2018-11-30 第197回国会 衆議院 国土交通委員会 第4号
例えば、大阪湾でいいますと、第二室戸台風というのが昭和三十六年にございまして、今回はそれを上回る潮位であったわけでございますけれども、当時の被害、こういうものも想定しながら照らし合わせますと、大阪湾では、第二室戸台風以降、約千三百億円以上かけて防潮堤を整備をしてきた、結果として今回の被害は抑えられたわけでございまして、被害の抑止の効果は約十七兆円に上るんではないか、こういう試算も伺ったわけでございます
例えば、大阪湾でいいますと、第二室戸台風というのが昭和三十六年にございまして、今回はそれを上回る潮位であったわけでございますけれども、当時の被害、こういうものも想定しながら照らし合わせますと、大阪湾では、第二室戸台風以降、約千三百億円以上かけて防潮堤を整備をしてきた、結果として今回の被害は抑えられたわけでございまして、被害の抑止の効果は約十七兆円に上るんではないか、こういう試算も伺ったわけでございます
台風二十一号に伴う高潮は、大阪湾における観測地点で第二室戸台風を超える過去最高の潮位を記録し、神戸港等の海岸保全施設より海側、いわゆる堤外地が浸水をいたしました。 この結果、コンテナの倒壊や漂流、電気系設備の故障等が発生し、船舶の入出港や荷役作業を始めとする港湾の利用が一時的に困難となったことから、港湾における高潮対策の推進は大変重要な課題と認識してございます。
(資料提示) 台風二十一号で、実は、資料でいえば四なんですけど、台風二十一号で大阪湾の潮位、高潮の潮位が昭和三十六年の第二室戸台風よりも四十一センチ高くなっている、四十一センチ。それで、災害、もちろん災害は出ましたけれど、浸水被害があったか。実は、堤防をきちっとして住宅の中に入り込まない、宅地に入り込まない、市街地に入り込まないと、こういうような対策ができていたので実はセーフだったと。
○国務大臣(石井啓一君) 本年の台風第二十一号は、大阪湾の最高潮位が既往の第二室戸台風を大幅に上回る潮位でございまして、そのために関空が大きな被害を受けたわけですが、一方、第二室戸台風の際には、大阪市内を始めとしまして大変な浸水が起こりまして大きな被害が生じた一方、その後の高潮対策をやったおかげで、本年の台風二十一号ではほとんど浸水被害はなかったということで、近年の災害では、インフラが整備をされ、かつ
例えば、大阪港とその周辺地域においては、昭和三十六年に、第二室戸台風の際に約十三万戸が浸水をいたしました。その後、海岸あるいは河川堤防、水門、こうした整備を行った結果、今回の台風二十一号においては、過去最高の潮位を記録したにもかかわらず、市街地の高潮浸水を完全に防止することができた、こういった指摘があります。 かかった費用、これは維持管理費を含めて約一千五百億円と言われています。
○深谷政府参考人 既往最高潮位の設定についてのお尋ねでございますけれども、関空につきましては、昭和三十六年の秋に発生しました第二室戸台風、その際の岸和田の検潮所での観測値を参考にいたしまして、プラス三・二メートルと設定をしたところでございます。
それから、第二室戸台風というのが戦後にも参りましたし、私どもは、四国の上を入ってくるのがちょうど大阪の上にやってきて、大風水害を何度も何度も経験しておりますので。 その意味で、今先生が早明浦ダムのお話をなさいました。早明浦ダムで少し調節がきいてきた。
我が国は、昭和二十八年の台風十三号災害、昭和三十四年の伊勢湾台風被害、昭和三十五年のチリ津波被害、それから昭和三十六年の第二室戸台風災害で除塩事業として国が助成措置を行ってきたというふうに承知をいたしておりますが、今回の場合も除塩事業は行われるケースである、先ほどそういうふうにお聞きしたわけでありますけれども、行われるケースであるというふうに考えてよろしゅうございますか。
だから、室戸、第二室戸台風と伊勢湾台風、チリ沖地震、このときには五センチ以下でもヘドロ対策に国は枠を超えてやっておりますが、そのことを言ったんでしょうか。我々はそのことを期待しております。 以上です。
次に、新川でございますが、同じく八月豪雨及び台風十二号によりまして河川のはんらんが原因で五百二十戸、台風十三号におきましては七十戸の家屋の浸水が発生したところでございます。
台風十二号では全壊七戸、台風十四号では、全」壊はございませんが、若干の被害がございました。台風十九号による住宅の被害はかなり大きなものがあり、現在調査中ではございますが、風による被害を中心に現在まとめましたところでは、全壊五百五十三戸、半壊四千四百六十六戸、床上浸水三千七百三十六戸、床下浸水一万四千三百三十二戸でございました。
