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43件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2016-04-27 第190回国会 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第9号

先ほど言いましたとおり、一つ国会で、通常国会、百五十日で数十件から百本近い案件を議論するんだといったような話を私の地元の皆さんに説明したり、あるいはまた、国会議員政策スタッフの数がどの程度かといったような話をしたりしますと、有権者の皆さんの中から、それは逢坂さん大変だね、そんなにやっているんだと。

逢坂誠二

2014-05-14 第186回国会 参議院 国の統治機構に関する調査会 第4号

ただ、この専門家は、政策スタッフというよりは、メディア対策といいますか、メディアにどのように政策を説明するかという、政策の言わばアカウンタビリティーを補完するという面が強いということでありまして、やはり政策に関してはもうマニフェストにかなり詳細に書き込んであることが前提ですので、それを見て各省も準備をしているということになっているということです。  

牧原出

2013-10-31 第185回国会 衆議院 国家安全保障に関する特別委員会 第4号

国会議員先生が一人で、政策スタッフ一人で、それで本当に法律なんかつくれるわけがないんです。  アメリカでは、何十人というスタッフがいます。それを、確かに予算の問題があるでしょうから問題なのかもしれないけれども、本当に立法府が行政府と対抗するような形でいい議論をするためには、やはり各議員方々、そして各委員会スタッフを充実させること、これが最低限必要だと思っています。

宮家邦彦

2010-05-27 第174回国会 参議院 内閣委員会 第7号

これは、公務員制度改革基本法のレベルでは戦略スタッフというふうな名前で書かれているわけでございますが、要するに政策スタッフで、特別職職員ということになろうかと思います。  さあ、そこで、これをだれがどのように任命するのかということになるわけでありますが、どのような人を任命するのかということになるわけでありますが、これは党の有能な職員の場合も当然のことながらあるでしょう。

仙谷由人

2008-05-23 第169回国会 衆議院 外務委員会 第16号

松原委員 アメリカの、個名はあえて差し控えますが、ある共和党の政策スタッフ、幹部であります、当然高村さんも個人的面識はあると思いますが、彼は、三〇%の可能性である、しかし、日本政府が、テロ支援国家指定アメリカは解除するなと言うならば、三〇%は限りなく〇%になるとワシントンで語っていたわけであります。  

松原仁

2007-12-05 第168回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

ところが、訪米したときに面会したローラバッカーという下院議員さんが直接ラントスさんの事務所に電話をかけて、そこでラントス事務所とつながって、その政策スタッフともうぎりぎりのところで何とか面談することができたというような経緯もありますので、本当に人脈づくりというのは大事なんだなと認識しました。

鷲尾英一郎

2007-05-08 第166回国会 衆議院 総務委員会 第18号

森本委員 私どもには政策スタッフ一名はいただいておりますし、そうした面から、たくさんのそうした優秀な方々がどううまく活用できるか、地方議会ともあわせて、ぜひ今後そうした方向に動いていけば非常にいいのかな、そのような思いもさせていただいております。  地方分権については、時間がございませんので、大変準備もしていただいておったと思うのですが、これで終わらせていただきますので、よろしくお願いします。

森本哲生

2005-08-01 第162回国会 参議院 郵政民営化に関する特別委員会 第11号

東大の教授で、内閣府の政策統括官でしたかね、やられておりまして、小泉内閣竹中大臣政策スタッフだった方です。で、今、日本銀行の副総裁でございますけれども。  この報告は私、是非皆さん読んでもらいたいなと思うんですけれども、これからの郵貯の在り方とか改革方向を提言したなかなかいい報告、提言でございます。  

大門実紀史

2005-02-28 第162回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第2号

御承知のように、アメリカの場合は議員政策スタッフというのはかなり影響力を持ってくるわけですね。ということで、その場において、日本アメリカをどのように見ているのか、そしてまたアメリカ京都議定書に戻るということを彼らにまで大臣である私が説得をしているというような状況でございます。  アメリカは、政権州政府、そしてまた議会、それぞれいろいろな主体がございます。

小池百合子

2005-02-10 第162回国会 衆議院 憲法調査会 第2号

これについては、やはり政策スタッフをもっと数をふやして、議員立法が可能な制度的な担保というか、それを設けていくべきであろうし、本来、与党も野党もともに政策決定、法案の提出に切磋琢磨して努力するという意味においては、官僚に依存するような今の内閣提案権前提にしたやり方というのはやはり再考慮されてしかるべきなのではないか、このように思います。  

