2019-03-06 第198回国会 参議院 予算委員会 第5号
まさに与謝野晶子の弟さんは、旅順攻略戦、トーチカで固めた旅順に肉弾戦を行ったわけですが、当時の日本軍。まさに、そうした状況、それはもう身を捨てては打ち砕けるんだということを、砕くことができるんだということを明治天皇は言っております。 そのような歌を、安倍総理に伺いますが、よろしいですか、安倍総理に伺います。
まさに与謝野晶子の弟さんは、旅順攻略戦、トーチカで固めた旅順に肉弾戦を行ったわけですが、当時の日本軍。まさに、そうした状況、それはもう身を捨てては打ち砕けるんだということを、砕くことができるんだということを明治天皇は言っております。 そのような歌を、安倍総理に伺いますが、よろしいですか、安倍総理に伺います。
中国の潜水艦基地は、戦略型も含めて最初、黄海、北の方の海におったんですが、青島とか大連とか旅順とか、ああいうところに基地を持っていたんですが、黄海は浅い、浅いもので、潜水艦が行動するのに制約があるということでこの海南島に潜水艦基地を移しまして、今、戦略型のミサイル、ジン級潜水艦、SLBM、長距離弾道弾を約十二基、発射機を備えておる潜水艦が四隻配備されていると言われております。
そういう厳しい中でも、現場の監督の中に一人、日露戦争のときに旅順攻略で二百三高地を防備しておって、そして日本の乃木軍がしかばねを越えて次々次々やってくるその姿を見て、何というすばらしい日本の兵隊さんであろうかと。不幸にして私たちは捕虜になりましたと。もうこれだけの多くの方を殺したんだからとても生きることはできないだろうと思っておりましたところが、乃木将軍のおかげで四国の捕虜収容所に送られましたと。
県が悪いのか、国はそれに使えるお金としてやっているんだと言うんだけれども、県が上げてこないからというような話も聞くんですが、実際にやりたいと思っても、そういう予算が現場ではついていないということですから、これは国が県を指導するのか、あるいは関係団体の方から意見が上がってきていないと言うんだけれども、どうも私は、旅順と同じように、司令部の方針と現場の戦闘地での状況が異なっているんじゃないかと。
一九〇五年の一月二日には旅順が陥落をした。あるいは、その同じ年の五月の二十七日から二十八日にかけて、日本海海戦で日本の海軍が勝った。そういう事実をもとにして、同じ年の九月の五日に、ポーツマス条約で南樺太が我が国の領土になったということであります。
人によれば、この戦争によって初めて東洋人が西洋人に勝ったという議論もあるわけであって、さまざまな評価があるわけでありますが、この追悼ということも含め、私は、日露戦争で日露双方がおびただしい戦没者を出した結果になった旅順の陥落が来年の一月になるわけであります。
その四発の核兵器によって、ウラジオストク、釜山、旅順、大連というこの四つの町を先制攻撃でたたく。そうしますと、この四つの町は当然核汚染されてしまいますから、極東ソ連軍は、当面の間、そのウラジオ、釜山、旅順、大連を越えて先に進めないということになるわけでございます。
ついでですから、邦人保護と言っても外国がどう見るかということを今の問題として我々は念頭に置かなくちゃいかぬから言いますけれども、日清戦争は、朝鮮から清国兵を追っ払った後、中国領に入って、旅順では南京大虐殺の旅順版だということで最近問題になっている大虐殺をやった。これも当時の陸奥宗光外務大臣の「蹇蹇録」という本の中ではっきり認めて書いているところです。それも私は驚きましたね。
最近、私、明治時代の日露戦争の前後にかかわる本を改めて読んだのですけれども、この日露戦争では、まさに日本は、旅順でも、そして満州でも、そしてまた日本海の海戦においても、陸でも海でも連戦連勝してきたわけであります。
昨年十月七日に上がったとき前後にも、中国海軍は大規模演習を旅順沖ぐらいですか、そのあたりでしておった。上陸演習も含む海軍の演習をしておりました。これが海軍の演習なのです。そして、妙なことに、上陸する一カ月前に、海洋調査船が悠然と領海侵犯をして海洋調査を続けるわけです。去年は九月に海洋調査船の領海侵犯がありました、尖閣周辺で。
