1982-02-26 第96回国会 衆議院 大蔵委員会 第6号
擬制資本というのは、現実に企業で機能している資本、これが現物形態であれ貨幣形態であれ、機能している資本とは別であって、株式が商品として売買される、そのことによって生ずるものでありますから、資本とは言えないのではないか。 事実、日本でもこれが課税されなくなったのは昭和二十四年だと思います。
擬制資本というのは、現実に企業で機能している資本、これが現物形態であれ貨幣形態であれ、機能している資本とは別であって、株式が商品として売買される、そのことによって生ずるものでありますから、資本とは言えないのではないか。 事実、日本でもこれが課税されなくなったのは昭和二十四年だと思います。
こういうふうな、いわゆる擬制資本というか、実体経済と離れた富や所得の増大という部分が非常に大きくなってきておるということは、これは非常に重大ではないかと私は考えるわけです。そしてそのことが、すなわちインフレの根源をなしておるのじゃないか。
不動産金融が、要するに地価というものは擬制資本だから、擬制資本が次から次と通貨増発になっていく、だから、どうしても不動産金融というものをここで徹底的に締めなければいかぬ、こういうことで西ドイツでは不動産金融の金融統制を、不動産金融というものはなるべく出さない、こういう方針で中央銀行がいまやっているのですね。これは異常事態ですから、総裁、もう常識で問題を考えていてもだめなんです。
同時に、あの四十年の予算委員会で、私は、いまのうちに土地騰貴を押えないと、これが擬制資本になって膨大化してくると言った。これが現に私の言ったとおりになっている。土地の暴騰が、これが企業資産のふくらましになり、そしてこれが銀行へ担保に入り、その土地評価で金を貸す。だからそういうふうな土地騰貴というものも、日本のインフレの根源になっているのです。だから四十年に、土地騰貴規制をやりなさいと言ったのです。
私は、この二つの擬制資本の膨張といいますか、株と土地、これについて企画庁は一体どのようにこれから取り組んでいく考えであるか、この覚悟のほどを聞きたいのです。
インフレ起動力は、擬制資本がこういうふうにインフレ起動力になっているのじゃないですか。しかも本年度の予算はこういう膨大な予算を組んで、一体これはいいのですか。まあ、日銀総裁もお見えになったから御意見も聞きたいが、これは大体、政府関係機関一切含めてみると、GNPの半分近くになると私は計算している。時間がないからこまかい推算はできないですけれどもね。政府の本予算が十四兆でしょう。財投が六兆でしょう。
○瀬川参考人 最近事業会社にふえているという事実は、これは昭和三十年から三十四、五年ぐらいまでは事業会社の持ち株というものはお互いに持ち合いして、その背後に銀行の借り入れ金があって、擬制資本であって、ほんとうの資本金ではないというふうな状態であったと思うのでございますが、この五、六年の間にかなり大きな蓄積ができまして、昭和四十年と四十六年を比較いたしますと、会社全体として純資産が倍にふえているというふうな
そうすると、いわゆる一般の株というものが、配当と利率との逆算から、その逆算による価格を中心として決定されておりますから、いま擬制資本といわれておる。ところが、埋め立てをする以前の土地を考えてごらんなさい、あるいは造成する以前の土地を考えてごらんなさい。そこには生産費あるいはコストというものは算用せられない。
といいますのは、土地というものは、先ほども申し上げましたように、株が擬制資本と呼ばれるように、擬制的な価格を持つものであります。したがって、これが擬制的な性格を持つから投機の対象になる。いわば土地の価格というものはフィクションであるということが言えると私は思う。そのフィクションである土地の価格をあなた方が地価公示法によって決定しようということには、ちょっと無理があるのではないか。
ただ、どうも株式の持ち合いの問題なんかも、私がどうも非常にふしぎでならないのは、事業会社同士で株式を持ち合っていることは擬制資本になっているにすぎないことでありますし、金融機関の中でも金融機関預け合いというようなことで仮装の預金残高が出たり、日本というのは非常にふかしぎなことをやる国だと思うのですけれども、そういう問題は、はたしてそういうことでいいのかどうか。
いわゆる擬制資本の蓄積というような形が土地所有の投機的なやり方、こういうものが非常に大きく影響している。これを私は地価対策の一つとしてこういうものを制限する、あるいは規制するという対策を政府が勇断をもってやらない限り、宅地をたくさん公共的につくって提供しますとか、何とかいったって、それ以前の問題として根本的な問題の解決にはならないです。
ということは、持ち合い株は、言うならば一個の擬制資本である、すなわち架空資本である。何もないものが、あたかもあるかのごとくにあらわれてまいっておるものである。
