2021-05-27 第204回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第3号
日本は、御紹介いただいたようなアイスコア、氷床深層コアの掘削の成功、そして、六十年以上の南極観測の歴史の中では、先ほど紹介したオーロラの立体観測、オゾンホールの発見、隕石の採集、本当に様々、世界に誇る成果を上げてきているというのが日本の南極観測の事業であります。 特に、やはり南極観測というのは科学の最前線だと思います。
日本は、御紹介いただいたようなアイスコア、氷床深層コアの掘削の成功、そして、六十年以上の南極観測の歴史の中では、先ほど紹介したオーロラの立体観測、オゾンホールの発見、隕石の採集、本当に様々、世界に誇る成果を上げてきているというのが日本の南極観測の事業であります。 特に、やはり南極観測というのは科学の最前線だと思います。
瀬戸内海につきましては、平成二十六、二十七年度に漂流マイクロプラスチックの浮遊密度等の調査を行ったほか、令和元年度には瀬戸内海で採集したマイクロプラスチックの残留性有機汚染物質濃度の分析を行ったところでございます。 今後は海洋別の特性の情報と併せて解析することによりまして、マイクロプラスチックを含む海洋ごみの効果的、効率的な分布調査や回収に活用していく予定でございます。
このクレーフェルト昆虫学会が、一九八九年から二〇一六年、この二十七年間ですけれども、ドイツの六十三カ所で、自然保護区で昆虫を採集して調査した結果を発表しております。
少し大きな話になるかもしれませんが、我々ホモサピエンスが、人類というものが、これまでどのような社会を築いてきたかということをよく分けるのに、狩猟採集社会であるとか、農耕社会であるとか、あるいは産業革命を経た後は工業社会、今は情報社会などというふうに言われておりますけれども、これをあわせて産業社会というふうにしましょうか。
その結果、大学による発掘調査時の大学側の記者発表原稿の中で、相沢忠洋氏が昭和二十一年秋、村道で黒曜石の破片を発見した旨の経緯は確認できましたが、しかしながら、やり先形尖頭器始め相沢氏採集石器の出土位置、層位など、学術情報についての記述は確認できなかったところでございます。
相沢氏が採集したやり先形尖頭器は、岩宿遺跡の発掘調査のきっかけになったことは事実でございますが、出土位置、層位、地層の位置でございますが、その正確な学術情報を欠いておりまして、学術的評価が確立していないと承知しております。
○林国務大臣 先ほど文化庁からございましたように、発掘調査前に採集をされたということで、出土地点や位置情報、こういった情報が伴っておらないので学術的な検証と評価が定まっていない、こういうことでございますので、何らかの形でここをクリアできれば検討への道が開かれるというふうに思っております。
先生御指摘のとおり、相沢氏が発見いたしましたやり先形尖頭器を始めとする採集品は、日本列島における旧石器時代の遺跡、遺物の存在を初めて証明することとなった岩宿遺跡の発見の契機となったと認識しております。 相沢氏による採集活動や採集資料は、後の学術界による発掘調査及び検証に寄与するものであり、その活動を総体として評価されているものと認識しております。
環境省といたしましては、数多くある絶滅危惧種の中でも特に捕獲圧、採集圧が存在するなど、種の保存法に基づいて国内希少野生動植物種に指定することによって保全上の効果が見込まれる種について優先順位を付けて指定を進めております。
それに当たって、その採集行為というのがもう全部全て悪というふうに見られてしまうとやはり大きな支障になるし、実際そういうトラブルも少しずつ出てきているような現状であります。
一つ目の身近な里地里山昆虫の採集規制の問題なんですけれども、実際こういうものにどのような影響を及ぼしているかといいますと、実際、科学する心や環境への関心というものの育成にやはり支障が出てしまう。採集規制というのは余り強くやり過ぎると、特に里地里山の生き物というのはもう住んでいる真横に実は希少生物がいるというような状況がたくさんこの後起こり得る、どんどん指定していくとですね。
開発、捕獲・採集といった人間の活動ですね、それから、遷移の進行というのが目につくと思いますけれども、これは後で少し述べますけれども、植物は、草原が例えば森に移っていくような遷移という現象があるんですが、移ろっていく、これによるものです。これが今回の話題の核心になります里地里山の自然の特徴かなというふうに思います。それから、過剰利用とか水質の汚濁、それから外来生物の問題も大きいかなと思います。
しかし、やはり子供たちの環境教育を考えていくときに、昆虫採集といいますか、そのことをすることによってやはりファーブルは生まれてきたんだろうと思いますし、そういうことを考えていくときに、情操教育も含めて、環境教育というのは非常に大事な、私は子供たちの成長過程においての必要な時期だというふうに思っておりますから、環境教育に支障を及ぼすということに関しては、私どもは何とか排除していきたいというふうに思っております
