2017-03-21 第193回国会 衆議院 総務委員会 第10号
この方が新聞記者時代に上司から怒られた、役所で不祥事が起きたときに、その役所で不祥事が起きたのはおまえのせいだ、新聞記者であるおまえのせいだ、つまり、ジャーナリストがちゃんと監視していないからこうなるんだということを上司から怒られたというエピソードがあるんです。
この方が新聞記者時代に上司から怒られた、役所で不祥事が起きたときに、その役所で不祥事が起きたのはおまえのせいだ、新聞記者であるおまえのせいだ、つまり、ジャーナリストがちゃんと監視していないからこうなるんだということを上司から怒られたというエピソードがあるんです。
実は、この衆議院財金で質問していたのは民進党の宮崎岳志議員でございますが、宮崎岳志議員は元々新聞記者でいらっしゃって、実はその新聞記者時代の体験を基に、そのやり取りの中でこういうふうにおっしゃっているんですね。 日本でも二十年くらい前には、確かに論文が通っていなくても博士課程修了というふうに書くということもあったやに記憶をしていますと。
私は、新聞記者時代、ある市の職員から、地方交付税制度は余りに複雑で、その全体像をわかる人は市役所にも県庁にも一人もおりませんと聞かされたことがあります。 先日、元総務大臣の片山善博さんにその点をお尋ねしました。すると、片山さんは、私にも全部はわかりません、誰にもわからないんじゃないでしょうかというふうにお答えになったのです。
現実に、例えば信用組合とか農協系の金融機関とかといいますと、過去にも、元本保証の高利回りの金融商品なんというものに投資をして、実際にそれが紙くず同然になってしまったなんというケースも、私も新聞記者時代に取材させていただいたことがあるんですけれども、でこぼこが生じてしまうわけです。
○松島国務大臣 旧姓を通称として使用しているわけでございますが、かねてより、結婚する前の松島という姓で社会生活を、私、この仕事につく前の新聞記者時代もそうやって署名記事を書いておりましたし、そしてまた、その後、政治の世界に進みまして、政治活動、さらに選挙においても松島みどりで立候補しております。そのため、現在も、仕事及び社会生活全般を松島みどりで行っております。
○国務大臣(谷垣禎一君) 山下議員が新聞記者時代、番記者として日々お付き合いをして、若くて張り切っておられたあなたの姿、よく記憶しております。今回、大変厳しい選挙の中を勝って、こうして参議院に出てこられた。大いに活躍を期待しているところでございます。 そして、選挙区のいろいろなお声をしょって諫早の問題について質問された。
国土交通行政に明るい大臣で非常に私たちも期待をしておりますし、前任の前田大臣も大変大きな判断を、あるいは決断を大変大きくされて国土交通行政の前進を図られたということで、羽田大臣におかれましても、様々な課題これからあるかもしれませんけれども、国益に立って判断をしていただければというふうに思いますし、私、個人的ですけれども、新聞記者時代にお父様に付いて全国を回っていたことがございまして、羽田番だったときがございます
あえて申し上げれば、この公的資金による救済というのは、私もかつて新聞記者時代に金融国会というのがございました。住専、住宅金融専門会社に対する救済というのがありましたけれども、今回は住専の問題とは全く事柄が違う。あれは基本的に放漫経営による問題でございました。そして、日本航空の再建というのも、ある意味で経営者の経営の問題に起因するものが大でございました。
もっと広く言えば、医療行政もそうでありますし、教育、そして広く見れば文化も、もし道州に強力な地方政府ができれば、私も新聞記者時代、青森支局なんかで勤めていたものでよく思うんですけれども、今、地デジで、地方のメディアが根こそぎやられてしまう中で、もし地方政府があれば、そこにある種の大きな核ができる。
私は新聞記者時代、二度北朝鮮を訪れ、当時北朝鮮が決して認めなかった拉致の存在を確信いたしました。横田めぐみさんが十三歳で拉致された新潟の現場に立ち、涙したこともあります。そのめぐみさんも今四十五歳になります。横田さんの御両親から北朝鮮に強い姿勢で臨むよう訴えられたこともあります。御家族もお年を召しました。一日も早く被害者のいのちを救わねばなりません。
化学産業というのは、私、実は昔、新聞記者時代に取材をしたことがありまして、当時から、出荷高は多いんだけれども、日本の化学産業というのは余り国際競争力がないと言われてきました。それぞれ企業が努力をして、再編を繰り返して、今何とか頑張っておるようでありますけれども、やはり基幹産業だと私は思っております。大変すそ野も広い。
○国務大臣(額賀福志郎君) 私は核家族で双子を育てましたので、当時、新聞記者時代で、夕刊が終わったらいったんうちへ帰って、ふろ入れて、それからまた出社をしたり、だから、お乳を飲ませたり、おむつを替えたりすることは得意ですよ。乳母車も、乗せてよく散歩に連れていったりすることも大いにやらせていただきました。
○額賀国務大臣 やはり、人生というのは百聞は一見にしかずでございますから、私も、新聞記者時代に兜倶楽部に二年間いたので何となく感覚はわかるのでありますけれども、財務省でも民間と交流を、各役所でもしているわけでありますから、そういう証券とか銀行とか金融関係の仕事に携わる人は、あるいは銀行とか証券とか市場のところに出向いていって勉強してくるとか、感覚を学んでくるとか、あるいは民間の人を役所に数年間置いて
私と河野議長とのつき合いは、新聞記者時代を含めて三十五年になります。ちょうど三十一年前の六月、河野洋平さんは、沈滞をし、硬直し、腐敗をきわめていた政治に、新たな政治刷新の志を持って新自由クラブを立党いたしました。
新聞記者時代もオートバイ関連の記事も書いたりいたしました。 最近のトレンドというものには自負を持っておりますけれども、オートバイ業界の方、そして私も一致した意見は、最近のトレンドというのは、やはり大まかには、走っていれば一番うるさいのは暴走族なんです。本当に、マフラーをとったり切ったり、もうどうしようもない。
もうちょっと店の方も開かれてきて、そして環境に対する取り組み、私も実は、大手のファストフード店等に電話をいたしまして、もう新聞記者時代のときのように広報の方でお話を聞いたりしますと、向こうにもいろいろな論理がありまして、普通容器にして洗うと熱を発して、そして、紙コップの場合は、もう紙コップでリサイクルを進めた方がいいんだなんという考えもあるそうでありますけれども、でも、私は、基本的には、こうした無駄
私、新聞記者時代、朗先生に御取材をしていたこともありまして、感慨深いものがあるわけでございます。 今の御指摘の点は、安全保障の問題でありますから、これは譲れない一線があるというふうに思っております。
新聞記者時代に経済記者をやっておったものですから、そのころ何冊か読ませていただきました。大変すばらしい著作がございますけれども、とりわけ、個別の産業について分析を伊丹先生がされておりまして、伊丹先生及び伊丹研究室で出された本の中に、さまざまな産業を分析されています。
雇用というものを確保することが企業にとって非常に大きなことであり、私は、新聞記者時代、非常に印象に残りましたことの一つに、三菱鉱業セメント、今は三菱マテリアルですが、この前身の会社が長崎県の高島炭鉱を閉山しました。
こういうことを、二十年前、私がまだ二十八歳の新聞記者時代に聞いたことをよく覚えているんです。つまり、上場企業と株式の非公開企業は明確に違うと。法律でこういう整備をしたというのは非常にいいなと思っております。 幾つか伺いたいと思います。