2021-04-27 第204回国会 衆議院 原子力問題調査特別委員会 第4号
私も、復興委員会にもずっと所属をし、また経済産業の政務官の方もさせていただき、原子力災害の復興ということでやってまいりました。
私も、復興委員会にもずっと所属をし、また経済産業の政務官の方もさせていただき、原子力災害の復興ということでやってまいりました。
これはもう何度も復興委員会の方でやらせてもらっておりますけれども、去年の十二月の復興特別委員会で質問させていただいたときに、非破壊検査装置というものがあって、これが来年度、実用化される見込みだという御回答をいただきました。今、厚労省さんの方で開発をされていて、これが進めば、あとはガイドラインを変えていけば来年度から実用化されるということだというふうに思います。
そして、ずっと私ども、東日本大震災復興加速化本部、そして復興委員会、大臣始め、いろいろと福島の復興のために共に尽力させていただいてまいりました。そういった中で、今日は、この節目に当たって、まだ福島県の復興については課題は多々残されておりますし、来年度の予算も含めまして質問をさせていただきたいというふうに思っております。 また、先日、福島沖で大きな地震がございました。
せんだって、二月の二十日と二十一日、復興委員会で被災三県を視察をいたしました。福島県のそうまIHIグリーンエネルギーセンターを訪問いたしました。広い敷地内に新設した出力千六百キロワット太陽光発電電力を相馬市の下水処理場等へ送り、また余剰電力は水電解水素製造装置に送り、効率よく水素を製造、貯蔵する実証実験が進められていました。
○嘉田由紀子君 七月に参議院議員、初めて当選させていただきまして、初めてのこの復興委員会での質問でございます。改めまして、小規模会派へも十分時間を配分いただきまして、理事の皆様に感謝を申し上げます。 また、今回、十九号台風、十五号を含めて九十八名もの方が亡くなられました。
去年も質問させていただきました、復興委員会でも。そのときには、放射線の副読本というのが過去のものになっていて、新しく変えなきゃいけないという御提案をさせていただいて、今変えていますということでありました。また、去年、文科省さんから、新しいのをつくりましたと御報告もいただいております。 この放射線副読本について、これは全国の学校に配付されましたでしょうか。
私、決算でも、この復興委員会でも申し上げましたけれども、使い勝手のいい安心して住める町づくりの医療体制になっていないといらいらしてもう申し上げているんですけど、七年たっても先生の一一年のときの理想が現実化していないということについて、今から何とかしなければならないと思っております。これからも考えてやっていきたいと思っておりますが。 森松参考人の方にお伺いします。
なぜ復興委員会なのかということなんですけれども、今から二十数年前、阪神大震災を私は経験いたしまして、私の家もちょっと被災しました。大阪の中でも、私どもの地域は一番被害の大きかったところでございます。
復興委員会がこれ甘く見られているということだと思うんですよ、私。参議院が甘く見られているということだと思うんですよ。 これ、委員長にお諮り願いたいんですけれども、この件に関すること、そして復興に関することに関して、総理出席での復興委員会の集中審議を是非お諮りください。
私も、そういう意味では、野党のメンバーでありますけれども、そういう立場を超えて、大臣にもこの復興委員会にも協力していきたいと思いますので、ひとつ今後とも、建設的に、前向きによろしくお願いしたいと思います。 質問を終わります。 —————————————
復興委員会が開かれていないんですよ、きょう。何で復興委員会を開いてくれないんですか。だからここでやっているんじゃないですか」と呼ぶ)やめてください。質疑は終了してください。質疑は終了してください。(柚木委員「大臣、最後、一言答えてください。答弁してくださいよ。手を挙げているじゃないですか」と呼ぶ) では、塩崎厚生労働大臣。
私は何度も話をしてきました、環境委員会でも復興委員会でも、ぜひ政府が一日も早く決断すべきだと。 しかも、福島の問題も、それから指定廃棄物の問題も、民主党政権が決めたんじゃないか、こういう話が出ました。しかし、最近は環境省からはそういう話が出なくなりました。それは私が言いましたからね。確かに民主党政権下で決めた話でありますけれども、政権がかわったんだから改めろと。
○伊藤委員長 私は、常々理事会で申し上げているように、復興委員会はなるたけ多く、なるたけ長い時間、そしてまた時宜を得て開くべきだということを理事の皆さんにも申し上げているところであります。 玄葉先生御案内のように、委員長の権限だけで委員会を開くことは不可能ですので、筆頭間の協議に委ねておりますけれども、私は常にそういう意思を持って、玄葉先生と同じ気持ちで委員会を運営しております。
私も、地元の人と話をしておりますと、町の再生よりも一人一人の生活再建を優先させてくれ、そういう要望がたくさんございましたので、復興委員会などで私もそんな提案をしてまいりました。 二つ目でありますが、問題は、帰還困難区域について、モデル除染を受けて、今後、この区域の除染をどうするのか、その点についてお伺いをいたしたいと思います。
我が国の設けてきたこの法制度の在り方、原子力損害賠償支援機構法、これ実は復興委員会の理事として私もこの立法に携わったんですけれども、そうした我が国のこの経験というものを国際的にしっかり伝えていく、そうした役割が我が国にはあるんではないかというふうに思うんですけれども、大臣の見解、いかがでしょうか。
私の家内が小名浜で津波被害に遭ったということもあって、以前から、この復興委員会で発言をさせていただきたいというふうに前々から思っておりました。 さて、今日はまず最初に、被災地で私が実際にどのような形で関わってきたのかということを簡単にお話をさせていただきたいというように思います。
要するに、復興委員会ならばそこまで踏み込んで、現実を変えるために、じゃ、農業、漁業をこうしていこうみたいなことを話さないと、今までの農業、漁業の同じ枠組みでやっていたとしたら私は復興はできないと思うんですが、それについてはいかがでしょうか。
ハード面においては、この復興委員会でも六月に視察に行きましたスマイルキッズパーク等々、整備も行われておるようですが、対象が小学生までということで、中学、高校生までも対象として利用できる施設の整備、きめ細やかな対応が求められると思いますが、現在また今後について、御見解をいただきたいと思います。
そして、平成二十三年、参議院自由民主党の政策審議会長に就任されるや、政審の中に原発被害からの福島復興委員会を設置、自ら委員長に就き、原発事故で苦しむ県民の痛みを国政に届けるべく、福島県議団を窓口に、福島県民の声、訴えを自民党国会議員とともに何十回にわたり聴取され、一刻も早くと故郷の復興に奔走されたのです。
○川田龍平君 ほかの省庁にもわたっての問題ですので、是非、これはまた予算委員会ですとか決算委員会ですとか復興委員会ですとか、そういったところでもまた取り上げさせていただきたいというふうに思います。 ありがとうございました。
そういう中で、何が最もふさわしいのか、運用で本当にできるのか、あるいはまた立法措置をしなきゃいけないのか、そういうところをやはり復興委員会を通じて議論して、今まさにここが最も課題となっているんだというところをやっていかなきゃならない、私はこう思うわけであります。そうでなければ、人海戦術でこれをやり切ろうとするのかとか、そういうふうにやゆされる場合があるわけなんであります。