これにつきましては、かつて第二室戸台風、昭和三十六年でございますが、により大きな高潮が起こりまして災害が起こったわけでございますが、それらをも考えまして、さらに今の対策では、伊勢湾台風級の台風が大阪湾地域に最大の被害をもたらしました最初の室戸台風のコースに乗って来襲したときの高潮を想定いたしまして、それに耐えるような施設整備を既にやっているところでございます。
今回の災害は、ただいま鹿島防災局長からの御説明によりますと、概略承知しておりますが、昭和三十六年当時の第二室戸台風以来の大型台風のようでございまして、我が国の四十六都道府県全体を包む被害をもたらしました。しかも、そのコースは本土を横断しまして、地域によっては九月十一日から二十日の間で千ミリを超える降水量があったと言われております。
○山本(有)委員 猛威を振るいました台風十九号は中心気圧八百九十ミリバール、高知県室戸岬で最大瞬間風速六十一・二メートル、総雨量、高知県馬路村魚梁瀬で千百十三ミリという、昭和三十六年の第二室戸台風に匹敵する猛烈な台風でありました。著名な物理学者であり、エッセイストの寺田寅彦は台風銀座と言われます高知県の出身者でありますが、「天災は忘れたころにやってくる」という至言を述べております。
とりわけこの台風十九号は、昭和三十六年九月の第二室戸台風に匹敵すると言われ、十三年ぶりに大型台風を受けました奄美大島などでは深刻な被害を受けております。 我が党は、早速にこの奄美大島にも、また岡山県にも調査団を派遣いたしまして、現地の皆さんの声もつぶさに聞いてまいりました。
それから、残りの三千二百ヘクタールでございますが、この大部分が、先ほど私説明申し上げました三十四年、三十六年の伊勢湾台風、第二室戸台風によりまして皆伐状の被害を受けた地帯でございますが、この地帯のうちで、海抜高が高くて非常に寒く風衝のためにカラマツも植栽できない地帯がこの地帯でございます。
過去におきます災害等をまず見てまいりますと、昭和三十四年に伊勢湾台風、それから三十六年に第二室戸台風の被害を受けまして国有林で相当ひどい風倒木、約二百三十万立方メートルの被害が出てまいりました。これは、木曽谷の国有林の五十一年度の収穫量の七年分に相当するものの量でございます。その後も台風あるいは梅雨前線等が発生いたしまして、この木曽谷の国有林が荒れた原因になっておるものと考えております。
ただ、妻篭の管内におきましては、御案内の伊勢湾台風とか第二室戸台風というような台風がございまして一斉に風倒木が出た関係もございまして、風衝地その他の林分がその当時倒れまして、その跡に植えた部分に一部不良なものがございます。
で、引き続きまして五三年には十三号台風、五八年には狩野川台風、そして五九年の伊勢湾台風、六一年の第二室戸台風、こう続いてきたわけですね。
その後、集中豪雨等の被害もございまして、あるいは第二室戸台風というのがございまして、いま申し上げたような地盤でございまして非常に荒れましたが、どうしてもこれは風倒木の処理上、あるいはそのあとの造林をするために必要な林道でもございましたので、この地区につきましては特に経費を投入いたしまして、四十七年、四十八年には二つの林道とも改良工事をいたしております。
まして地盤から脱水をすれば、当然地盤沈下は起こってくることは必至でございまして、これは愛知でも起こっておりますし、大阪でも当然、第二室戸台風、第一室戸台風でたくさんやられております。そういう状態でございますので、この問題は長年にわたって起こりますので、なかなか気がつかないという点もあるし、まあ次第次第に対策を講じていったら、そのうちずんずん下がっているというようなかっこうにもなっております。
これは昭和三十六年、たしか第二室戸台風がございましたが、あの当時の水位の増加量を見てみますと、流入量が千トンから四千トンになるのに約八時間くらい経過しておりますが、今回で見ますと四時間くらいだという、非常にシャープな流入量になっております。そういった点ではかなり異常な流入であったようにうかがえるわけでございます。
私はかつて第二室戸台風のときに、当時の池田総理大臣に、この前の伊勢湾台風と同じことをやってくださいと、おうちまで行って私は談判したことがあります。当時田中角榮さんが政調会長、いまの大蔵大臣の水田さんが大蔵大臣でありました。私はこの三巨頭を前に、いかに和歌山県のような貧弱なところが第二室戸台風で深くえぐられているか、伊勢湾台風と同じ処置をやってやらにゃいかぬということを言ったことがあります。
ところが、新潟県の場合はちょうど北海道の冷害のように、昭和三十三年に集中豪雨があって、三十六年にまた第二室戸台風があって、三十九年に地震があって、それに昨年の集中豪雨で、ことしもまた集中豪雨。こういうことになると、一災害五十万円かりにあなたのほうで繰り合わせをしていただいても、百五十万円、二百万円という負債の償還というものが農業経営の中からは出てこない、こう私は考えるのです。