辻惠

2004-11-19 第161回国会 参議院 憲法調査会二院制と参議院の在り方に関する小委員会 第2号

そういった意味から、私は、さっきの時間的な問題と、あと体力的な問題で、やっぱり本当に議員立法をやるのが参議院の、参議院というか国会のレーゾンデートルだと思っているんですけれども、それやるにしても、時間的な問題と体力的な問題ありますので、さっき言った政策スタッフの充実とか、あと審議時間の柔軟な対応によって議員立法をちゃんと可能にする時間の確保と、そういったことをやっぱり考えていく必要があるんじゃないかというふうに

富岡由紀夫

2004-11-19 第161回国会 参議院 憲法調査会二院制と参議院の在り方に関する小委員会 第2号

ただ、そのためには非常に膨大な労力が要りまして、具体的に政府政省令あるいは通達、告示等まで含めていろんな行政指導をやっていることについてきちんと情報収集して、それを指摘していくという、これは参議院議員にもそういう資格、あるいは忍耐まで含めてその活動に根気が求められますし、同時に、先ほどから申し上げているように政策スタッフを充実しないと、霞が関になかなか対抗できないという思いがいたします。  

松井孝治

2003-07-10 第156回国会 衆議院 憲法調査会統治機構のあり方に関する調査小委員会 第5号

ですから、落選をしても政策スタッフとして残っていくわけです。次のどなたかの先生に、私は外交の専門だと言って政策秘書になっていくわけですから。私は、この政策秘書制度というものを、これはそれこそ超党派でやっていくということが一番、議員活動がもっと強くできる道ではないかと。  これは各党協力がないと、また、お金がかかるとかという話になりますから、これは、私は皆さんの、各党の御協力をいただきたい。

伊藤公介

2003-07-10 第156回国会 衆議院 憲法調査会統治機構のあり方に関する調査小委員会 第5号

野党にとっては、シンクタンクもまた政策スタッフも少ないわけですから、大いにここが、ここの部分がもっとドラスチックに変わるべきだと思うんですね。実際に、調査室に頼んでいろいろ聞きましても、内容なんかは非常に役人の体質と似ているというか、細かいものを持ってくるわけなんですね、いろいろなものを。  ですから、先生、これはどういうふうにもっとわかりやすくした方がいいと思いますか、機能を。

武山百合子

2002-04-25 第154回国会 衆議院 予算委員会 第26号

それが、先ほど、どういうふうにやっているのかなというふうに思っていましたところ、三人のチームでやっていた、三人の専門的な人たちでさまざまな政策の検討をしていたということをお話しされたわけですけれども、そうすると、今の制度でいけば、三人分の政策スタッフを雇わなければならないということになるわけですけれども、それは恐らく、事務所経費なりあるいは政治資金のいろいろな状況からいって大変無理なんだろうというふうに

荒井聰

2002-02-13 第154回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第1号

私、実は二十数年前、政策スタッフしておりまして、一九八五年に、毎年見直しを行うローリングシステムによる中期経済計画並びにそれとの政策的連続性整合性を持った中期財政計画を早急に策定するよう提唱するということを、当時、民社党でございましたけれども政党政策に私が書かせていただいたことがございまして、それが今般、竹中大臣経済演説におきまして、「短期と長期、マクロ経済財政運営整合性を確保しつつ、中長期的

辻泰弘

2001-10-18 第153回国会 参議院 厚生労働委員会 第3号

私は、政治運動労働運動、また研究職などに生きてきた人間でございまして、二十数年前、当時、社会、公明、民社という予算修正減税要求等々の取り組みの中で、当時の坂口大臣大蔵部会長政審会長をされていたころ、後ろで政策スタッフとしてお会いさせていただいた人間でございまして、以来の先生の今日までのお姿を拝見させていただいておりまして、見詰めているものにそんなに大きな違いはないというふうに思うわけでございますが

辻泰弘

1999-12-08 第146回国会 衆議院 大蔵委員会 第8号

○上田(清)委員 私は、かつて新自由クラブという政党政策スタッフをやっておりましたときに、五十八年当時のサラ金の新自由クラブ案の大綱をつくった人間の一人でありますが、その当時のこともよく覚えております。当時、各党それぞれの案を出してまいりました。私ども、たしか五四・七五だったというような気がいたします。共産党が三〇ぐらいだったかしら。

上田清司