ほんとうにあるのなら、一番物価対策上の基本であるいまのこの擬制資本の問題に触れなければ独占価格は下がりっこありませんよ。これに触れないで、一番痛いところに触れないから、時間がかかる。それで、時間をかければ、結局インフレ的な形においてこれを処理していく。つまり、国民の犠牲においてこれを処理していくというよりなくなるのですよ。
この問題を解決する、ですから擬制資本が非常に多くなっちゃっているのです。擬制資本が終戦直後と同じような——終戦直後は御承知のようにこれとはちょっと事情が違いますけれども、設備は破壊されて借金はうんと残っちゃった。擬制資本がうんと残っちゃった。ところが借り入れ金というものは必ず金利がつくのです。われわれが持っている百円は購買力ですよ。ところが銀行に預けると金利がつくのですよ。
しかし、それは都市周辺に起こった一つの日本の今日の政府の土地政策に対する政策の欠陥からくる問題であるのであって、野放しに土地を放置して、今日のように擬制資本である土地をあたかも資本のごとく考えて、その間に所得倍増計画を進めてきた結果は、今日行き詰まりを来たしている、こういう政策上の誤りがあるわけであります。それをもってこの問題に対処するというのは、これはおかしい。
そうすると、二兆円にいって、要するに擬制資本であるところの先ほどの土地価格の増大ですね。特に公共事業費は、都市なんかでは大体土地用費の占める割合が道の六割から七割は占めておる。これは、まさに国富でもなければ国民所得でもないわけです。まさに擬制資本です。そういうところからますます通貨増発が重なってきた。
私がこのごろ実は政府にいろいろ申し上げたのは、やはり擬制資本というものが、土地価格の大暴騰、それから民間企業信用二十兆にのぼる中に、融通手形が大体四兆から五兆と推定される。これは完全な擬制資本です。そういう前提要件があって、やはりクリーピング・インフレーションよりか日本インフレーションはむしろ前進するのではないか。今度の膨大な財投を合わせて五兆三千億の予算で。そういう考え方を持っておるのですがね。
第一に、先ほど申した擬制資本、土地の暴騰、信用膨張の擬制資本からのインフレ前提要因がいま出てきておる、その前提が整っておる。そこへ政府の今回の予算からの要因が私は加わると見ておる。その次には、政府保証債からのインフレ要因が出てくるであろう。
その前提条件は何かといえば、まず第一に、日本経済においては、擬制資本というものの増大がここではっきりと出ておる。委員諸公が毎日論議されておるように、この手形の擬制、これが二十兆に及ぼうとしておるのだ。これは明らかに擬制なんだ。通貨の立場からいえば、擬制なんです、これは。いま一つ重大な擬制資本の問題は、土地価格の暴騰があるのです。
私は、ここ数年来にわかに顕著になってまいった擬制資本のはんらん、これを放置している政府の無為無策を指摘せざるを得ません。地価の値上がりをねらった膨大な資本投下、株や信託に殺到して、いまは額面を割るような悲劇を演じておるところのこれら滞留した資本、イルミネーション、ラジオ、テレビ、さては町にはんらんしておるばく大な広告、いずれも非生産的な擬制資本の横行であります。
擬制資本というか、その値上がりした株を売った場合には、その譲渡所得に対して課税をしないと、法人擬制説が一貫して貫いていけないわけです。ところが、日本の場合は、有価証券の譲渡所得に対しては、これを非課税にしておるわけです。ですから、もう株を持っておる株主、有価証券を持っておる資産家階級が、法人擬制説のいいところだけをとっておる。しかも今日だれが見たって法人は擬制的なものだとは考えられない。
三兆五千億の擬制資本、見せかけの所得というものは、結果においては労働者、農民の生産する価値を収奪し、その分配に参与する不労所得にほかならないのであります。このような分配の機構の中にあっては、いかに生産力が拡大をいたしましても、所得格差を解消するどころか、あらゆる不均衡、不平等、不公正を作り出し、階層の格差と二重構造を激化させるだけであります。
そうじゃなくて、一定資金量の需給関係のもとで擬制資本をここで作るわけです。公債も擬制資本ですし、金融債も擬制資本です。そういうものを新たに投入するときに、それがある一定の資金需給関係のもとで、ある擬制資本は消化困難で、あるものは消化可能である、そういうことは私は言えないと思う。そこで今大蔵大臣が言われたように、もしできないときにはということが前提になっているのです。
或いは資本が特に過小であるし、擬制資本が大きいので、これを資産再評価によつて資本の増加を図る、こういうことで物価の引下げを図りたい。賃金を上げるとコストがそれだけ上るから、そこで賃金が上ることは望ましくない、或いは健全な消費を期待する、こういうことを言われたのであります。
たとえば、利益の中から傍系会社に投資して、子会社をつくつて、さらに企業を大きくして行く、こういうふうなものはいわゆる擬制資本とでも申しますか、そういうふうなことになりますと、表面はそう利潤の配当をしていなくても、私は無限の利益を襲断することになると思う。そういうものに対する政府の規制は、当然しなければ、公共の福祉に私は反すると思うのですが、そういう面の措置を考えられておるかどうか。