この九十九年という数字で言いますと、日本が中国から旅順や大連を含む中国東北地方の一部を取り上げたときも、九十九年この地域を日本に貸すということでありました。アメリカがキューバやフィリピンから軍事基地をとったときも、九十九年貸すというものでありました。
なぜ、今申し上げたことをお聞きしたかといいますと、近ごろ亡くなられた司馬遼太郎さんが「坂の上の雲」で、旅順要塞のやはり地下を掘っていくわけです、工兵隊が。そして、砲台の下で爆破するということを旅順要塞のときにやったというので、やはり工兵という以上はその能力はあるだろうと思って言ったわけですが、トライしてみなかったということはまあわかりました。
その革命外交の対象の中には日本が日露戦争で獲得した旅順、大連、遼東半島、関東州、それから満鉄そのものも対象になってきたのであります。 また、当時はブロック経済といいまして、各国がそれぞれの経済ブロックをつくっております。そして、大きな自給自足圏をつくっておったのであります。
日露戦争のときの旅順に引きこもった艦隊のようなものでありまして、アメリカ太平洋軍としてはこれは甚だ困った状況であろう。目標がなくなってしまった、目標の喪失という状況に直面している。 次いで政治的な命題としてのソ連の脅威というものが消滅していくならば、太平洋軍は今日のような形の前方展開戦略を維持していくことは恐らく数年のうちにできなくなってしまうだろうと思われます。
今、御紹介いたしました一文よりさらに時代をさかのぼって一九〇四年、明治三十七年に、与謝野晶子は「旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて」、かの有名な「君死にたまふことなかれ」を「明星」九月号に発表いたしました。余りにも有名な歌ですから御紹介は控えさせていただきたいと思います。
こちらの方としては、ソ連に抑留されて強制労働に携わった者に対して国の慰藉、こう素直に受けとめておるので、この地域にはソ連の管理地域も含むと、具体的には樺太全島、それと歯舞、色丹を含む千島列島の全域と、それからその当時ソ連の中国政府からの租借地でありました大連、ダルニーと旅順も含めていただきたい。旅順と大連を含めるという意味は次のようであります。
ところが、実際問題としては強制抑留があったのはこれ以外に、いわゆる千島列島で抑留されて戦後労働に服してある期間経過して帰国した人、それから二番目にはサハリン、昔樺太と呼んでいたあの地域で労働に服して帰国した人、それから当時ソ連の租借地であった大連、旅順、ここで労働に服した人、それからさらに強制抑留された人で現地で抑留期間中に死亡した人がいるわけでありますけれども、こういう人たちは今のこの法案では慰藉
そこで、ポツダム宣言後、五十数万人があの極寒のシベリアそして南樺太、千島、四つの島、さらには旅順、大連のような租借地、こういうところで、とてもじゃないけれども、語るに尽くせない強制労働をやらされた。これは何人かの本も出ておりますし、映画にもされておりますが、一体あれはどういう立場の人方だろうか。捕虜だろうか。俘虜という言葉が出ましたね。
時間がありませんので先に移りますが、そこで、この法案の内容の「地域」という中に例えば色丹、択捉というようなところが含まれるのか、あるいは旅順というようなところが含まれるのかどうか、この辺についてお伺いいたします。
また旅順につきましても、これは中国本土の地域かと思っておりますので、ここで言うソ連邦の地域とは違っている、入っていないというふうに考えております。
昔の話をして恐縮でございますけれども、乃木大将が旅順の要塞を攻めるときに、初めは旅順の正面の東鶏冠山とか磐竜山とかいう山を攻めて、そこから突破しようとしたわけですが、いつまでたっても落ちない。結局児玉源太郎がやってきまして、これは二〇三高地というところを攻めなければだめなんだと。それで二〇三高地をとったら旅順の要塞は全部落ちたわけでございますね。