その後、各種開発や湿地の乾燥化等による植生の変化、外来種であるアメリカザリガニによる捕食圧等により大幅な減少を続け、人による採集圧も確認される状況でございました。 平成の初めには数県程度、その中でも一部地域のみにしか残存しないという状況になり、種の存続に支障を来す程度に絶滅のおそれが高まったということで、平成六年に国内希少野生動植物種に指定をしたところでございます。
○亀澤政府参考人 今御指摘のありました人為の影響による支障につきましては、各種の開発のほか、捕獲、採集、里地里山における耕作放棄あるいは管理放棄、さらには外来種の持ち込みなどを初め、人の行為に起因する種の存続への障害というふうに捉えております。 それから、人為以外の影響の事例、全く人為がかかわっていないということであれば、例えば地震とか噴火等がそれに当たるかというふうに考えております。
最近、FAOは、気候変動によって人類は狩猟、採集生活を行っていた不確実な時代に引き戻される、作付したものが収穫できなくなることは確実だと、世界食料農業白書で非常に端的に述べているんですね。そういう状況の中で食料の自給体制を確保するということは、日本にとって焦眉の課題ではないかと思います。 私の結論といたしまして、農業は太陽光と土地に依拠する産業であり、工業製品とは本質的に違います。
再生エネルギー一〇〇%というのは、これは達成には量的にも技術的にもまだ更なる飛躍が必要なわけですけれども、日本近海で採集が可能なものとしてメタンハイドレートというものがございます。これは化石燃料であるわけですけれども、排出する二酸化炭素というのは他の化石燃料に比べると低いというようなところがございますけれども、このメタンハイドレートを活用した発電についてはどういうふうにお考えでしょうか。
この評価書におきまして、ネコギギについては、改変区域内に生息する個体を採集し、生息適地に移殖する等の環境保全措置を実施することとしております。そして、ネコギギも含めまして、動物に係る環境影響が事業者の実行可能な範囲内でできる限り回避、低減されていると判断するとの評価となっております。
○田村智子君 私、大学との連携というのは大切だとは思うんですが、気象庁の現地観測、いざ噴火が起きたというときに機動的に行くその部隊も、試料の採集や評価などは行うけれども、地質学的な評価などは大学などの研究者が行っていると。現在のところ、気象庁では火山現象の全てをきちんと評価できる体制がないということだと思います。
考えてみますと、今大きな時代の転換期ですけれども、猿から人間へと七百万年進化してくるその九九・九%は、実は、狩猟採集社会という中で、共同体が少人数で、無償の関係で、寄ってたかって愛情や知恵を注いで子供を育ててきた、いわば人類の無償の教育が人類を進化させた、つくり上げてきたと言ってもよいほどのものでございます。 しかし、二十世紀の半ばになりますと、有償教育が頂点に達してきます。
では、私たちが狩猟採集の民から、なぜ農耕に至ったのか。一万年前、氷河期が終わり、気候が温暖化になると、人口が急増して四百万に達したと言われています。現在からすれば圧倒的に少ない数字ですが、狩猟採集で支えられる人口の上限だったのではないかと考えられています。人口密度の高い地域や、季節によって食料確保に何らかの努力をしなければならない地域があったのではないかと考えられています。
これらの種を、捕獲・採集圧が掛かっているとか国際的な重要な地域に生息しているとか、あるいは他の法律や条例で保護管理されていないなどの情報で、一応我々どれくらいのものが早急に指定を検討していく必要があるだろうかということを検討した結果、約三百種を目標とすべきではないかと、こういうふうに考えて、二〇二〇年までにこういった目標を掲げていこうというふうにしているところでございます。
古賀氏は、この政府の許可に基づきまして、尖閣諸島に労働者を派遣し、鳥毛の採集、かつおぶしの製造、サンゴの採集等の事業を経営していたというふうに私ども承知しております。
この方が尖閣諸島問題についての日本の領有権の根拠として、一八九五年の日本領土への編入以降、明治から大正、昭和と、古賀辰四郎さんという民間人の方が尖閣諸島においてかつおぶしの製造、鳥の毛の採集、サンゴの採集等々の経済活動、事業活動を行い、そこに人々の生活があったことが最重要の領有権の根拠となるということを長年にわたって主張をされていらっしゃいます。
その調査報告書によれば、この窯跡から発見された色絵の破片は、いずれも表面採集品であるというふうにされております。 なお、この報告書では、この窯跡から出土した色絵破片について、古九谷様式と似ているけれども、表面採集品であることなどから、確実にこの窯跡で焼かれたものであるかは不明ということも記載しております。
「採集や狩りによって生活する」から始まって、「稲作、金属器の使用が始まる」、「銅鏡 銅剣 銅鐸 銅矛」、並び方も全部一緒。「六四五 大化の改新」、「公地・公民の制」そして「改新政治が進展する」に至るまでぴったり同じ。 調べてみたら、この後もずっと続いて、「一九九七 アイヌ文化振興法制定」までの百八十項目余りで出来事の選択がぴったり一致。うち、九項目を除いてはすべて表現まで一致しております。