に分割いたしまして、今の体制がスタートしたわけでございます。

与謝野馨

1997-04-10 第140回国会 参議院 商工委員会 第9号

そのときは、日本発送電という発送電一貫国策会社、それから地区配電会社、これをつきまぜまして九つの発送配電一貫の今のシステムをつくったわけでございます。  その後、ごうごうたる非難を浴びながら電気料金を三倍にし、そして当時は気違いであると言われた七千七百億の電源開発計画を遂行しまして、それで電力についてはおおむね不便のない体制ができたというふうに思っております。

小島慶三

1986-10-20 第107回国会 衆議院 日本国有鉄道改革に関する特別委員会 第7号

そういう意味で考えてみますと、電力も過去に日本発送電というのがございまして、これが民営化し、九分割された経験を持っております。そのときに、今論議されておるような鉄道と似たり寄ったりかもわかりませんが、ある意味九州は悪い条件地域をもらったような気がいたします。二、三例を申し上げますと、全国の離島の六割以上は九州にございます。

鷲頭康義

1986-04-16 第104回国会 衆議院 商工委員会 第12号

電源開発株式会社文字どおり国策会社であるわけでございまして、もともと三十五年前までは、今の九電力会社が統合された日本発送電株式会社であったと思うわけであります。これが独禁法によって今日の電力会社ができておるわけでございますが、もともとこのような地域独占の企業であったといたしましても、公共性公益性というものを見逃すことができないわけであります。

和田貞夫

1986-02-08 第104回国会 衆議院 予算委員会 第6号

その上に日本発送電株式会社というのができたのですね。この発送電株式会社をどうして解体するかというのが大変な論議になった。私もその経過を知るために、ここに膨大な本があるのですが、これが電気事業再編成の歴史なんです。松永安左エ門とか小坂徳三郎さんのお父さんとか、これはもう大議論していますよ、そのときの速記録を見ると。  

多賀谷真稔

1985-06-19 第102回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第7号

それから電力日本発送電という会社ができて、それが九分割された。こういういわば需要業界炭鉱とが密着していないというところに、先ほど野呂さんが言っておりましたように、日本石炭というのは地質上見ると石炭紀石炭ではないのだ、新しい時代の石炭だから災害も多いし、断層も多いし、非常に困難だという話。そのほかにもう一つの特徴は、欧州に比べてそれが特徴なんですが、まさに炭鉱は裸なんです。

多賀谷真稔

1984-05-09 第101回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第6号

電力も部分的に持っておったけれども、日本発送電ができて分断された。炭鉱は裸である。こういう状態の中で、普通の各国の資本主義の中における炭鉱と違うんですよ、日本炭鉱というのは。需要業界と全然関係のない、単独の炭鉱だけを経営しておる会社ができておるわけです。そういう点に一つ問題があるんですよ。  今日の鉱害だってそうでしょう。

多賀谷真稔

1984-03-12 第101回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第2号

しかし、昭和十五年に日本発送電つまり国策会社ということでこれが国家管理的な性格を持つものに統制されまして以来は、いわゆる第二期と私はこれを申し上げている。これは戦争期でありまして、統制が厳しくされ、したがって電気事業独占でございました。これは戦時体制の中に組み込まれたわけでありまして、総動員法がやがては発令され、そして戦力としての電気事業ということになってくるわけであります。

滝沢幸助

1983-04-13 第98回国会 衆議院 運輸委員会 第9号

いま国鉄改革は本当に焦眉の急でございまして、日本発送電のときには、公益事業委員会が設置されたのが二十五年十二月、そして九分割が実施されたのが二十六年五月、五カ月でやっております。四年間というのは余りにも悠長だと私は思いますが、総理は、これを早めてでも体制整備を完了する御覚悟で臨まれるお気持ちかどうか、お伺いしておきます。

中馬弘毅