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180件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2006-05-19 第164回国会 衆議院 外務委員会 第16号

それは日本はやったから、一九七二年、日中条約締結のときは、それまであった日華条約を、中華民国の方に瑕疵一つもなかったけれども一方的に破棄した、事実でしょう。したがって、条約というのは、一方に瑕疵がなくても片方から一方的に破られる可能性があるというのは、我々が破った経験があるから、少なくともそれは、こちらも破られる可能性があるというぐらいのことは常に心しておかねばならない。  

麻生太郎

2006-04-12 第164回国会 衆議院 外務委員会 第10号

しかし、日中条約を結んだときに、日華条約というのは中華民国側には全く瑕疵がないにもかかわらず一方的に破棄していますので、そういった意味では、歴史というのは幾らでも拾っていけばそういう歴史は出てきますので、私どもとしては、こういった条約、同盟というものは、結んだら、その結んだものを、少なくとも、日本国益側に立って効果あらしめるためには、やはり向こうにもこれを結んでおいた方がいいですよと思わせる努力というのは

麻生太郎

2006-03-09 第164回国会 参議院 予算委員会 第8号

ただ、御存じのように、一九七二年の日中条約というのに基づいて一国として私ども、いうことを申し上げてきておりますんで、その範囲の中で、私どもとしては今後ともできる限りきちんとした両国間の関係は維持されて、両国と言うとまたおっしゃるように問題になるのかもしれませんけど、日本台湾との関係というものに関しましてはいろんな形で、現実問題として多くの台湾の方が日本におられ、犯罪発生率は多分一番多いところで一番少

麻生太郎

2006-03-09 第164回国会 参議院 予算委員会 第8号

岡田直樹君 今の日中条約もありまして、外務省ではアジア太平洋局中国課台湾班ということになっております。台湾班の人数は二人しかいないそうであります。大変難しいこととは思いますけれども台湾班台湾班でいいんですけれども、これを中国課から外してアジア太平洋州局の直轄にするということは無理でしょうか。

岡田直樹

2006-02-24 第164回国会 衆議院 外務委員会 第2号

それから、中国に関しましても、日中条約ができた、一九七二年この方で見ますと、日本経済関係というのは、香港を含んでおりますけれども貿易総量アメリカを上回るというところまで来ております。そういった意味では、中国経済というのが大きく伸びておりますのは大変いいことだと私どもは思っております。

麻生太郎

2005-04-25 第162回国会 衆議院 決算行政監視委員会第一分科会 第1号

中山(泰)分科員 では、私のスピークアウトが余りよくなかったようなので、もう一度繰り返させていただきますが、要は、戦後、今の歴史的経緯の中で日中条約というものを結んだわけでございますが、しかしその後、要は、私たちのような戦争を知らない世代はこういった歴史を教科書でしか学ばないわけですけれども、今現在、いろいろな反日デモとかそういった中国の国内の動向を見ておりますと、本当に中日条約友好条約というのが

中山泰秀

2002-11-14 第155回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第1号

私は、それでは自分がやめて、自分の選挙区の共産党さんに投票した方がいいんじゃないか、こう思いましたので、私は最後まで日中条約に反対をいたしました。外務委員会で私一人、たった一人で反対しました。当時の大平幹事長のところへ行ったら、私のおやじが前日に死んだわけでございまして、お父さん死んで大変だったね、またあしたから頑張ってねと。きっと除名されると思ったら、除名もされませんでした。  

中山正暉

2002-05-23 第154回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第4号

日中条約のころのことなんですが、日中条約というのは、御承知のように、一九五二年から日本中華民国との平和条約がありました。これは、一九七二年、廃棄されるときに、大平外相記者会見で廃棄したんですね。これは永久条約で、期限がなかった。私はそのときに非常に疑問に思って、一秒間の国会審議にもかけずに永久条約を廃棄するとはどういうことかと疑問に思いました。  

中山正暉

2002-02-14 第154回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第1号

私は、日中条約国会に提案されたとき、中国は二つあるのに何で一つを否定するんだろうと思って、外務委員会ではたった一人で反対しました。衆議院本会議に出席して反対したのは、中山正暉浜田幸一、林大幹、参議院で玉置和郎源田実、このたった五人でございました。二人死んで、二人やめましたから、私一人しか残っていません。

中山正暉

2000-11-27 第150回国会 参議院 憲法調査会 第2号

そうではなくて、日中条約ができたからなんですね。外交的な手段とそれによって生じるところの政治的状況が二国間関係というものにいかに決定的な影響を及ぼすかということです。脅威がなければ自衛の問題はかなりアカデミックな問題になる。  その次はソ連。そこでソ連が可能な脅威だったんですが、分解してしまってソ連がなくなって冷戦の終わりということになると、ソ連脅威というのはなくなりました。

加藤周一

2000-03-31 第147回国会 衆議院 建設委員会 第7号

とにかく、そういう意味で、航空行政の中で、特に成田は、私が当選いたしましたころ、四十四年、日中条約締結されたときに開港したみたいな、その日に管制塔にいわゆる過激派の連中が乱入して、下水から入って、そのまま、まだ成田は完成した空港として効用を果たしていないということを見ますと、先生のお話のように、もう米ソの対立もなくなったし、何が今ごろ過激派だという感じがするのでございますが、その意味で、それに対する

中山正暉

1999-03-31 第145回国会 衆議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第4号

中国側は、当然条約の中心に据えて、日中が共同してソ連覇権主義に立ち向かう姿勢を明らかにすべきだと主張をしますし、ソ連は、日中条約覇権を入れるのは、日本中国と同じようにソ連を敵視するもので、許容できない、許すことはできないと言い張って、中ソの谷間で困り果てました。

浅野勝人

1997-03-18 第140回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

私は、ちょうど日中条約締結直後の一九七九年から二年ほど北京におりました。逝去されました鄧小平さんが、深センを初めとする経済特区構想をちょうど打ち出したさなかでございました。それに対する大方の受けとめ方というのは、規制があり、そしてまた非常に官僚主義と言わざるを得ない共産中国においてそんなものができるかいと、おおむねまゆつばで見ていたわけであります。

三浦一水

1996-04-04 第136回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号

それは、日中条約はございますよ。ございますけれども、目をつぶれば事実がなくなるわけではないわけです。目をあけている限り、二千二百万の国民が直接大統領、プレジデントを選んだことは紛れもない事実でございます。そして、中共は一度たりとも台湾を実効支配したことはございません。

西村眞悟

1996-02-07 第136回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第1号

それで一つだけ聞きたいと思うのは、日本アメリカ台湾独立を支援している、これがあるから中国はこれだけ緊迫した状態になるんです、武力行使もあり得るよ、こう明確におっしゃったわけですけれども日本日中条約もありますし、現にそういう具体的な社会勢力、具体的な政治勢力あるいは政治姿勢、そういう点でも具体的に台湾独立を支援しているというものがどういう具体的な、何がしかの論文にある、なしというような話

板垣正

1992-03-11 第123回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

五十四年の日中平和友好条約交渉をめぐる覇権条項との関連の中で、突如尖閣諸島の帰属の問題が提起されてきて、中国側領有権を、領有を主張し始めた、そんなふうに記憶しておりまして、四十八年一月の大平周恩来のときも私は同行をしまして、それから日中条約園田外相にも私は同行をしたので記憶があるのですが、あれは当時の鄧小平副首席と、園田鄧小平会談の中で棚上げをするということで合意をした記憶があるわけです。

浅野勝人